親分は王子様(4)
王宮で発生した傷害未遂事件とその背後にあったパワハラ事件は、リヒト王子の助けもあって、無事に解決までたどり着けた。
王子の要望により、厨房にはパワハラ被害者のロッテと王子、そして私の3人だけが残ることとなった。
「私のような下賎な者に対して、身に余るお心遣いを頂き誠に恐縮です!」
今にも土下座しそうな勢いのロッテを落ち着かせて、王子は優しく微笑みかけた。
「俺は別に何もしていないよ。礼ならアンに言ってくれ。
それより、今までイジメにも負けずに、お城のために頑張って仕事をしてくれてありがとう。辛い思いをしていたことを、気づいてあげられなくてごめんね」
王子はロッテの頬に手をやり、そっと涙を拭った。
不意打ちを食らった少女は、歓喜のあまり卒倒しそうである。
ロッテが部屋を出ていった途端に、王子は嬉しそうに飛び跳ねてガッツポーズをした。
「今回も見事だったな! このまま酒場で祝杯を上げるか。
仕事終わりのビールは最っ高に美味いぞ」
アンタはサラリーマンか。
「晩餐の準備がしてあるじゃないですか。コックさんが一生懸命作ってくれる料理なんですから、ちゃんと召し上がってください」
私のツッコミに、少し不満げながらも王子は頷く。
「じゃあ、食事が終わったら飲みに行こうぜ」
3日連続で酒場に行こうとするなんて、よっぽどビールが好きなんだな。私は呆れて笑ってしまう。
◇◆
王子と二人で厨房から出ると、外で控えていたコックたちに混じって、ニナさんが鬼の形相で待ち構えていた。私を指差して言う。
「リヒト王子、この子は一体誰なんですか」
曖昧に笑って逃げようとする王子だが、彼女は追及の手を止めない。
「今日入ってきたばかりなのに、ただの侍女と思えないくらい親しげにして!
親の紹介なんて嘘っぱちだわ」
ひょえ〜、早速バレてもうた。明日からどないしよう。
「アンジェラは、この国のありとあらゆるトラブルを解決するために俺が特別に雇った侍女だ。君も困った事があったら何でも相談してごらん」
混乱のあまり関西弁になってしまった私をよそに、しれっと王子がエグい事を言い放つ。『何でも解決』なんて侍女の範疇をはるかに超えてるっつーの。
ここにもパワハラ上司がいますよー!! 妖怪ムチャ振り男ですよー!
私はさっき厨房にいた全員に呼びかけたい気分だった。
ニナさんはまだ納得していない様子だったが、反論を許さない王子の無言の圧力に負けたようだ。
「少なくとも、噂されているような関係ではないんですね。王子がそう仰るなら、信じます」
「ありがとう、わかってくれて嬉しいよ。
安心してくれ。俺は今までも、そしてこれからも皆の王子であり続けるよ」
ニナさんの手を握り、バチーン☆と音が出そうな勢いでウインクを繰り出す王子。
ニナさんはハートを撃ち抜かれたようで顔を真っ赤にし、はわわ……と言葉にならない声を出しているが、私は吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。
『皆の王子』って何だよ! どこのブリっ子系女子アナウンサーなんだ、お前は! 言葉が喉まで出かかって、引っ込めるのに苦労する。
「リヒト様、それじゃあキザを通り越してダサいです!」
いつの間にか姿を消していたカイルの笑い声が、頭の中でこだました。
◇◆
それからおよそ2時間後。私は約束どおり、酒場『冒険者』でリヒトと落ち合った。
リヒトは懐から布で包んだ食べ物を取り出して、カウンターの皿の上に載せた。よく分からない肉のローストやチーズ、パンが次々と並ぶ。夕飯の一部を食べずに持ってきたようだ。
給食をこっそり持ち帰る小学生みたいな行為に、ある意味感心する。
「一応、アンは別の世界からのお客様だからな。ちゃんともてなさないとダメだろう」
そう言いながらも、次々と自分の口に運んでいる。
そして私の呼び名は『アンコ』ではなく、ここでの名前の略称とも取れる『アン』が定着したらしい。
「明日になったら王や大臣にもアンの事を話そうと思っている。そうすれば、俺達の『ご近所トラブル解決大作戦』も正式な任務になるだろう」
昨日と同じようにマイペースに飲み食いしながら、王子は自分のプランを説明してくれた。ご丁寧に変な作戦名までつけている。
「計画を実行するのはいい事だと思うんですけど……
ここの人たちって、私の仲裁なんて必要としていない気もするんですが」
「なんだよ、アンって考えなしに突っ込んでいく割に、すぐ弱気になるよな」
図星だが、不安に思うことは仕方がない。
「だって魔法さえあれば、今日みたいなトラブルは当事者同士ですぐ解決しますよ」
結局、私の言葉なんかよりも水晶のビデオ判定の方が侍従長の心を動かしたのだから、出しゃばらなくてもよかったんじゃないか。そんな気がしてならない。
「ちゃんと相手の話を聞く耳があればな。
今日だって、向こうが自分から証拠を出せと言いだすまでは、目の前に突き付けられても見向きもしなかっただろう」
リヒトは珍しく、ひどく投げやりで皮肉な言い方をした。
「便利な呪文や道具があっても、むしろ沢山あればある程に、目の前の人の言葉に耳を傾けなくなる。そして、自分の見た狭い世界だけで全てを判断してしまう。
その結果が今のこの有様だ。俺はこの国が大好きだが、それでも酷い状況にあるのは認めざるを得ない。
明日から覚悟しておけよ、アン」
険しい表情になった私の顔にグラスを押しつけ、リヒトはいたずらっぽく笑う。
「大丈夫。お前が持ってる、相手の心を開かせるスキルと、いい意味で空気を読まない性格があれば何とかなるって。
危なくなったら今日みたいに俺も駆けつけるから、心配すんな」
「アンジェラ殿、ここの住民のためにも、どうかよろしくお願いします」
今まで無言で飲み物を注いでくれていたマスターが、私にジュースを渡しながら真剣な顔つきで話しかけてきた。
「あっしは昔、職人の親方をしておりましたが、ひょんな事からトラブルに巻き込まれましてね。
左腕を切り落とされて、すぐに回復魔法で接合してもらえたんですが、指先がマヒしてしまいまして……職人としては使い物にならなくなってしまったんです」
沈痛な面持ちの王子に向かって、「王子のせいではございません」と言いたげな優しい表情を浮かべながら、マスターは続ける。
「リヒト王子は、小さい頃からお城を抜け出して庶民の生活を見物するのがお好きでね。町の住民はみんな、王子を自分の息子のように可愛がってきたのですよ。
立派に成長された後も、度々遊びに来てはこの国の在り方について民と議論を重ねているんです。
やんちゃ坊主のようにも見えますが、根はまじめで、本当にお優しい方なんです。
どうか、王子に力を貸して差し上げてください」
まだ真剣な表情を崩していないが、それでも急に褒められた照れを隠しきれないリヒト王子が、ふと可愛く思えてきた。
「よろしくね、親分」
王子に聞こえないくらいの声で、私はそっと呟いた。