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鵺狩転生  作者: 城山リツ
第一部 鵺が啼く空は虚ろ
8/11

第8話 懐かしい、憎い、愛おしい

挿絵(By みてみん)


「……わかった」


 蕾生(らいお)は頷いた。元より(はるか)からの頼みを断ることなどあり得ない。

 そうすればずっと拭えなかった違和感の正体がわかるだろう。永が初めて見せた表情の意味も。

 


 

 教室の机を持ち上げるような感覚で、蕾生は自分の背丈くらいの植木をプランターごと持ち上げた。人が通れるくらいの隙間を作って、静かに地面に置く。


 日常は、消え失せた。

 

 蕾生が退かしたプランターは、永をこちらに繋ぎ止める堤防だった。

 それがなくなった今、永はどこか蕾生の知らない場所へ行こうとしている。

 そしてそこは、どす黒い運命が待ち受ける、苦しく険しい世界かもしれない。

 

 けれど永が行くと言うのなら、自分は従うだけだ。

 それが蕾生には自然な感情だった。



 

「ありがとう」

 

 小さくそう言って、永は駆け出した。真っ直ぐに広場の中心、ガラス張りの建物を目指す。

 

「永!」

 

 蕾生も後を追って走った。不思議な気配をその建物から感じていた。

 近づくにつれて同じ感覚が胸の内からも湧き上がってくる。


 懐かしい。

 とても懐かしいものがそこにあるような……




 いざ辿り着いて見ると、それはガラス張りで大きな正方形を模った温室のようだった。

 大手の農業家でもここまでの規模はそうない。研究用なら尚更こんな大きさは必要ないように思われた。

 

 温室の入口に着くと、永はためらいもせずにそのドアノブに手をかける。

 鍵はかかっていなかった。滑らかに扉が開く。

 

 中に入った蕾生は驚くとともに、意識が少し混乱した。

 そこは建物の中のはずなのに、自然そのものの景色だった。

 明るい陽が差し、空気も澄んでいる。普通の温室なら植物棚でもありそうなものだが、木々や花々は全て地面から生えていた。


 箱庭。

 そんな形容が相応しいほどに、その空間は完璧に人工物が排除されていた。

 ガラス張りの壁は自由に伸びた枝や蔓の合間から見えているのみ。天井のほとんどは青く茂った木の枝が張り巡らされているため、その存在を忘れそうになる。


 ガラスの空を覆い隠している木の枝を辿ると、中央へと視線が(いざな)われた

 大樹が、温室の中央で、この世界の主人であるかのように(そび)え立つ。

 それは箱庭の中で、母のような慈愛を示しながらさやさやと枝葉を(なび)かせていた。



 

「あ……」


 永が小さく声を漏らす。その声が向けられた方を見た蕾生は、心臓がドキリと跳ねた。

 その大樹の下の人影へ、永が一歩近づく。

 

 一人の少女が小さなテーブルと椅子に腰掛けていた。本を開きながら目を見開いてこちらを見ている。

 肩ほどまで伸びた黒い髪はつややかに光の輪を描き、とても簡素な白いワンピースを着ていた。

 その年頃は蕾生達よりも幾つか年下に見える。

 

「リン……か?」

 

 永の言葉に、蕾生の跳ね続ける心臓が今度は痛む。初めて会うのに、その「リン」という言葉が頭の中で響いて、目眩がした。



 

「ハル様、ですか?」

 

 少女はおずおずと口を開く。永のことを知っている様子だった。大きな黒い瞳が永を真っ直ぐに見つめていた。

 

「そうだよ」


「何故、ここが……?」


 少女は狼狽していた。小さな唇を震わせて、ようやく言葉を紡いでいるようだった。


「何故ってここは銀騎(しらき)の研究所だろう? お前まで居たのは知らなかったけど」


 永は蕾生の知らない事実を幾つも飛び越えて、少女に語りかけていた。永の言葉の意味は、蕾生には何一つ分からなかった。


「そうですね……さすが、ハル様です」


 少女の表情は険しい。褒め言葉を言うような調子ではなかった。

 皮肉のような、落胆するような、そんな感情を向けられて、永の方も訝しんでいた。




「……リン?」


 永がその少女を呼ぶ度に、蕾生の胸がざわつく。

 

 懐かしい。

 憎い。

 愛おしい。


 訳の分からない感情が、代わる代わる湧き上がる。

 しかも、それはおそらく蕾生の感情ではない。


 蕾生が己の感情を、少女に向けるべき感情を探していると、その視線が飛んできた。


「そこにいるのは、ライですね」


 鋭い視線を受けて、蕾生はヘビに睨まれたように体が固まってしまう。

 初対面の少女に馴れ馴れしくそう言われて、答える言葉が浮かばなかった。

 

「……ああ」

 

 代わりに永が頷くと、少女は目を伏せて安堵の溜息をついた。だが、すぐに冷ややかな瞳に戻って言う。

 

「何をしに来たのですか?」


「それは……お前ならわかるよな?」


 少女の言葉に、永は動揺していた。

 頭の回転が誰よりも速い永が、相手の言わんとすることを理解できない事があるなんて。

 蕾生はそんな永の様子から不安が募る。同時に、少女の増していく迫力に呑まれそうになっていた。


 


「いいえ、私にはわかりません」


 少女は目を伏せて首を振る。永を拒絶しているような仕草だった。

 

「お前がいないと始まらないじゃないか。いつもより若いみたいだけどどうしたんだ?」


 永の質問は脈絡がないように思えた。少なくとも蕾生には。

 

 何が始まらないって?

 いつもより若いって、何?

 

 二人の会話の筋が見えなくて、蕾生はただその場で棒立ちになっていた。




 少しの間を置いて、少女は突き放すような口調ではっきりと言う。

 

「ハル様、私はもう協力できません」

 

「──え?」

 

「お帰りください。そしてここには二度と来ないように。私のことは忘れてください」

 

「な、に、言ってんの、お前?」

 

 永の動揺は更に酷くなり、その少女に一歩近づいた。

 

「近寄らないでください。人を呼びます」

 

「お前、どうしたんだよ! 何があった? お前こそどうしてここにいる?」

 

 詰め寄ろうとする永を制するように、少女は唇を噛み締めながらワンピースのポケットを探る。防犯ブザーのようなものを取り出して、そのスイッチを押した。

 

 途端に温室の中が赤い照明に変わり点滅を始めた。それからけたたましいサイレンが鳴り響く。

 頭に直接響くような不思議な音だったが、蕾生はそれに恐怖を感じた。



 

「リン!」

 

 戸惑う永から少女は目線を蕾生に移して、冷たく言った。

 

「ライ、彼を抱えて逃げなさい。捕まったら死にます。振り返らないで走りなさい」

 

 とんでもないことを言われたが、何故かそれが嘘だとは思えなかった。

 また、少女の決死の表情には従わざるを得ない迫力があった。

 

「永、一旦帰ろう」


 蕾生は震えそうな声でそう言うのが精一杯で、少女に対して「お前は誰だ」と問う余裕は既に無かった。

 

「馬鹿言うな! せっかく会えたのに!」


 永は駄々をこねる子どもようにそこに留まり続ける。

 こんなに狼狽している永は初めて見た。蕾生がその様子に戸惑っていると、少女が叫んだ。

 

「早く! 走って!」


 悲痛とも思える叫び。

 少女の声と、響くサイレンの音が、不協和音のように奇妙に混ざる。

 

「──クソっ」

 

 頭の中でどんどん大きくなるサイレンの音に焦りを感じて、蕾生は永をむりやり肩に担いだ。

 

「離せ、ライ! リンが、リンが──ッ!」

 

 とにかくここを離れないと危険だ。蕾生は喚く永を無視して温室の入口へと駆け出した。


 


「これで、さよなら……」



 

 少女の少し穏やかな声が胸に響く。その台詞は、以前にも聞いたような気がした。

 思い出せないまま、その顔をもう一度振り返る。

 そこには少し笑った、懐かしい表情が浮かべられていた。


 

  

「二人は、少しでも平穏な人生を生きてください」


 

 

 その言葉に胸がひどく痛くなる。

 けれどサイレンの轟音に追い立てられて、蕾生は永を担いだまま脇目も振らずに走った。

 

 白い道路が見えるまで、振り返らずに。

 

 その少女の黒い瞳に浮かんでいたきらめく涙を、見なかったことにして。

 

 蕾生は、そこから逃げ出した。

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― 新着の感想 ―
リン登場です。永との会話で仲間だったんだろうなぁと思うけど、拒絶するのは何故でしょうね。 信じられないくらい狼狽してる永を肩に担いで逃げる蕾生。 リンの「二人は、少しでも平穏な人生を生きてください」と…
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