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 瞼の裏からでも分かる太陽の日差しに、蓬はもぞもぞと体を動かす。


「あ、起きた?」


 蓬が目を覚ますとそこには累の顔があった。


「累……?」


 蓬が体を起こそうとすると生じる痛みに顔を歪めてしまう。服をめくって見てみると身体のあちこちに切り傷が見られる。


「なんじゃこれ……?」

「安静にしてなよ、結構な血の量だったんだから」


 累の言葉に蓬は昨日のことを思い返す。突如煽られた強風、こちらに向かってくる獣の姿、全身を襲う激しい痛み、蓬は鮮明に覚えていた。


「ああ、そうだ。自分襲われたんだ、たぶん鎌鼬に……」

「鎌鼬?それって最近噂の?」


 累は興味深そうに蓬の顔を覗き込む。


「累も知ってたんだ。千ヶ宮先輩たちが教えてくれてさ、オカルト研究部の活動で鎌鼬の捜索をしてたんだ。その帰り道に襲われちゃったんだけど……そういえば緋紀ってどうしてる?お礼言わなくちゃ」

「俺ならここにいるぜ」


 部屋の襖は開かれるとそこには緋紀の姿があった。


「緋紀!もしかして昨日はずっとこの家にいたの?」

「お、おう、まあな……傷の調子はどうだ?」


 蓬の全身に刻まれた傷を緋紀は気まずげに眺めている。


「痛いと言えば痛いけど、まあ、大丈夫だよ」

「そうか……まあ、なら良かったよ」


 緋紀は蓬の布団のすぐそばに座ると、頭を下げる。


「悪かった蓬!俺のせいでこんな風になっちまって……」

「ええ!?いやいや、なんで緋紀が謝るのさ!?」


 頭を下げる緋紀に蓬は驚きを隠せない。


「一体どうしたの?何かあったっけ」

「俺があいつに襲われたとき、咄嗟に蓬に乗り移ったんだが……ただお前に怪我させちまうだけだった。もっと早く俺が動けてたら、こんなことにはならなかったはずだ」


 緋紀の吐露に蓬は首をかしげる。


「いや、それはおかしくない?緋紀は何も悪くないでしょ」

「はあ?」


 頭を下げていた緋紀が僅かに顔をあげる。


「お前話聞いてたのかよ?どう考えても俺のせいだろ」

「だから違うって」


 蓬が食い気味に否定する。それでも緋紀は納得しない様子だった。


「俺はよ、蓬にたくさんの借りがあるんだ。だから、俺はその借りを返さなきゃいけねぇんだよ」

「そんなこと言われても……なんかあったっけ?」

「たくさんあるだろうか!?」


 緋紀は力説するが、当の本人はピンとは来ていないようで首をかしげる。


「ほら!飯くれたり、家に泊めてくれたり、祓い屋から助けてくれたのも蓬だ!お前にはもう返しきれないくらいの恩がたくさんあるんだよ!」

「いや、そう言われても、僕は自分がやらなきゃと思ったことをしただけだからさ。でも気持ちは嬉しいよ。緋紀がそう言ってくれるんだったら今後もいろいろ助けてもらおうかな。でも、鎌鼬に襲われたときのは本当に気にしないでね、あのとき咄嗟に緋紀が入れ替わってくれたおかげでこの程度の怪我で済んだんだ。もし僕のままだったらもっとひどい怪我になってたと思うからさ」


 そう言って蓬はたははと笑う。呆けていた緋紀にもつい笑みがこぼれてしまった。


「ったく、ま、お前がそれで良いんならそれで良いさ。でも次はちゃんとお前を守って見せるぜ?」


 緋紀が蓬に向けて拳を突き出す。


「うん、ありがとう。それじゃあ、これからも頼りにさせてもらうね」


 それに応えるように蓬も拳を突き出す。二つの拳がトン、と重なる。拳がぶつかり合うのを見て二人はくすりと笑いあった。二人のやりとりを累はボーっと眺めていた。


「話終わった?そろそろご飯にしようか」


 蓬と緋紀の視線が累に行く。

 ―――すっかり、累の存在を失念していた。

 蓬と緋紀は気まずそうに俯いた。随分と男同士で勝手に盛り上がってしまった気がする。

 なんだか無性に恥ずかしかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……鎌鼬を探す?」


 蓬たち三人はちゃぶ台を囲むように座り、累の作った朝食に舌鼓を打っている。蓬は口の中に広がる味噌を味わっていると、累が話を切り出したのだ。蓬はハテナを浮かべる。


「ええ、そうよ」

「……危なくない?」


 鎌鼬を探す、蓬がその言葉を聞いて真っ先に感じた感想がそれだった。実際、蓬は昨日襲われたばかり、そう思ったのは蓬だけではなかったようだ。


「いきなりどうしたってんだよ。鎌鼬を探す?俺たちが?蓬は怪我したばっかだぞ」


 緋紀の指摘はごもっともだ。累は手に持っていた茶碗を置く。


「確かに危険、でもだからこそ探すの。考えてみて、鎌鼬を放置していたら今後も蓬みたいな被害者がどんどん増えることになるんだよ?特に、鎌鼬を探そうとしているオカルト研究部の人たちなんかは、何時襲われたっておかしくない状態だと思う」


 累の言葉に蓬はハッと息をのむ。

 確かに、累の言っていることは間違っていない、このまま鎌鼬を放置すれば被害は広がる一方だ。


「それって、鎌鼬を退治するってこと……?祓い屋みたいに」


 確かに鎌鼬は危険だ。だが、だからといって鎌鼬を退治するというのは蓬には抵抗があった。退治するということは、その者の命を奪うということだ。いざ鎌鼬と相対したとき自分の身体が動くのか、それは蓬自身にも分からなかった。

 そんな思いを抱える蓬への問いに、累は存外あっけらかんと答えた。


「べつに?そいつを殺すかどうかは蓬次第でしょ?」

「え?」


 累の言葉に蓬は困惑する。


「人と妖怪が過度に争わないように境界を引くのが千獄斎の役目。だから蓬、貴方が鎌鼬を見極めるの。鎌鼬を殺すか否か、もし蓬が殺すべきだと判断するならば、私はそれに従う」


 累の瞳に吸い寄せられる感覚がする。累の言葉から目を逸らしてはいけないと、そう蓬の無意識が言っているような気がしたのだ。

 自然と蓬の額に冷や汗が滲んだ。


「な、なんで、僕が……?累がやれば良いんじゃ―――」

「神代家の当主は蓬だよ。八代目千獄斎、それが今の君だから」

「八代目……」


 蓬は累の言葉を反芻する。

 八代目、つまり蓬よりも前にいたのだ。人と妖怪を取り持つために命を懸けてきた人たちが、そしてこれからは蓬自身が行っていかなければならない。


「なるほどねぇ……で、どーすんだ蓬?」


 今まで黙って話を聞いていた緋紀が蓬に問いかける。


「いや、どうするって言われても……」


 蓬は答えることが出来ない。

 鎌鼬を見極める、そして必要であれば殺す、それらを蓬自身が決めろと累は言っているのだ。いきなりそんなことを言われたところで出来るとは思えないし、そもそも自分が殺すかどうかを判断なんてして良いのだろうか、思考がぐるぐると回る。


「俺はよぉ、蓬」


 思考がこんがらがっていると、見かねた緋紀が口を開く。


「蓬がやるってんなら力になるぜ?」

「緋紀……」


 緋紀が豪快に笑う。


「難しく考える必要ないんじゃねぇか?まずはやってみてよ、無理そうならやめればいいんだ。蓬、お前は鎌鼬のことをどうしたんだ?」


 蓬は胸に手を当てて考える。


「僕はこれ以上、僕みたいに傷つく人は作りたくない。殺すとか、そういうのは分からないし、多分自分にはできないと思うけど……とりあえず、止めなきゃとは思ってる」


 蓬は自身の思いの丈を言うと、満足したように累は手をパン、と叩く。


「それじゃあ、決まりだね。鎌鼬を探しに行こうか」

「え、こんなんで大丈夫なの?結構ふわふわな決意表明だったと思うんだけど……」

「いいんだよそんなので、まずは動いてみることが大切だよ。動かなきゃ分かるものも分からないからね」


 累は少しぬるくなった味噌汁を手に持つ。


「それじゃあ、さっさとご飯食べちゃおっか。食べ終わったら、さっそく外に行くよ」


 勢い良く食べ始める累を見て、蓬と緋紀も遅れて食べ始める。

 こうして神代家でも、鎌鼬探しが始まった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 朝食を食べ終わった蓬たちは、鎌鼬を探すため玄関を出る。


「あれ緋紀、人の姿になってるよ!?」


 神代家の玄関から出ると、一つ目の怪物の風体からガタイの良い大男の姿に変わっていた。瞳の数も二つになっている。

 

「あ!?本当だ!どうなってんだこりゃ!?」


 緋紀も自分の身体を見て、信じられないというように顔をペチペチと触っている。

 

「おい蓬!もしかして俺の目、二つ目になったりしてるのか!?」


 蓬は肩を掴まれ、ぐわんぐわんと揺さぶられる。緋紀は必死の形相で詰め寄っているが金色の髪に大きなガタイ、周りを怯ませるような鋭い眼光は、正直裏社会でドンパチしてますと言われても違和感がない程で、そんな緋紀人間体に詰め寄られるのは心底怖く、蓬は目を合わせないようにすることだけを意識していた。


「ちょ、緋紀、近い、怖い、正直めっちゃ怖いから顔近づけないで!?」

「なにぃ!?……怖い、今の俺の顔怖いのか……」


 怖い、という蓬の発言にショックを受ける緋紀。

 意外と怖がられるのは好きではないのだろうか。思い返してみれば、少しご飯を分けただけで急に距離感が近くなった気がする。案外人懐っこい性格なのだろうかと、蓬は窓に映る顔を睨みつける緋紀を見ながら思うのだった。


「くっそー……どうなってんだ累!?」

「あー、言ってなかったけ……?」


 累は気まずそうに頬を掻く。


「緋紀は千獄斎が纏うための力として契約したでしょ?その場合、外で妖怪の力を使うことを封じられちゃうんだよね。だから今の緋紀はただの人間と同じになっちゃってるし、普通の人たちにも見えてると思うよ」

「まじかよ!?じゃあ、鎌鼬が出たときは蓬が戦うしかねぇってことかよ!?」

「まあ、しばらくは蓬が緋紀を纏って戦うことのが基本になるかな。でも、緋紀が戦うより蓬が緋紀を纏って戦った方が強いでしょ?ほら、前の祓い屋たちも一撃だったし」


 累の言っていた通り、緋紀が何も出来なかった祓い屋たちが蓬が緋紀を纏った状態だと赤子の手をひねるかのように圧倒的だった。

 蓬は心の中で頷く。


「まあ、それは確かに……」


 緋紀も同じ結論に至ったのか、納得するように頷く。苦虫を嚙み潰したような表情だったが。


「それじゃあ、私は学校の方を探すから蓬と緋紀は反対方向をお願い」

「え、一人で行くの?危なくない?」


 一人で行動しようとする累に蓬は心配そうな表情をする。累は安心させるように微笑む。


「私なら大丈夫。それより緋紀、蓬をよろしく、しっかり守ってあげてね」

「おう!任せとけ」

「お昼になったら一旦家に集まろっか、それじゃあ解散!」


 言い終わるとすぐに累は学校の方向へと歩いて行ってしまう。その後ろ姿をぼーっと見ていた蓬は緋紀へと首を向ける。


「僕たちも行こっか」


 それからというものどうやって鎌鼬について調べるのかまるで方法を考えていなかった蓬と緋紀の二人は、とりあえず人が多いところで聞き込みでもすればそれらしいのではと考え、近くの商業施設へと足を運んだ。近くにある商業施設はゲームセンターやカフェなど高校生や家族連れが多く訪れるショッピングモールになっており、休日である今日ならたくさんの人に聞き込みができるだろうと踏んだのだ。


「と、考えてきたものの……」


 中に入った蓬はショッピングモールを見渡す。いる人は誰も彼も集団でショッピングモールを謳歌しており、キラキラと輝いて見える。


「話しかけづらぁー……」


 ショッピングモールを見渡し、蓬は小さく項垂れる。

 考えても見てほしい、せっかくの休日に家族や友達と楽しんでいる中、

 ―――あのー、鎌鼬についてなにか知らないですか?

 とでも聞くのだろうか?無理だろう、普通に。確実に変な目で見られる。絶対にやりたくないと蓬はそう固く決心した。


「よし、それじゃあ聞き込みしてこうか。まずは緋紀、頑張って!」


 蓬は緋紀に押し付けた。


「いやいやいや待て待て待て!なんでそうなる!?」

「いやまあ、ねえ……?」


 驚きながら詰め寄る緋紀に蓬は視線を逸らしながら口をゴニョゴニョと動かす。

 蓬は必至に緋紀へと押し付けるための言い訳を考える。


「なんか、得意そうじゃん緋紀、そういう感じの……」

「俺まともに人間と喋ったことねぇって!?」


 そういえばそうだった。

 蓬は頭を抱えたい気分だった。これでは緋紀にうまく押し付けることが出来ない。


「あっ!だ、だからこそだよ!人と喋った経験がないからこそ、今がチャンスだよ!頑張って緋紀!」


 蓬は半ば強引に促す。


「いや騙されねぇよ!?蓬がやりたくないだけだろ!?」


 面倒ごとを押し付けあう二人。しかし、いつまでもこうしてはいられない、昼になったら一度神代家へと戻って情報共有を行う予定になっているのだ。そのときに成果がないどころか、聞き込み一つも行ってませんとは口が裂けても言えないのだ。


「じゃんけんにしよう」


 蓬は言った。

 二人は互いに拳を突き出す。


「じゃんけん―――!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 負けた。蓬はがっくりと項垂れる。

 一方の緋紀はというと勝った嬉しさを喜びの舞で表現している。周りからは恐怖の目で見られ、子連れの母が近づくとする息子を必死の表情で止めているのが見て取れた。蓬から見てもあまり近づきたくなかったので、腹を括ってさっさと聞き込みを行うことを決める。

 聞き込みで大事なことは誰に行うか、ということである。

 集団は駄目だ、話しかけづらいし、内輪ノリ的なのがきつい。あまりにも危険、怖すぎる。

 子連れも駄目だ、親の警戒心が強いだろう。あまりにも危険、不審者だと思われる。

 カップルも駄目だ、絶対邪魔者扱いされる。あまりにも危険、こちらの心が死ぬ。

 ―――狙うならあの、男二人組だな。

 蓬はこちらに向かってくる男二人組に目を付ける。服装が大人しめであり、話しかけやすそうな二人組だ。


「よし、行こう……!」


 蓬が一歩踏み出す。ターゲットの二人組はこちらに向かって歩いてくる。つまり蓬はここで待機し、男二人組が向かってくるタイミングで声を掛ければ良いということである。

 男二人組の進行方向に立つ、そして近づいてきたタイミングで意を決して声を掛ける。


「あの、すいません。ちょっといいですか?」

「……」


 男二人組は声に掛けられたことに気づかず、蓬を無視して歩き続ける。


「……?」


 蓬は理解できなかった。

 蓬個人の感想としては結構しっかりと声を掛けたつもりだったのだが、聞こえなかったのだろうか。


「はは、そうか……僕、鎌鼬に攻撃されたあの夜に、もう、死んでたんだ……」


 蓬は悟る。

 累も緋紀も妖怪を見える立場だから気が付くのに随分と遅れてしまった。気づけば、蓬の頬に涙の雫が一つ、伝っていた。


「……いや、普通に無視されただけだと思うぞ?」


 後ろから緋紀の声がする。

 蓬を気遣うような声色に瞼が決壊した。


「うわーーん!!僕、頑張ったのに!あいつら酷いんだ!?」

「おいこら!しがみつくな、抱き着こうとすんな!周りに見られるだろ!?」


 咽び泣く蓬を必死に剝がそうとする緋紀。周囲の目が集まり、冷や汗を掻く。


「とにかく離せって……!今度は俺が行ってやるから……!」


 蓬を引き離し、緋紀は聞き込みに向かう。


「な、なあ、ちょっと話聞かせちゃくれねーか?」

「あ、はい……ひぃ!?」


 緋紀が声をかけたのは女子高生二人、制服でお茶していた二人組は緋紀の姿を見るや否や、怯えた表情で顔を歪ませる。二人は少し涙組んでいた。


「この辺りで―――」

「すみません私たちはお金持ってませんからぁ!!」


 緋紀が再び口を開いた瞬間、女子高生二人は飲んでいたドリンクをその場に放り、脱兎のごとく去っていった。


「な、何が起きた……?」


 あまりの手際の良さに、目を丸くして呆気に取られる緋紀の肩を蓬は優しく叩いた。


「二人で……頑張ろっか」

「うん……」


 緋紀の声は少しだけ、涙ぐんでいたような気がした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 それから蓬と緋紀は二人で力を合わせて聞き込みを頑張ったものの、結果は芳しくなく、鎌鼬に関する情報は何ら得ることが出来ないでいた。情報が得られないだけならともかく、鎌鼬について聞くたびに変な人を見るような目に長時間晒され、蓬たちは大いに疲弊していた。

 蓬たちはショッピングモールを出た近くにあるベンチに座り、外の空気を吸っていた。


「ダメだー、なんの情報もねぇじゃねえかー……」

「なんか、すっごい疲れたねー……」


 二人揃って溜息をつく。

 きれいな青空に白い雲が流れるのを、二人はぼーっと眺めていた。


「実は鎌鼬なんていなかったんじゃないの?だって誰も知らないよ?ほんとに巷で噂なの??」

「そうだなぁー、世界は実に平和だ。とても妖怪が襲ってるなんて感じしないよなー」


 二人はもう一度、溜息をつく。

 ベンチの前では小学生くらいの少女が犬の散歩をしており、蓬たちの前を通り過ぎる。


「ああ、犬だな……」

「犬だねー、ああいうの見てると癒されるよねー」


 二人の前に現れる小動物に、荒んだ心が少しずつ癒されていく。

 細長い胴体に丸く小さな耳が可愛らしく、首輪を付けた犬は少女の前を先を走る。

 随分と変わった犬種なのか、四肢が短く、犬じゃないと言われれば信じてしまうそうなくらいである。


「いやあれ犬か?え、あれってほんとに犬?なんて犬種?」


 違和感を持った蓬が緋紀に問いかける。


「え、犬……じゃねぇな!?あれなんだ、いたち……いたちじゃね?鼬だぁ!鼬だぞ蓬!?」


 思わず立ち上がった緋紀に釣られて、蓬も動揺しながら立ち上がる。


「え、え、鼬……?あれ鼬なの?えええ初めて見た!?なんであの子鼬飼ってるの!?」


 蓬たちが驚いている間にも鼬を連れている少女は、歩いてどこかに去ってしまいそうだ。蓬と緋紀は顔を見合わせると、すぐさま少女を追いかける始める。


「待って待って!ごめん、ちょっといいかな!?」


 必死に呼び止める蓬の声に少女が立ち止まる。


「?どうしたの、お兄さんたち誰?」

「いきなりごめんね?少しだけ話聞かせてもらってもいいかな?怪しいものとかじゃないんだけど……」


 蓬が少女に目線を合わせて、蓬が今出来る限りの笑みで警戒させないよう振る舞う。しかし、少女の目線は蓬へと行くことはなく、蓬の後方、緋紀へと注がれている。

 少女が緋紀を指差した。


「こっちのお兄さんも怪しくないの?」

「うぐっ!!」


 傷ついたように緋紀が胸を強く抑える。

 蓬が焦りながら弁解する。


「うんうん!そう思うよね!?でも、大丈夫だから!こっちの怖いお兄さんも実は優しい人だから!」


 少女が疑いの目で二人を見る。


「ホントに?」

「「ホントにホントに」」


 ハハハ、と二人して笑う蓬たち。笑いすぎて逆に怪しいくらいであったが、どうやら少女の警戒心は薄れたようだった。


「それでなに?話って」


 少女が可愛らしく首をかしげる。


「うん、僕の名前は蓬。こっちのお兄さんは緋紀っていうんだ。君の名前は?」

「恵」


 少女――恵は端的に答えた。


「そ、そっか。恵ちゃんが連れてるその動物ってさ……犬かな……?」


 恵は犬だか鼬だか分からない小動物を見る。その小動物は感情の読めない表情で蓬をじーっと見つめ、どこか不気味な雰囲気がある。

 恵は小動物をしばらく見つめていると、蓬の方に振り返り口を開く。


「……多分?」


 恵が自信なさげに答える。


「多分なんだけど……これ犬じゃなくて、鼬じゃないかな……?」


 蓬は持っていた端末から鼬の画像を検索し、恵に見せる。

 恵は見せられた画像とリードにつないでいる小動物とを見比べる。首を画像と小動物との間で行ったり来たりしていると、徐々に恵の顔が青ざめていく。


「そんな……!ポチは犬じゃ、ない……!?」


 恵はリードにつながれた鼬、通称ポチを見て驚きの声をあげる。当の鼬はやっべーバレた、みたいな感じで視線をアワアワとさせている。


「まあ、でも別にどっちでもいいか……」


 驚いていた恵が急にスンと静かになる。

 まあ、冷静になってみれば飼っていたのが実は鼬だったからなんなんだって話ではある。それで何かが変わるわけではないだろう。

 アワアワしていた鼬がふーっと安心したように息を吐く。

 なんでこの鼬は妙に動きが人間染みているんだと、蓬は心の中で考えながら鼬を見る。


「それでさ、最近、夜の鎌鼬事件っていう人が襲われる事件が起きてるんだけど―――」


 鎌鼬、蓬がこの言葉を発した瞬間、恵の手に握っていたリードから抜け出し、鼬がどこかへと逃げ出した。


「ポチっ!!どこいくの……!?」

「お、追いかけよう!」


 悲鳴をあげる恵を落ち着かせ、蓬はすぐに追いかけようとする。

 逃げ出す鼬はすばしっこく、建物から建物へと乗り移り、狭い隙間を縫って進み続ける。人間の大きさでは通れない道も多く、蓬たちはすぐに鼬を見失ってしまった。


「どこ行きやがった!あの鼬野郎!」

「あっという間に撒かれちゃったね……」


 蓬と緋紀は辺りを見渡すが既に鼬の姿は見当たらない。


「俺、あっちの方探してくるわ!」

「うん、わかった!」


 蓬と恵から離れ、緋紀は鼬の捜索をしに走る。

 蓬と恵の間に、しばし沈黙の時間。


「ポチ、急にどうしちゃったんだろう……?」


 恵が不安げな声を漏らす。顔は俯き、迷子になってしまったことに気づいたような、そんな幼子の表情だった。


「恵ちゃん、こんなことになっちゃってごめん」


 蓬はしゃがみ込み、恵と目線を合わせようとする。

 ポチが恵の前から消えることになったのは、ひとえに蓬たちのせいだ。あの鼬が鎌鼬に関係していることを感づいていたうえで聞いたのだ、そんなことをすれば逃げ出そうとすることなど簡単に想像できただろうに。だから、責任は蓬たちにあった。責任がある限り、その責任は果たさなければならない。

 俯く恵の顔を少しでも上にあげたかった。


「ポチは僕が恵ちゃんの前に連れてくるよ、絶対に」


 蓬の言葉に恵の顔が少しだけ上がる。


「本当に……?」


 恵の声が揺れる。その揺れてしまっている声を蓬は落ち着かせてあげたいのだ。


「約束する」


 蓬と恵の瞳が交差する。

 恵の動揺も少しは収まったようだった。


「おーい!よもぎぃー!」


 遠くから緋紀が戻ってくる。


「すまん蓬、やっぱり近くには見当たらねぇな」


 戻ってきた緋紀が申し訳なさそうに頭を搔く。


「行こう、緋紀」


 しゃがみ込んでいた蓬は立ち上がり、緋紀へと向く。

 向き直した蓬の表情を見て、緋紀は目を丸くする。


「鎌鼬を止めに行く」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 逃げ出した鼬を探すため、蓬と緋紀は走る。あの鼬は鎌鼬ないし、鎌鼬と何らかの関係があるのは確かだろう、そのため鼬を探すのは蓬と緋紀が請け負い、恵には暗くなる前に家に帰るように言ってから分かれることにした。


「……あのポチの正体が鎌鼬なのかな?襲われたとき、一瞬見えた鎌鼬の姿より小さい気がするんだけど。それに恵ちゃんの目に見えてるってことは本当にただの鼬なんじゃ……?」

「あのガキに見えてることに関しちゃ、あの鼬が化けてるって考えれば辻褄は合うぜ?」

「化けてるって……そんなことあるんだ……」


 蓬の疑問に緋紀が答える。

 妖怪と言えば、人を化かす話が古今東西無数にあるものだが、蓬が実際に見た機会は数えるほどしかない。

 化けた妖怪とはあそこまで自然で分からないものなのだろうか、妖怪とは思えない、本当にただの小動物に蓬は見えたのだ。


「鼬といえば、狐七化け。狸八化け。貂九化けつって、狐や狸と同等以上に化かすのが上手いって言われてるぐらいだからな。気づかないのも無理ねぇんじゃないか?ま、あの鼬野郎を捕まえれば分かる話だ」


 鼬を見失ってから既に結構な時間が経つ。昼はとっくに過ぎ、もう辺りは橙色に染まり始めている。

 昼になったら一度、累と合流するという約束も破ってしまっている。再び会った時に累がどんな顔をしているのだろう、起こっているだろうか、それとも何もかもお見通しで案外何事もなかったりするのか、蓬には皆目見当もつかず身震いする。

 

「おい蓬、臭ってきたぜ」

「……どうしたの緋紀?」


 緋紀が鼻を鳴らしながら、周囲を見る。


「妖怪って言うのはな、夜に近づくにつれて力が増してくるんだ。臭う、臭うぜ?あの時の鎌鼬と同じ気配だ!」


 緋紀は何かを辿るように走り出す。蓬も慌てて緋紀を追いかける。

 緋紀たちは大通りを外れ、細長い道を駆け抜ける。角を右に左に、緋紀の背中を追いかけ続けていると、段々と人通りの少ない道へとつながり始める。

 細い路地裏を抜けると、そこには逃げ出した鼬―――ポチの姿があった。

 鼬は苦しそうな表情で、蓬たちを見る。


「やっと見つけたよ、ポチ」

「……お前が、ポチって言うな……人間」


 鼬はもはや隠す気もなく流暢に人の言葉を喋り始める。

 喋り始めた鼬の姿に蓬たちは目を丸くする。


「やっぱり……君が鎌鼬だったんだね。ポチ」

「……だからポチっていうな」


 鼬が不愉快そうに鼻を鳴らす。


「ポチって名前じゃないの?」

「それは恵が勝手につけた名前だ。お前に呼ばれる筋合いはない」


 四足歩行だった鼬は立ち上がり、二本の足で直立している。

 鼬は疲弊した様子で、息を荒げている。


「大丈夫、ポチ?なんか辛そうだけど……」

「だから……!ポチって言うな……!?俺は鎌鼬のレンという名だ……!そんな可愛らしい名で俺を―――ゲホッゲホッ!」

「大丈夫!?」


 咳き込み、蹲る鼬に蓬は咄嗟に駆け寄る。

 心配そうな蓬とは裏腹に、緋紀は冷たい視線を鼬に向けていた。


「……それで?妖怪のお前がなんで人間のペットなんぞに成りすましてやがる?どうして人間を襲っている?」

「緋紀……気持ちは分かるけど、今レンに話を聞くのは難しいんじゃ……」

「いや、いい……俺が話す……」


 鼬は苦悶の表情を浮かべながらも口を開く。


「俺と恵が出会ったのは半年前だ……ご飯がなくて行き倒れていたところを恵が助けてくれたんだ……それ以来、あいつの家に世話になっているだけだ……」

「じゃあなんで……人を襲っているの……?」


 蓬が疑問を浮かべる。

 行き倒れていたところを助けられ、それ以来行動を共にしている。まるで自分と緋紀みたいだと、蓬は感じた。ではなぜ、この鼬は人を襲う?人を襲う理由にいったい何がある?

 鼬は苦しそうに胸を押さえる。


「我慢できないんだ……!夜になるにつれ、俺の内側が暴れだすんだ……!!抑えようとしても!!人間を刻めって!!そう疼くんだァ!!」


 鼬は胸を掻きむしる。蓬でも肌で感じられるくらいの禍々しい気配が、鼬から感じる。

 ―――この感覚が、妖気か。

 祓い屋たちが言っていた妖気という感覚、今の蓬はそれが痛いくらいに理解できた。


「なるほどな、急に鎌鼬の気配が分かるようになったかと思ったが……夜になるにつれ理性がなくなっていくのか」


 緋紀は納得する。それと同時に赤い空が、黒くなり始めていること気付く。


「まずい……!離れろ蓬!!そいつはもう危険だ!!」


 緋紀の掛け声に咄嗟に緋紀の方へと振り向く蓬。蓬の後方、鼬の方からグルルルルと唸り声が聞こえてくる。

 日が、落ちる。


「グァァァァァァァァァッッ!!」


 空が漆黒に染まる。

 理性が消える。

 蓬の肌に殺気がナイフのように突き刺さる。

 夜の鎌鼬事件の張本人、妖怪鎌鼬が蓬の目の前に立っていた。

 

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