暗黒騎士カイル(1)
天気のいい穏やかな春の昼下がり。この世界で生活し始めて、ちょうど1週間が経った。
正確には前世の記憶を取り戻してから1週間なのだが、それ以前の私は実質別人なので(記憶もないし……)この表現の方がしっくり来る。
昨日から、王城の正門すぐ手前に運動会の来賓席に使われるようなテントが設置された。中には椅子が向かい合わせに4脚用意され、間に長机が置かれている。
私は奥の椅子に腰掛けて、ぶらぶらと暇を持て余していた。
「こんな得体の知れない小娘に揉め事の相談をする人なんて、いないよなぁ」
長机の前には立て看板が置かれており、
『住民トラブル相談窓口☆
あなたの町のお悩みを 何でも聞きます 解決します』
とでかでかと書かれている。
猛烈に恥ずかしい。まるで罰ゲームをさせられているような気分だ。
「もしかして、リヒトってば私をおちょくってる?」
だとしたら許せない。
「いや、あの人はいつだって本気です。今回も真剣な気持ちで企画しています。
実はここだけの話、看板の文字を書いたのもリヒト様なんですよ」
頭の中で、フォローしているのかディスっているのか分からないカイルの声が聞こえる。
「本当に? でも謁見した時に、王様半笑いだったよ!」
パワハラ事件の翌日、リヒトが国王(つまりは彼の父親)に事件の報告がてら『ご近所トラブル解決大作戦』を提案したところ、王は即座にOKを出した。
私もその後すぐに召集されて挨拶をしたのだが、
「ふぅ〜ん、君が噂の『王子のお友だち』か。まぁ、肩の力を抜いて気楽に頑張ってね♪」とメチャクチャ軽い返事だった。
今思えば、国家的プロジェクト責任者との顔合わせをするためではなく、息子のガールフレンドの顔を拝むために会ったのだろう。全くとんでもない父子だ。
「そういえば、王様の顔ってリヒトにそっくりなんだね。
あんまり似てるからビックリしちゃった」
しかし年齢数十歳と体重数十キロを今のリヒトに足したような感じだ。
「王子が中年太りしたらこうなるっていうサンプルみたいな人ですよね!
リヒト様ってば、父君のようになりたくないって、食事と運動には人一倍気を使っているんですよ〜」
カイルよ、お前はなんて口が軽い男なんだ。さすがに王子が気の毒である。
しかしあのリヒトがダイエットねぇ。王子には悪いが、意外すぎて笑えてくる。
◇◆
私が(傍目には一人で)ニヤニヤしていると、不意に目の前に影が差した。
「お仕事お疲れ様です。
今、話しかけてもいいですか?」
可愛らしい少女の声に顔を上げると、先日の事件の娘が立っていた。
お局様からのパワハラに耐えかねてテーブルナイフを突きつけてしまい、危うく犯罪者扱いされかけた子だ。名前は確かロッテだっけ。
「今は急ぎの仕事も無いし、全然大丈夫ですよ。
よかったら、ここに掛けてください」
私は彼女に向かいの椅子を勧めた。
本当は一切の仕事が無い状態だったが、何となく恥ずかしくて表現をぼかす。
「先日は大変な所を庇ってくださって、本当にありがとうございました。
昨日処分が下されましたが、アンジェラさんと王子のおかげでかなり情状酌量をしてもらえて。厳重注意だけで許してもらえました」
「お咎めなしにしてもらえなかったんですか。本当はロッテさんが被害者なのに」
「王子も同じ事を言ってくださいました。
でも、お城の規定に違反した以上は、罰は避けられない。だから我慢して形式的に処分を受けてもらえないかって、わざわざお願いに来てくださったんです」
王子が裏で色々動いていたようだと、カイル経由でちらっと聞いたな。
形だけの処分か。いかにも体裁を気にするお役所らしい。
「本来なら職を奪われて追放されてもおかしくないですし、私が起こした事件ですから。これで済んだのは奇跡みたいな事です。
王子にも、そう伝えていただけませんか」
「はい、喜んで。今度の業務報告の時に話しておきますね。
……仕事といえば、あの人はどうなったんです? マリーさんと一緒に仕事するの気まずくないですか」
ロッテはパッと顔を輝かせる。
「マリーさんは、減給の上でガチョウ小屋の番に配置換えになりました。
次に何かあれば、容赦なくクビにすると王子が釘を刺してくださったそうなので、もう安心です」
「じゃあ今は平和なんだ。よかったですね」
「ええ、本当に働きやすくなりました。また休憩の時間に遊びに来てくださいね。
ところで……この看板なんですが……」
遠慮がちに話を切り出したロッテは、おずおずと看板の方を指差した。
「アンジェラさんって、困りごとを解決するお仕事を始められたんですよね?
頼ってばかりで本当に申し訳ないのですが、実家の猫が3日前から行方不明なんです。一家総出で探しても全然見つからないみたいで。
どうか、協力していただけませんか?」
猫探しはご近所トラブルとは違う気がするが、私は引き受けることにした。
他に仕事も無いし、何より女の子の頼みを断る気になれなかったのだ。
どうも私もリヒト王子に似てきたようだ。