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未来への道標(1)

 神殿から脱出した翌日の朝、私はいつもと同じように自分の部屋のベッドで目を覚ました。早朝の冷え込みに夏の終わりを感じる。


 起き上がって足元の掛け布団に手を伸ばした私は、すぐ傍で眠っている人物の存在に気がついた。



「うわぁぁぁ!! なんでなんでなんで!!!」


「どうかなさいましたか、アンジェラ様!」



 声に反応して出てきたカイルに向かって私は口元に人差し指を立てた。彼の視線の先には、昨日のままの服装で安らかな寝息を立てているリヒト王子の姿があった。



「もう一線を越えたんですか!? 恋が実ったその日の晩にやっちゃうなんて、さすがに展開がはやすぎじゃ……もごもご」



 憶測で勝手なツッコミを入れるカイルの口を、両手でしっかりと塞ぐ。



「違うから! 昨日起きたことを全部説明するから、とりあえず黙って聞いて!!」



 よっぽど寝心地がいいのか、私とカイルが騒いでいるのにも気づかない様子で、リヒトはすやすやと眠り続けている。そんな王子を横目にベッドから出て上着を羽織り、書き物机の椅子を思い切り引き寄せた。


 そうは言ったものの、どこから説明するべきだろうか。とりあえず私は、アグニアネス教団の神殿から帰ってきたところまで記憶をさかのぼることにした。



◇◆



 私を救出する手助けをしてくれた精霊クルトは、王都に入る直前の街道で突然別れを告げてきた。



「オレ、この辺で帰るわ」



 カイルの馬に乗っていたはずのクルトが、私たちの後ろに立っている。城の近くまで来たんだから泊まっていけと言うリヒトに、彼は顔をしかめた。



「悪いけどさ、お客様として迎えてもらうほどアンタらのこと信用してねーんだよ」


「でも、まだ全然アンと話してないだろ? 仲間には、精霊王の生まれ変わりに会いに行くって言ってたんじゃないのか」


「別に。顔だけ見れればいいんだよ。

ってゆーか、アンタももうちょいオレのことを警戒したら? コイツを連れて帰られたら困るんじゃねーのかよ?」



 そうだった。一緒に逃げているうちに忘れてしまっていたが、彼は価値観も利害も異なる、別の種族なんだ。


 返事に詰まったリヒトを見て、クルトは少し寂しそうな表情をした。



「……恋人なんだろ、大事にしてやれ」



 そっけなく言い捨てると即座に向きを変え、来た道を戻っていく。



「ありがとう。また会おうね、クルト」



 私の言葉に反応したのかクルトは一瞬立ち止まったが、振り返らずに前へ大きくジャンプをした。彼の足は地面には着かず、そのままふわりと宙へと舞い上がる。


 住処である森の奥を目がけて飛んでいく少年を、私たちは姿が見えなくなるまでじっと見守り続けた。



◇◆



 その後、私はリヒトに部屋まで送ってもらうことにした。本来なら護衛のカイルがすべき仕事な気もするが、国王への報告と武器の手入れのため別行動となったのだ。


 静まり返った寮の廊下に、2人の足音だけが響く。カイルはひょっとして気を利かせてくれたんだろうか。余計なことを……と思いつつも、さりげなくリヒトに触れるとその手をぎゅっと握られた。


 私の部屋に着いてお休みの挨拶をした後も、リヒトは何か言いたげにその場に立っていた。どうかしたのか尋ねると、照れた様子で切り出された。



「一つだけ、ワガママを聞いてもらえないか?

……目を、閉じてほしいんだ」



 真剣な表情に戸惑いながらも、私は黙って頷いて言われたとおりにする。


 覆いかぶさる気配を感じて身を固くした次の瞬間、私の唇はかすかに柔らかいものに触れた気がした。


 チュッという音と共に、唇を軽くついばまれる。



「魔法をかけたんだ。もう、離れることがないようにな。」



 赤面したまま恥ずかしそうに顔を伏せたリヒトは、そのまま目も合わせずに去っていった。



◇◆



 着替えや歯磨きなどの最低限の支度だけ済ませると、私はベッドに倒れ込んだ。疲れているはずなのに気持ちが落ち着かず、眠りにつけない。


 これまで見たものや聞いたことが頭の中に蘇ってきて、ぐるぐると際限なく回り続ける。


 無事に帰ってこられたことも、リヒトと晴れて両思いになったことも、喜ばしいことには違いない。でも、私は大切な事を見落としていないだろうか。自分の行いは、発言は、果たしてあれでよかったのか。



 思考の無限ループ状態から脱するため、気分転換に夜更けの散歩をすることにした。寝巻のままで城の中庭に行くと、リヒトがベンチに座っていた。



「アンも眠れないのか?」


「うん。今までの出来事を振り返ったら、急に色々と不安になってきて……」



 私を助けるためとはいえ、リヒトは犠牲を払いすぎたんじゃないだろうか。敵だったはずの精霊と手を組んで、味方だった神殿に危害を加えるなんて、王国への影響が大きすぎる。


 アンは被害者なんだ。かかった火の粉を払っただけだから、気にすんな。それに、教義を受け入れるだけでなく内政にも干渉しだした神殿とは、遅かれ早かれ距離を置く必要があったんだよ。


 リヒトはそう言ってくれたが、私はどこかで納得ができなかった。



「精霊についても教団についても、私は深い事情をなにも知らないのに。取り返しがつかないレベルで引っ掻き回した気がするの」


「この国で語られる『事情』は、あくまで人間側の一方的な言い分に過ぎないさ。

余計な偏見の無いアンに背中を押してもらえて、かえっていい選択ができたんじゃないかって俺は思うんだ」



 部屋まで送ろうか、とリヒトは優しい瞳で問いかける。しかし、気がかりなことは、それだけではなかった。



「もしかして、()()()の事か」



 リヒトは深くため息をついた。


 ハインツは、おそらく本気で聖女ダニエラを愛していたのだろう。ただ、彼にはその愛と向き合う勇気がなかったのだ。


 ダニエラと結ばれる事を諦めたハインツは、代わりに彼女に近づく者を徹底的に排除した。その結果が、今回の事件だった。そんな気がしてならないのだ。



『他人を愛することは勇気が要るけど、逃げちゃダメよ。きっと後悔するから』



 王子の下の姉、ユリアさんからもらった言葉を思い出す。



「正直に言うとね、ハインツのことを他人とは思えないの。人を愛することから逃げようとした自分も、一歩間違えればああなったのかもしれないから」



 ハインツがダニエラと結ばれてくれることを、私は密かに願っていた。確かに私はゲームで彼のことを理解したつもりになっていたが、果たしてそれだけが原因だろうか。


 心のどこかでダニエラに嫉妬して、あの子をリヒトから遠ざけようとしたからじゃないだろうか。


 感極まって泣いてしまった私を、リヒトの腕が優しく包み込む。



「嫉妬なんて、誰にでもあることだよ。でもアンは、他人を傷つけて平気でいられる人間じゃないから。

もしもアンがあいつと同じ立場になったとしても、絶対別の行動をしていたと思う」



 リヒトは私の頭の上にそっと手を置いた後で、慌てて引っ込めた。



「そういば、アンは頭を撫でられるのが苦手だったな。すまない」



 臆病な目つきで見つめてくるリヒトが恋しくて、私は思い切り抱きついた。



「いいの。もっとして」



 リヒトが私の毛先にゆっくりと触れる。頭や肩、背中に移ったその手に優しくさすってもらっているうちに、私はいつしか安らかな気持ちになっていった。


 その後の記憶がないのだが、状況から考えるとそのまま眠ってしまったみたいである。リヒトの方も体力の限界だったのだろう。運んでくれた後で私のベッドで力尽きてしまったようだ。



◇◆



「……というわけで、これが事の真相です」



 説明を終えた私は、カイルに向かって深々と頭を下げた。



「誓って何もしていないから! だから見なかったことにして、リヒトが起きる前に帰って」



 未だに眠りこけているリヒトを一瞥してから、彼は呆れた様子でため息をついた。



「わかりました、アンジェラ様の言葉を信じます。

でも気をつけてくださいよ、男は狼なんですから。相手がリヒト様とはいえ油断は大敵です。挙式までは、くれぐれも軽率な真似は慎んでくださいね」



 昭和歌謡曲のフレーズのような昔懐かしい感じのお説教を残して、カイルは私の部屋から引き上げていった。


 ひとまず大事に至らずに済んだようだが……挙式ってどういうこと? 言葉の意図が全くつかめないが、あの人はたまに変な事を言うからな。


 私は特に気にせずスルーすることにした。ちゃんと問いただしていればよかったとのちに後悔することになるが、この時はまだ知る由もなかったのだ。

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