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 大きな獣が夜に吠える。


「鎌鼬……」


 目の前の妖怪から繰り出される圧に、蓬は圧倒されていた。

 直立して蓬の腰ほどだった背丈が大きく膨らみ、今は蓬と同じくらいの背丈に変化している。鎌鼬の両方の手にはいつの間にか小さな鎌が構えており、鎌鼬は蓬を前にして威嚇するように喉を鳴らす。

 蓬から出た冷や汗が顔を伝い、地面へと落ちる。ポタンと冷や汗が地面のコンクリートに落ちた瞬間、蓬の瞳に映っていた鎌鼬の姿が消える。


「―――ッ!!」


 刹那、蓬に襲い掛かる突風に煽られ、身体が揺れる。

 昨日の夜と手口は同じだ、このあと蓬はその鋭利な鎌によって切り刻まれることだろう。しかし、今すぐに切り刻まれるわけにはいかない。


「蓬!あぶねえっ!!」

「―――纏え!黒身魂!」


 蓬の近くにボウッと黒い人魂が現れる。黒身魂は蓬の言葉に従い、黒装束となって身に纏う。蓬の髪が白に染まる。

 蓬の身体から妖気が溢れ出した。蓬の身体が千獄斎へと変わる。

 蓬が千獄斎に変身したと同時に、胸に大きな衝撃が襲う。衝撃に襲われた千獄斎は後ろへと吹き飛ばされる。


「痛ったい!けど……平気だ」


 衝撃が襲った部分の黒装束が刃物に切られたような跡が見れたが、皮膚には至ってなく、出血は見られない。


「やっぱり凄いな、この身体……」


 千獄斎の身体に感心していると、再び突風が襲う。

 鎌鼬が攻撃に移すサインだ。変身前は全く捉えられなかった鎌鼬の姿も。千獄斎となり身体能力が上がった今、容易に捉えることが出来た。

 

「これなら……いける!ハアァ!!」


 鎌鼬の動きを見極め、千獄斎は渾身の拳を振るう。しかい、振るった拳は容易に避けられ、鎌鼬の膝蹴りを顎に食らう。


「ブゴォッ……!」


 顎に食らった衝撃に目を回しそうになるが、目が一周するよりも先に鎌鼬の追撃が来る。


「グハッ……!」


 鎌鼬が鎌を振るう。千獄斎は向上した動体視力のおかげで何とか鎌鼬の動きを捉えることには成功しているものの、細い路地裏を縦横無尽に駆け巡る鎌鼬の多角的な攻撃に千獄斎は攻撃を食らい続けている。

 鎌を振るう。千獄斎の皮膚が裂ける。

 鎌を振るう。千獄斎の血が滲む。

 じわじわと大きくなる痛みに千獄斎の顔が大きく歪む。


(蓬!隙を見て俺を纏え!やられちまうぞ……!)


 鎌鼬が鎌を振るう。振るわれた鎌が既に刻まれていた切り傷にピッタリと合う。千獄斎に変身したことで皮膚は頑丈になった。しかし、いくら頑丈になったとて皮膚の中は柔いものだ。

 鎌鼬の鎌が千獄斎の切り傷をさらに抉る。胸がパックリと開き、傷口から鮮血が華のように飛び散った。


「……、ア……」


 千獄斎が力が抜けたように膝をつく。


「グアァァァァァァア!!」


 鎌鼬が吠える。

 再度風が吹く。

 ヒューという音が耳を占領する中、微かに声が聞こえた気がした。


「―――纏、え。緋紀……!」


 風が何か、大きな壁のようなものに止められる。


「ガッ……!」


 風と共に吶喊した鎌鼬は攻撃の寸前で掴まれる。喉を強く絞められ、呻き声をあげる鎌鼬を、その者は強く睨みつけていた。

 その者は黄金の髪に赤い歌舞いた格好をしている。緋紀を纏った千獄斎が立っていた。


「この野郎……!覚悟できてんだろうなぁ?」


 千獄斎は怒り心頭といった様子で、喉を掴んでいた手にさらに力を籠める。声にならない悲鳴が鎌鼬から漏れた。


「こい、白入魂」


 ボウッっと白い人魂が現れる。

 千獄斎は白入魂の中に手を突っ込むと、中から身の丈ほどの金棒を取り出す。掴んでいた鎌鼬を放り投げると、野球でもするかのように金棒で鎌鼬をぶん殴った。金棒に強く打ち付けられた鎌鼬は壁に強く激突し、土煙が巻き起こる。


「おい、意識あるか?蓬」

(うん、なんとか……助けてくれてありがとう緋紀)

「へっ、まあ無事なら良かったさ」


 精神の奥で休んでいる蓬との会話を終え、千獄斎は土煙が晴れて姿が見えるようになった鎌鼬を視認する。

 鎌鼬は飛びそうな意識を必死に抑え、息も絶え絶えに千獄斎を見る。直立する余裕はもはやなく、四足歩行で、口からはダラダラと涎を垂らしている。


「グアァァァァァァア!!」


 鎌鼬が駆け出した。

 激しい突風に身体を乗せ、ぐんぐんと加速し、千獄斎へと刃を振るう。


「ふんっ!」


 鎌鼬が振るった鎌が千獄斎の首を捉える寸前、千獄斎が金棒を振るい、頭上から大きな衝撃に打ち付けられる。地面へと落とされた鎌鼬が血を吹き出しながら身悶える。

 痛みに蹲る鎌鼬に、千獄斎は追撃で金棒を地面と平行に振るう。吹き飛ばされた鎌鼬は壁へと激突し、血をダラダラと流しながら倒れる。


「……ア……ア、アア……」


 鎌鼬は瀕死の状態で、もはや満足に喋ることも儘ならない。鎌鼬は完全に無力化されていた。

 あまりの無惨な姿に精神の奥で見ていた蓬も息をのむ。


(ねえ……これ大丈夫なの?心配になるんだけど……)


 死にかけの鎌鼬を見て、つい蓬は語りかけてしまったが、千獄斎はにやりと笑う。


「心配?ああ!安心しろよ蓬、しっかり殺してやるからよ」


 ゾッと蓬は鳥肌が立つ感覚がした。


(待って!?殺しちゃ駄目だ!!すぐに治療しないと……!!)


 蓬は鎌鼬の命を繋ぐため、千獄斎の主導権を取り戻そうとするが、バチッっと弾かれる。


(緋紀……!?)

「こいつは俺が殺す」


 蓬の呼びかけにも応じず、千獄斎は止まらない。


「こいつは蓬を殺そうとしたんだぞ……!ここで殺さなきゃ今後いつ襲ってくるか分かんなくなるだろ……!」


 千獄斎は金棒を構える。


「―――”火を焚べろ”」


 金棒に火が纏う。ぼうぼうと燃える炎が真っ黒な夜を照らす。

 蓬はあの攻撃を知っている。祓い屋たちを一撃で倒したあの攻撃を、今度は瀕死の鎌鼬に放とうというのだ。

 間違いなく死ぬ、蓬の直感がそう叫んでいた。


(やめろ……やめて緋紀……!)

「歯ぁ、食いしばれぇ?」


 千獄斎が金棒を振りかぶる。


(止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)


 金棒を振り下ろす直前、千獄斎の動きが硬直し、身体から緋紀が引き剝がされるように弾かれた。


「ぐわっ……!」


 弾かれて壁に当たった緋紀が痛みに耐えるように顔を歪ませる。

 緋紀が身体から抜け出した千獄斎は力が抜けるように四つん這いになる。白かった髪も黒に戻り、気づけば千獄斎の変身も解けていた。

 緋紀は不服そうな表情で口を開く。


「おい……一体なにしてんだ―――」

「なにしてんだはこっちの台詞だ!!」


 蓬は怒鳴る。

 まさか怒鳴られるとは緋紀も思ってなかったようで、ポカンと口を開けていた。


「え、いや、なにって、俺は蓬を守ろうと―――!」

「守ろうとしてくれたのは嬉しいよ。でも、緋紀は殺そうとしたでしょ……!?」


 信じられないものを見るかのような顔をする蓬を、緋紀はまるで理解出来ないでいた。


「……当たり前だろ?鎌鼬は蓬を殺そうとしてた。あれを見逃せば、また襲われるかも知れないんだぞ!?」

「だとしても……!僕は彼を助けたい」

「何言ってんだ……?奴は人間を襲ってるんだぞ!?そこらの妖怪とは訳がちげぇ!!」

「変わらないよ!彼だって人を襲いたい訳じゃない!そこに悪意はなかった!!」

「悪意があるかどうかは関係ねぇ!実際に襲ったかどうかだ!」


 二人の怒鳴り声が響き渡る。二人の意見は完全に対立していた。

 向かい合っていた緋紀から顔を背け、蓬は倒れている鎌鼬の方にゆっくり近づく。歩くたびに血がコンクリートに沁みるなか、なんとか蓬は鎌鼬のもとに着き、介抱する。

 蓬と同じくらいの背丈だった鎌鼬は、力が抜け、通常の鼬と変わらないサイズに変わっており、抱きかかえやすい。

 蓬は鎌鼬を抱えながら、緋紀の横を通り過ぎようとする。


「……どこ行く気だよ」

「累の家、早く戻らないと」

「歩いて帰る気か、その傷で」

「緋紀は頼まれてくれないでしょ?だったら自分で歩かないと……」


 ぱっくりと空いた傷からに血が零れる。蓬は冷や汗を流しながら、傷を抑えるが焼け石に水、手の隙間からだらだらと滲み出る。

 緋紀は気まずさから目を逸らす。


「ハンッ、勝手にしろよ。でもな、鎌鼬が次も暴れてみろ。そん時は俺が容赦なく殺すぜ」

「殺させないよ。緋紀には殺させない」


 蓬の言葉を緋紀は鼻で笑った。


「おいおい、どうやってだよ?今日は不意打ちだったから弾かれちまったけどよぉ、次も上手くいくとは思うなよ?」

「大丈夫だよ。もう緋紀を纏わせることはないから」

「はあああ!?」


 余裕ぶっていた緋紀の顔に、焦りが浮かぶ。


「俺を纏わないでどうするつもりだよ!?新しい妖怪でも探すつもりか!?」

「……僕一人で戦うよ」


 緋紀が今日一番の怒鳴り声をあげた。


「ふざっけんな!!お前一人で鎌鼬にどうこうできるわけねぇだろ!?死ぬ気か!?」

「死ぬ気だよ。死ぬ気で、この子を助ける」


 緋紀が言葉に詰まる。蓬がここまで言うとは思わなかった。


「とにかく、緋紀との意見が食い違っている以上、一緒には戦えない」


 そう言い切って、蓬が歩き出そうとした瞬間、フッと力が尽きたように倒れこむ。


「おい、蓬!?しっかり―――」


 緋紀は反射で蓬に駆け寄る。開放しようと抱きかかえるが、蓬と一緒に倒れている鎌鼬が目に入る。緋紀は鎌鼬にも手を伸ばそうとするが、その手は鎌鼬に触れることなく途中で降ろされる。緋紀は蓬だけを持ち上げ、歩き始める。


「助けてあげないんだ。鎌鼬のこと」

 

 緋紀は驚いたように振り返る。いつの間にか背後に立っていた累がにこやかに笑っている。


「累……何でここに居やがる?いつの間に……」

「なんでじゃないよ、昼になったら一度合流するって話だったでしょ?夜になっても帰ってこないから探しに来たんだよ?」  


 累は頬を少し膨らませ、いかにも怒ってます、の顔をする。いつも通り、普段通りの喜怒哀楽、それが血の匂いが充満したこの路地裏では酷く浮いたように見えた。


「あーあー、凄い出血。こりゃすぐに治療しないと。緋紀、蓬を地面に置いて」


 地面に倒れる鎌鼬を触り、状態を見る累。手に血がべったりと付くが累は気にした様子がない。

 何をするつもりなのか、緋紀は累の意図をうまく読み取れない。


「なにしてるの?早く置いてって」

「お、おう……」


 緋紀が蓬の身体を丁寧に降ろす。

 累は地面に倒れる蓬と鎌鼬の身体に触れると、念を込める。


「―――癒せ」


 累がそう唱えると、仄白い光が蓬と鎌鼬の身体を包み込む。仄白い光は蓬たちの傷が塞がっていく。

 緋紀は蓬たちに起こった現象に目を見張る。


「……お前、こういうこともできるんだな」

「意外だった?」

「意外っつーか、一体お前は何者だ?ただの人間じゃねーだろ」

「私はただの人間だよ。本当にただの人間」


 疑いの目を向ける緋紀を無視して、累は立ち上がる。蓬たちを包んでいた光はもう、消えていた。


「よし、応急処置は完了!二人とも家に運ぶよ。緋紀、手伝って」


 累は手ぶらで帰りの道を歩き出す。細い路地裏には蓬と鎌鼬が残されていた。


「どっちも俺が運ぶのかよ……」


 溜息を吐くと、緋紀は二人の身体を抱え、歩き出した。


 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「まったく、全然帰ってこないかと思ったら、なんで喧嘩になっちゃうかな。瓦解するの早くない?このチーム」


 累がもの言いたげな目で蓬を見る。

 緋紀は何となく座りが悪い気がして、累とは目線を合わさずご飯を口に運ぶ。

 神代家に戻った後、部屋の一室に蓬と鎌鼬を寝かせている。意識はまだ戻っていないものの、峠は越えたようだった。

 今は今日あった出来事を累に説明しながら、夕食をとっている最中だった。


「悪いとは思ってるよ……でも、やっぱり俺は承知できねぇ。あいつは妖怪への認識が足りなすぎるんだよ!」


 緋紀は酒をぐびっと飲む。夕食にしてから暇さえあれば飲んでおり、既に顔は真っ赤に染まっている。


「考えてみろよ累ぇ!世の中にはな、やべぇ妖怪がうじゃうじゃしてんだよ!あんな調子で出会う妖怪一人一人に接してたら、一瞬で死ぬぞ!間違いなくだ!絶対だぁ!」


 緋紀は酒を片手に一人で喚き散らす。そんな様子を累は呆れたように見ていた。


「はいはい、まあ気持ちは分かるけどね……。蓬の考え方、私は好きだけどなぁー」

「好きかどうかは問題じゃねぇんだぁ!危険だって話をしてるんだよぉ!現に!蓬は今も大怪我してんじゃねーか!」


 完全に酔いが回っていた。しかし、緋紀が言っていることは本心だろう。人を襲う妖怪、一人一人に理由を聞いて、善か悪かを見極めていれば、いつか命を落とす。


「俺は、蓬を守るって決めたんだ」

「そっか、蓬は幸せ者だね。緋紀みたいな仲間がいて」

「仲間ねぇー……」


 ―――とにかく、緋紀との意見が食い違っている以上、一緒には戦えない

 緋紀は今日、蓬に言われたことを思い出す。


「向こうは仲間なんて思ってねぇさ、俺とはもう一緒に戦わねえってよ……!」


 緋紀は再び酒を煽る。

 

「ねえ、緋紀?」


 呼びかけられた声に、緋紀は累を見る。

 累の声は、仕方のない弟に話かけるような喋り方だった。


「緋紀はさ、蓬のことを守りたいって考えているんだよね?」

「あん?おう……」


 話の内容が見えない緋紀は、聞かれるがままに答える。


「それじゃあ、緋紀は蓬の何を守りたいの?」

「なにって―――」


 緋紀は言葉が詰まった。すぐに答えられるはずの質問に緋紀は答えられなかった。


「俺が守りたいもの、か」


 緋紀は床の畳を見ると、静かに考え込む。すぐに答えは出せそうになかった。

 緋紀は立ち上がって部屋を出ると、玄関へと向かう。

 玄関へと向かう緋紀に、累も後を追いかける。


「どこ行くの?もう夜遅いけど」

「ちょっと一人で考える時間をくれ。それと、覚悟を決める時間もな」


 緋紀は玄関の扉を閉めると、夜の風に当てられる。

 空に浮かぶ月を一瞥すると、どこへ行くのでもなく歩き出すのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 鎌鼬と戦った夜から数時間が経った。日が昇り、窓から差し込む光に蓬が目を覚ます。

 纏まらない思考の中で上体を起こし、周囲を見渡す。


「累の家……?」


 なぜ自分がここで寝ているのか、昨日の夜の記憶を掘り起こしているうちに段々と記憶が蘇ってくる。


「ああ……緋紀と喧嘩したんだった。というか、また僕気絶したの……?連日だな……」


 記憶を掘り返すとともに嫌な記憶や、情けない自分を思い出し自嘲していると、部屋の襖が開けられる。

 部屋に入ってきた累が起きた蓬の姿を見ると、安堵した表情を浮かべる。


「よかった、起きたんだ。調子どう?お腹すいてる?」


 蓬は腹部に手を当てて、お腹と調子を相談したのち、首を横に振る。


「あんまり食欲ないかも……ごめん」

「いいよ別に。結構酷い怪我だったからね、無理もないよ」


 酷い怪我、そう言われて蓬は全身を観察する。鎌鼬にあんなにも切り刻まれた身体が今は傷一つもないきれいな状態に戻っている。


「胸パックリいかれてたと思うんだけど……」

「いかれてたねー、ま、私が凄い術で治したから大丈夫。でも私がいなきゃ死んでたかもしれないんだから、気を付けてねー?」

「術……?じゃあ、鎌鼬も……!?」

「安心して。鎌鼬も無事だよ、今は隣の部屋で寝てるかな」


 蓬はホッと胸をなでおろす。緋紀の前では気を失ったため、もしかしたらと思ったが、緋紀は見逃してくれたらしい。


「緋紀が鎌鼬をこの家まで運んできてくれたんだ。命の恩人だね」

「え、緋紀が!?」


 蓬は目を丸くする。鎌鼬を殺すと言って聞かなかった緋紀が鎌鼬を助けてくれるとは、どうにも信じられない気持ちだった。

 

「緋紀が助けてくれたなんて……あんなに殺すって言ってたのに……」

「緋紀だって殺したくて殺そうって言ってるわけじゃないと思うよ?」

「……どういうこと?」


 蓬は首をかしげる。


「蓬を守る手段として殺すって言っているだけってこと。緋紀はさ、蓬に傷ついてほしくないんだよ」


 累の言葉が蓬の胸に重く圧し掛かる。

 蓬自身も何となく気づいていたことだ、緋紀はただ自分を守ろうとしてくれているだけなのだと。

 

「それでも、殺すってのはいくら何でもやりすぎっていうか……もっと、なんか、いい手段があるんじゃないかなって……」

「ふーん、まあ蓬の気持ちは分かったけど、それで?蓬は結局、あの鎌鼬をどうしたいの?」

 

 蓬は布団から出て、居住まいを正す。


「助けたいって思ってる。あの鎌鼬、恵ちゃんって子と一緒に暮らしてるみたいでさ、だからもう一度二人が一緒にいられるようにしたいんだ」

「ふむ……」

「でも、あの鎌鼬は夜になると人を襲ってて……でも!悪意がある感じじゃなくて、衝動というか、本能を抑えられないみたいな感じだったというか……」


 蓬は拙い言葉で説明する。蓬自身、鎌鼬がなぜ人を襲っているのか理解できていない。累ならなにか分からないかと、その時のことを必死に振り返っている。

 その累は蓬の説明で、思い当たる節があったようだ。


「なるほどなるほど。確かに、緋紀の言った通りだ。蓬は些か、妖怪に対する理解に欠けてるね」

「え……?」


 蓬はキョトンとする。

 累は説明を始める。


「鎌鼬って妖怪はさ、つむじ風に乗って人を切りつける妖怪なんだ。逆に言えば、人を切りつけない鎌鼬なんて、鎌鼬じゃない。そうとも言える」


 累の説明に蓬は息をのむ。


「鎌鼬からすると、人を襲うのは本能なんだ。夜になると人が布団で寝るのと同じ、本能。決して抗うことは出来ない」


 累は部屋の襖を見る。その先に寝ている鎌鼬のことを考えているのだろう。


「あの鎌鼬は必死に本能に抗っていたんだろうね。その恵ちゃんとやらと一緒にいるために」


 今日、あの鎌鼬は本能に飲まれる直前まで、蓬たちに対して、離れろ、とそう言っていた。


「じゃあ、助けられないの……?あの鎌鼬はもう、恵ちゃんと一緒にいることは出来ないの……?」


 蓬から出た声は震えていた。

 鎌鼬は人と一緒にいることを選んだ。

 少女は一緒にいることを願った。

 そんなことさえ、許されないのだろうか。人と妖怪、たったそれだけに違いで。

 そんなの、あんまりではないか。


「そんなの、あんまりだよね」


 蓬の思いと、累の言葉が重ねる。


「え……?」

「たった一つだけ、全員が幸せで終わる方法がある」


 俯いていた蓬の顔が上がる。

 蓬の瞳に映る累は強気な笑みを浮かべていた。


「神代家に伝わる秘術。これを扱えるのは、神代家の当主のみ」

「それって―――」

「修行の時間だよ、蓬。鎌鼬を救えるかどうかは蓬にかかってる。ちょうど、相手も起きてきたみたいだしね」


 隣の部屋からドタドタと物音が聞こえてくる。鎌鼬が起きたようだった。

 蓬の額に冷や汗が浮かぶ。

 あまりにも責任重大。だとしてももう、覚悟は決まっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「今から蓬に習得してもらうのは、神代家に伝わる秘術。“詫証文の強制誓約”」


 神代家の秘術を習得するための練習のため、蓬は神代家の中庭に出され、何故か地面に正座されていた。累は蓬の前で仁王立ちし、その顔には眼鏡がかけられている。


「わ、わび……?せい……?え、というかなんで眼鏡つけてるの」

「そりゃあ、今日から私は蓬の先生になるわけだからね、雰囲気づくりだよ。可愛いでしょ?あと詫証文の強制誓約ね、ちゃんと覚えてよ?」


 累は自慢げに眼鏡をくいっと動かす。

 顔に夢中で全然話を聞いていなかったと、蓬は気を取り直す。


「ええと、それで、その、秘術って、どういうやつなの?」

「うん、詫証文の強制誓約ね。説明するからよーく聞いてね?」


 累の眼鏡姿に気を逸らされたが、鎌鼬のポチが再び恵とは一緒にいられるようにするには蓬がこの秘術を習得するほかない。蓬は姿勢を正して、頷く。


「秘術の説明には、まず詫証文の説明をしないといけないんだけど―――」


 詫証文とは詫びのしるしとして書く証文のことだが、悪さや害を与える妖怪に二度と悪さをしないことを誓わせて詫証文を書かせることがある。


「妖怪ってのは不思議なもので、文字による強制力が凄いんだ。“もう悪さはしません”と書かせれば、その妖怪は絶対に悪さをしなくなる。出来ないと言った方が良いのかな。とにかく詫証文は妖怪にとって多大な影響を及ぼすものなの」

「なるほど、分かったような分からないような……」


 蓬が渋い顔をしながら頷く。ある程度の理解はできたようだ。


「そこで、神代家の詫証文の強制制約なのです!」


 累がビシッと蓬を指差す。蓬はあまりピンとは来ていないようでポカンと口を開いていた。


「詫証文を書かせることで妖怪の動きに制限を課すことが出来るのは説明したよね。千獄斎の力はそれを強制的に行うことが出来るというわけなのですよ!」


 累はご機嫌に言う。説明する機会ができたことがよっぽど嬉しいらしい。

 累の説明を聞いていると、蓬の中で疑問が生じる。


「詫証文を強制的に書かせることが出来るってのは分かったけど、それって、鎌鼬にする必要はないんじゃないかな?今は日中だし、事情を説明すれば鎌鼬が自発的に書いてくれるんじゃない?」


 蓬の質問に累は難しい顔をしながら腕を組む。


「うーん、そこが今回の難しいところなんだよね。普通の詫証文は妖怪の行動を縛るものなの。“人を襲わない”とか、“この土地に入らない”とかさ」

「……鎌鼬にも”人を襲わせない”って書かせればいいんじゃないの?」

「今回、鎌鼬が暴れた理由は本能に抗えなかったからで、悪意があったわけじゃなかった。その状態で”人を襲わない”という誓約を結ばせた場合、妖怪としての本能と誓約による縛りの板挟みで、精神が崩壊するかもしれない危険がある、と私は思う」

「それじゃあ、千獄斎の強制誓約を使ったところで変わらないんじゃ……」


 蓬は不安の声を漏らすが、累はしっかりと否定した。


「その心配はないよ。あのね蓬、強制誓約っていうのは、蓬の想像しているのよりもずっと強制なの。不平等条約みたいな?滅茶苦茶な内容の詫証文も結ばせちゃうの」


 蓬はごくりと唾を飲み込む。なんだか累が酷く恐ろしいことを言っているような気がしたのだ。


「私が良いと思う誓約は、”鎌鼬の妖気の容量、半分を千獄斎に受け渡す”。これを鎌鼬に課すのが良いと思う。あの鎌鼬、力が抜けたとき、普通の鼬の姿に戻ってたでしょ?常にこの状態でしかいられないくらい、力を奪ってしまえば良いと思うんだよね」

「そんなこと、本当にできるの?」

「できるよ。普通の詫証文なら出来ないけど、”詫証文の強制誓約”であれば可能だよ。通常なら出来ないことでも、千獄斎なら強制的に結ばせることが出来てしまう。つまりね、千獄斎の”詫証文の強制誓約”は妖怪の性質そのものを変えることもできてしまうってことなの」


 蓬は背筋が凍る感覚がした。妖怪の性質すら変えてしまう千獄斎の強制誓約、この力を持ってすれば、妖怪を思うが儘にすることもできてしまう。それはあまりにも危険な力なんじゃないだろうか。


「そんな恐ろしい力を、僕が使えるってこと……?僕なんかが、持ってていいような力じゃ―――」

「そうかな?私はこの力を蓬が持っててくれて良かったって思ってるけど」

「え―――?」

「現に今、蓬は千獄斎の力を妖怪のために使おうとしているでしょ?強大な力は、それ故に力の使い方を考えなきゃいけない。蓬なら、この力を良い方向へ使ってくれると思うんだ」


 累の瞳と蓬の瞳が重なる。

 何故彼女が自分にここまで信頼してくれているのか、蓬には分からない。出会ってまだ数日の付き合いだ、蓬自身もまだ累のことを理解できているとは思えない。それでも、この信頼には答えたいと思った。その信頼を結果で返したいと、そう思った。


「うん、僕頑張るよ、千獄斎として精一杯。だから協力してほしい、鎌鼬を助けるために」

「まかせてよ、御当主様。私が貴方の力になるから」


 二人は向かい合って笑う。二人の気持ちが通じ合った気がした。

 そんな二人を言いたげな目で見つめる人物がいた。


「……それで、なんで俺は縛られているんだ……?」


 蓬と累の二人を半目で見つめる人物、夜の鎌鼬事件の犯人にして、渦中の人、鎌鼬のポチは全身を縄で縛られ、地面に座らされていた。


「ああ、ごめん、忘れてたや。でも話は聞いてたでしょ?ポチ的にも異論はない?」

「その呼び方に異論があるわ。ポチって言うな、俺の名前はレンだ。あと縛るな、苦しいだろ」


 立て続けに文句を垂れるレンに、累は面倒くさそうに対応する。


「逃げようとしたからでしょ。それでレン、異論は?」

「まあ、ないが……本当にそんなことが可能なのか?」


 信じられないと言いたげな表情で累を見るレンに、蓬は笑いかける。


「まあ、やれるだけやってみようよレン。でも、身体は大丈夫?無理はしないでね」

「ああ、驚くほど問題ない。そうだな、それじゃあ頼まれてくれるか、蓬」

「うん、頑張ろうね、ポチ!」


 ポチは蓬の顔を見て、穏やかそうな顔でフッと笑った。


「だから、ポチって言うな」


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