第5話 若く麗しき、副所長
「本日は私共銀騎研究所の見学会にお越しいただきまして誠にありがとうございます。司会をつとめます佐藤と申します。まずは当研究所を代表して、副所長の銀騎皓矢が挨拶をさせていただきます」
受付で蕾生と永を案内した女性研究員は舞台上で佐藤と名乗った。今、目の前で見学会参加者に語りかける彼女は、先ほど感じた「何をされるかわからない」ような、どこか不気味な雰囲気が消えていた。
赤いルージュは相変わらず照明を浴びて輝いているけれど、派手なメイクだという印象しか、今は感じられなくなっていた。
緊張のままにここに入ったせいで、ただの女性の化粧まで不気味に見えるほど自分の精神は柔だったのかと、蕾生は自分にがっかりする。隣の永は普段通りの飄々とした笑顔のまま舞台を見上げていた。
永が気にしていないなら自分の漠然とした不安は気のせいだろうと、蕾生はようやくそう思って椅子に深く座り直す。視線を舞台に戻すと、逆側の袖から背の高い、やはり白衣を着た年若い男性が登場した。彼がその「副所長」だろうと誰もが思っていた。
「副所長なのに代表なのか?」
蕾生の疑問に、永が小声で答える。
「所長の銀騎博士は高齢だからね、最近はあまり人目に出ないらしいよ」
「副所長ってわりに若くねえ?」
蕾生がそう問うと、永はいつの間に仕入れた情報なのか舞台上の人物のプロフィールを簡潔にそらんじた。
「銀騎皓矢は二十八歳。銀騎詮充郎博士の孫だよ。若いけど孫だし後継者なんじゃない?」
「……へええ」
「ていうか、めっちゃイケメンだね」
永の言う通り、副所長の銀騎皓矢は高身長で足も長くモデルのようなプロポーションだ。背筋を伸ばして一礼する仕草は洗練されていて、見る者に清潔感と真摯な印象を与える。
蕾生の偏見なのだが、研究者なのに眼鏡もかけておらず、涼しげな目元をしている。髪型が少し野暮ったく伸ばされているが、ちょっと整えれば芸能人のように輝き出すかもしれない。蕾生の見立てと同じ事を観客達も感じたようで、特に女性客達が途端にざわつき始めた。
「皆さんはじめまして、銀騎研究所の副所長をしております銀騎皓矢と申します。本来ならば私の祖父であります所長の銀騎詮充郎が挨拶をするべきですが、今日は論文の締め切りが近く手がはなせないため登壇できない無礼をお許しください。さて、当研究所では──」
朗々と語る銀騎皓矢の声は会場によく通り、彼の真摯な性格を物語る。会場の客席の誰もが、この好感しかない青年の声に聞き入っている。
しかしながら、その話の内容は蕾生にしてみれば興味のあるものではない。銀騎研究所の沿革が説明され、続いて主な研究成果の説明が始まるところで睡魔との戦いを余儀なくされた。
「では、ここからプログラムの一番目、銀騎詮充郎博士のツチノコ研究に関する講話を引き続き銀騎皓矢先生にしていただきます」
佐藤の声で蕾生ははっと目を開いた。顔を上げると、ステージの上では机と椅子が用意され、プロジェクターが設置されているところだった。
「ちょっとライくん、眠くなるのが早いんじゃないのぉ?」
「……悪い」
「ここからが面白いところなんだから、ちゃんと聞いてよね」
「あぁ……」
どうせ自分は付き添いだしツチノコにも興味がないのだが、終わった後何も覚えていないと永からの長いお説教が来る。それで蕾生は欠伸を噛み殺し、少し背筋を伸ばして座り直した。
プロジェクターを映し出すため、舞台上の照明もほとんど落とされる。白い画面の淡い光が、これから映画でも始まるような高揚感を観客に与えているようだった。
「まず、銀騎博士がツチノコと思われる生物の死骸を発見したのは、フィールドワークで出かけておりました山中でした。当時既にツチノコは未確認生物として広く知られており、過去に何度も別種類の蛇であったりトカゲの見間違いであったりしたため、蛇の突然変異種などの可能性が濃厚として採取したのが始まりです」
銀騎皓矢の説明とともに、後ろのスクリーンには当時の未確認生物の死骸が映し出された。頭は蛇によく似ており、胴が短く膨らんでいる。所謂「ツチノコ」を連想させるような見た目だった。体表の色は死骸だからだろうか、全体が黒っぽく少し干からびていた。
講和の内容は、ここまでは昔の超常現象を扱うテレビ番組と同じような雰囲気である。とは言え、動画サイトでも当時の映像は検索に時間をかけないと出てこない、化石のようなものだ。
小学生の頃、永に毎日と言っていいほど見せられていた蕾生にとって、この内容は欠伸が出そうなほどに見飽きている。隣の永をチラと見ると、口元を緩めて楽しそうに聞いていた。映像なしで蕾生に講釈できるほど知り尽くしているのに、まだそんな顔が出来るのかと蕾生は半ば呆れる。
「銀騎博士はこの死骸を詳しく分析し、DNA鑑定をした結果、未知のDNAを発見しました。それは蛇やトカゲはもちろん、地球上のどの生物も持っていない全く未知のDNAだったのです」
銀騎皓矢の説明に、観客は小さく感嘆の声を漏らしながら聴いている。ツチノコに未知のDNAが存在した話は目新しかった。もしかしたら永が言った事があるかもしれないけれど、最近は話半分に聞いているので蕾生はあまり記憶していない。
科学の講和の割に、まるでSF映画の様な内容になっていく。蕾生は少し興味を惹かれて耳を傾けた。
「このDNAに関しましては、現在も当研究所で研究中であり、全容はまだ解明されていません。しかしながら、とにかく未知の因子を持つ生物が存在している可能性が濃厚だとして、銀騎博士は一年かけて発見場所を詳細に調べました。糞や巣穴の痕跡などが徐々に見つかり、遂には生きている個体の捕獲に成功しました」
銀騎皓矢の説明とともにスクリーン映像が切り替わる。先程の死骸とは姿は同じでも雰囲気が全く違う、生気に満ちた蛇のような生物が映し出された。土色の体の表面は鱗で覆われ、蕾生が子どもの頃に動画で見たCGでの想像図と良く似た姿だった。
「これが、銀騎博士が新生物として登録したツチノコであります。爬虫類有鱗目……ツチノコは古来ノヅチとも呼ばれたことから、ノヅチ亜目ノヅチ科ツチノコ属ツチノコと分類しました。ノヅチ亜目は今後細分化が可能だと銀騎博士は考えており、ツチノコ研究はまだ入口の扉を開けたに過ぎないのです」
銀騎皓矢の講和は、今や観客の多くを夢中にさせていた。再び舞台上の照明が点く。明るい光を背負って、銀騎皓矢は観客達を真っ直ぐに見据える。そしていっそう力強く言い放つことで、これが希望に満ちた偉大な研究であることを強調した。
「我々銀騎研究所研究員一同は銀騎博士の指導の元、今後も未知の生物の探求とDNAの調査を行い、地球の生物の新たなる謎の解明に邁進していきます!」
若く麗しい研究者がそう結ぶと、観客席からワッと歓声と拍手が湧き上がる。演説に成功した銀騎皓矢は少しはにかみながらその場で一礼をした。最初にした動作と寸分違わぬ美しさだった。
割れんばかりの拍手。熱狂し過ぎていないだろうかと蕾生は不安になる。
確かに銀騎皓矢の講和は興味深かったが、本当に現実にあることなのだろうか。観客達はまるで映画を見て興奮しているように思えた。
ふと、鈍い光を感じて視線をずらす。舞台袖で佐藤が拍手をしている。その眼鏡の奥の表情が見えないことに、蕾生は再び不気味さを感じていた。暗がりの中なのに、赤いルージュが仄かに光って見える。
隣の永を見ると、途中までは楽しそうに眺めていたようだったのに、今では冷ややかに舞台上を見ている。歓声に応えて手を軽く振る銀騎皓矢を見る目は、蕾生でもゾクリとするほどに。
暗く、冷たかった。
「ではこのプログラムの最後に、予め録画しておいたものにはなりますが、銀騎詮充郎博士よりお集まりの皆様にメッセージがございます」
銀騎皓矢のその言葉を合図に、ステージが再び暗くなりプロジェクターの可動音だけが会場内に響き渡る。
これから映し出されるであろう人物、蕾生の記憶ではすでに朧げになっている。
それでも、蕾生の中で何かがざわついていた。
この場に来ていない、姿もまだ見えないのに、追い立てられるような存在感。
銀騎詮充郎、その名前だけで蕾生の中の何かが騒ぐ。
まだ暗い画面。彼の姿が映るその時を、蕾生は息を飲んで迎えようとしていた。