第3話 永のオカルト談義
今から三十年ほど前、世界的な大発見に日本は大いに揺れた。
未確認生物とも妖怪とも言われていた生物が発見され、新種として登録されたのだ。
ツチノコ。
それまで誰も知らなかった生物学者によって陽の目を見たその生物は、当時メディアを賑わせた。
だが限られた生息地、限られた頭数により、ツチノコの姿は一般化することはなかった。
さらにはその飼育までをその生物学者が独占し秘匿したため、ツチノコは一時のブームのみで今は世間から忘れられている。
ツチノコによる騒動が起こり、後の人々に忘れられてから蕾生達は生まれた。
元UMAとなってしまったため、オカルト方面からもツチノコは完全に姿を消している。
それでも懐古系オカルトファンからは根強い人気があるツチノコ。永もそんな人種の一人だ。
「ねえ、ライくん、これどう思う!?」
昼休み、弁当を食べながら永は蕾生の目の前で雑誌を広げた。
「はあ? 何が」
大量に買ったパンを机から退けられた蕾生は、不機嫌になりつつ渋々その雑誌に目を落とす。
内心ではまた永のオカルト病が始まったと思っていた。
都市伝説や心霊などのオカルト系が流行ったのはかなり昔で、蕾生の印象ではそのような趣味はオジサン達のものである。
ところがどういう訳か、永は幼少の頃からオカルトが大好きで、この手の話題を蕾生にもぶつけてくる。
その度に蕾生はオカルトについての講釈を聞かされるので、興味がないのに知識だけは同じ趣味のオジサン達に引けを取らない。
「何にも知らないくせに、勝手なこと書いちゃってさ、マジむかつく!」
怒りながら永が広げるその雑誌は、いわゆる婦人誌だった。芸能人の事業がいくら赤字だったとか、皇族の誰それ様が子どもの教育をどうのこうのと言うゴシップに満ちている。蕾生にとってそれはオバサン雑誌である。
ついにこんなものまで見るようになったのか、と蕾生は呆れつつ永が指差すその見出しを読んだ。
『あの時ツチノコは本当に存在したのか!? 某博士の虚言が世界を巻き込んだ件』
「……なんだ、これ?」
「この前美容院行ったらさ、偶然見たの。もちろんその帰りに本屋で買った!」
どこにオカルトのネタが出ているかわからない。だから常にアンテナは張っておく。それが永のモットーである。
だが美容院で、永の年代なら店員が絶対持ってこない雑誌をわざわざ読んだのかと、蕾生ははっきり呆れた。
「で、これが何だよ?」
活字に拒否反応を起こす蕾生には見出しを読むまでが限度だ。内容を問うと、永は更に興奮してまくしたてる。
「あろうことか、ツチノコは銀騎詮充郎博士のでっち上げだって言うんだ。それにまんまと踊らされたメディアは滑稽だって書いてある。バカじゃないの!? ツチノコはれっきとした新種生物として登録されてる! 銀騎博士だって、当時世界に影響を与えた日本人のナンバーワンになってるんだから!」
「銀騎博士……って言うと、あれか、ツチノコを発見した」
蕾生はこれまで受けてきた「永のオカルト講座」の中から記憶を引っ張り出す。三十年も前の出来事なので、当時のテレビ番組などは動画サイトにも残っていない。だが永が古本屋で手に入れてくる雑誌などでその顔写真は見た。
当時は四十歳そこそこだったはずだが、妙に老けていてすでにお爺さんのよう。こんな世紀の大発見をするような博士は大変だから、人よりも格段に老けるんだろうなと思ったことがある。
「ネットの噂話とか、裏掲示板とかのデマ情報をそのまま記事にするコタツ記者。どうせ若いんだろうね、当時を知らないようなさ!」
お前も当時は知らないだろう、と蕾生はつっこみたかったが、永の怒る姿に気圧されてそれは飲み込んだ。
「ちゃんとした紙媒体に載る記事を書くような記者が、環境省のホームページを調べることもしないなんてあり得ないよ!」
そう結んだ永は、やや声の調子を落として今度は不満を漏らす。
「でもさあ、結局あれ以来ツチノコを世間から隠しちゃった銀騎研究所も良くないよねえ。だからこういうニワカ記者が出てくるんだ。オカルト界隈のスーパースターだったツチノコを元のUMAに戻したいんだろうね」
「ふうん……」
永のオカルトぼやきが始まってしまった。蕾生はますます会話に興味を無くしていく。
蕾生の生返事を気にせずに、永は真面目な顔で持論をいつものように披露した。
「そりゃあ、今のままじゃあツチノコはオカルトからも世間からも無くなっちゃう。そんなのは僕だって嫌だよ。でもさ、ツチノコが実在する生物なのは揺るがない事実なんだ。真にオカルトを探求するものは同時に科学的でいなければ。科学でオカルトが解決されたなら、それを妄想で否定して誤魔化すんじゃなく、受け止めないとダメなんだよ!」
「そうだなあ……」
蕾生の視線はすでに教室の窓。その向こうの森林公園に向いている。
更に奥に見える白い建物は何だっけなあ、とぼんやり考えていた。
「例えば古い神社とかで、河童や人魚のミイラがあるじゃない? あれを科学的に調べた結果偽物だってわかってもさ、宮司の人は言うんだ『それでもこれが長年人々の心の拠り所だった。だから今後もこれは御神体であり続ける』って! 感動するよね? それが正しいオカルトとの付き合い方だと思わない?」
「……」
蕾生の耳では永の話が右から左へ通り過ぎる。思考のシャッターを閉めてやり過ごそうとしているのを、永は当然のようにこじ開けてきた。
「ちょっとライくん、聞いてる!? 窓の外なんて見てないで──って銀騎研究所を見てたのかあ!」
「……うん?」
怒っていたかと思ったら急に声を弾ませる永の様子に、蕾生はようやく意識を戻す。
目の前には期待を込めた視線があって、蕾生は訳が分からないなりに「しまった」と思った。
「あの銀騎博士がそこの研究所にいるだなんてワクワクするよねえ」
永の機嫌はすっかり直り、蕾生が提供してしまった話題を嬉々として言う。
しかし当の蕾生はデフォルトの眠そうな目を少し開けて驚いた。
「あのビル、研究所なのか」
「そうだよ。建ったのは最近なのに、ライくんは知らなかったの?」
「興味ねえもん」
欠伸混じりで言う蕾生に、永は大げさな身振りで言った。
「非地元民め!」
「お前が知りすぎなんだろ」
また呆れて言う蕾生だったが、永はそれ以上怒らないどころかニヤと笑う。
それは、何かを企んでいる顔だ。蕾生は少し身を引きながら恐る恐る永の言葉を待った。
「……ライくんが銀騎研究所に興味が出るだなんて、タイミングがいいよねえ」
いや興味はないし、偶然だし。そんな答えすら返せないような、ワルイ雰囲気を蕾生は永の表情から読み取った。
これは逆らえないやつだ、と直感する。
「実はね、連休に銀騎研究所が一般向けに見学会を開くんだ」
「そ、そうか」
蕾生の観念するような相槌に、永は満足げな顔で携帯電話を操作した後、その画面を見せた。
予想通りのメール画面。件名には「お申し込みありがとうございます」の文字。
「申し込んだよ、二人分!」
「あー……やっぱりか」
「当然でしょ!」
そう言って笑顔で肩を叩かれれば、蕾生は断れない。というか、断る選択肢はない。
「まあ、別にいいけどよ……」
永が行くところには必ずついていくのが蕾生にとっては当たり前のことだった。
銀騎研究所、ツチノコを発見した学者が経営する施設。
それが蕾生の通う学校の、森林公園を隔てた先に建っている。
蕾生は何か不思議な因縁を感じていた。
その白い建物を見ているだけで少し背筋が寒くなる。
銀騎研究所。
白い建物の内側には、黒い闇が蠢いている。
その闇が何なのか。蕾生はまだ知らない。