きみが好きだから(2)
神殿の地下牢で、リヒト王子が神官ハインツに剣を突き付ける。松明の炎に照らされた王子の顔は、要求を無視するハインツへの苛立ちを隠さない。
「俺の声が聞こえないのか。早く鍵を開けてアンを解放しろと言ってるんだ」
「これはこれはリヒト王子。何やら穏やかでない様子ですね。しかし他人に物を頼むときには、それなりの方法でないといけませんよ」
ハインツは私の首に巻き付けた蔓の端を持ったまま、懐からナイフを取り出して私の喉元に当てた。
「女の命が惜しければ、剣を床に置きなさい。そのまま両手を上げて、壁に向かって手をつくのです。
……全く、王子ともあろうものが我が教団に歯向かおうだなんて、酔狂なことですね」
「テメーこそ、ベラベラとよく口の動く奴だぜ」
リヒトは強気な口調を残しながらも、ゆっくりと剣先を地面へと下した。しかし彼の目線は私とハインツではなく、その先へと向けられている。
ハインツが王子を急かす言葉を口にしたとき、どこからともなく笛の音が聞こえてきた。それに交じって、かずかに地鳴りのような音が響いてくる。
トクン、トクンと私の首に巻かれた蔓が、小さく脈を打ち始めるのを感じた。背後の地鳴りが轟音へと変わるのに合わせて、蔓の鼓動も激しくなっていく。
不思議に思って首元を触ろうとすると、シュルシュルと音を立てながら結び目がひとりでに解けていった。私から離れた蔓は、そのままハインツ目がけて一直線に飛んでいき、瞬く間に彼の両手をグルグル巻きに縛りつけた。
「な……! 何が一体、どうなっているんだ!?」
早くこの妙な蔓を斬ってくれ! ハインツが後ろを振り返り、未だに炎と格闘している看守を怒鳴りつけたその時である。私の後ろの壁から何本もの巨大な木の根が生えてきて、凄い勢いで鉄格子に向かって伸びてきたのだ。
私の脇を通り過ぎて、人の腕ほどの太さの根っこが牢屋の扉に絡みついていく。そのまま前に押し出す形で、バキバキと音を立てて強引に扉をこじ開けてしまった。
根っこの襲来が収まると、土埃の中から人影が見えた。
「アン、もう大丈夫だ! 早く俺の方へ来い!!」
リヒトがこちらに手を差し伸べる。その手を取った私は、強く引かれて彼の胸の中へと倒れ込んだ。耳元で安堵のため息が聞こえる。
「よかった、無事だったんだな……」
逃げるために体勢を整えようとすると、リヒトは「動かないで」と言うなりサッと抱き上げ、慌てる私をよそに歩き出した。
倒された鉄格子の扉を慎重にまたいで独房から出ると、ハインツが恨めしそうな目で睨みつけてきた。足元まで迫ってきている根っこから逃げるのに必死で、こちらには近づけないようだ。
「その女の正体がおぞましい化物だということを、知らないわけがないのに」
ボソリと呟いたその言葉を、リヒトは聞き逃さなかった。私を抱きかかえたままで再び剣に手をかけてこう返した。
「今のアンは仮の姿なんかじゃなくて正真正銘の本物だ。これ以上は恩師でもダニエラの従兄でも容赦はしない。次に化物呼ばわりしたら叩き斬ってやるからな」
「神殿と対立する危険を冒してまで助けに来るなんて、正気とは思えませんよ。なぜこのような暴挙に出たのです?」
リヒトは剣を抜く代わりにハインツのもとに近寄ると、彼のみぞおちを強く蹴飛ばした。両手を縛られたハインツはバランスを崩してそのまま倒れる。
その間抜けな顔を見下ろしながら、地下牢全体に響き渡るような声でリヒトは叫んだ。
「そんなもん、好きだからに決まってるじゃねーかよ! バーカ!!」
これで終わりだと思うなというハインツの捨て台詞を背に、私をお姫様抱っこしたリヒトは真っすぐに駆けだしていった。
◇◆
リヒトの首に両腕を回して全力でしがみついた状態で、薄暗い廊下を進んでいく。初めのうちはポジションを保つのに必死で周りを見る余裕もなかったが、しばらくしてふと視線を下に向けると見知らぬ少年が王子の隣を無言で走っていた。
こんな子ども、いつからいたんだろう? 多分リヒトに同行してきたんだろうけど、軽装だし荷物持ちもしていないので従者のようにも見えない。そして何より謎なのが、その若草色の髪と、その間から覗かせる長く尖った耳だ。
疑問は尽きないが、私を抱えたまま片手で衛兵を倒していくリヒトにはとても話しかけられそうもない。そうこうしているうちに、私たちは階段を上って神殿の1階に出てきた。
「くそ! 待ち伏せされていたか!!」
廊下には20人くらいの兵士が、すぐにも飛び掛かってきそうな様子で剣や槍を構えている。リヒトは私をそっと降ろすと背中に隠し、剣を両手で握りしめた。
これだけの人数を相手に戦うのは、いくらリヒトでも分が悪い。向こうもそれを見越していたようで、リーダー格とみられる兵士が私たちに近づいて投降を呼びかけてきた。
その時、少年はおもむろにポケットから小さな金色のフルートを取り出した。制止する兵士たちの声も聞かずに演奏を始めると、その音に合わせるかのように、床石の継ぎ目から細い根っこが兵士の足を目がけて伸びてきた。
「王国め、やはり精霊に魂を売り渡したのだな。
……だが草木など、炎で焼き払えばいいだけのこと!」
魔術兵が杖を天にかざして呪文の詠唱をはじめると、待っていたかのようにリヒトが飛び掛かかる。剣で杖を一刀両断すると、すぐさま後ろに回り込み、もう片方の手で魔術兵の首筋を叩いて気絶させた。
足を引きずり倒されてうめく兵士を背に、リヒトが剣を鞘に戻して意気揚々と帰ってきた。私の肩を抱いて、自信満々な表情でウインクする。
「どうださっきの、完璧なタイミングだろう! 褒めてくれてもいいんだぞ」
しかし私がリアクションをする前に、横から少年の冷めた声が飛んできた。
「精霊を敵に回した奴に、魔法なんて使えっこないだろ。無意味に暴れてドヤるな、バカ王子」
「くっそ~、可愛げのないガキだ!!」
「お前の方こそ、ハナ垂れ小僧のくせにオレ様にそんな口を利くなんて、千年早いんだよ」
リヒトと少年の2人だけで会話が進んでいて、色んな意味で話の流れに着いていけない。
だが木の根が異常なスピードで生えてきたことや敵側だけ魔法が使えないことから推測すると、『ローゼンベルクと精霊が手を組んだ』という情報は正しかったようだ。
それでは、音楽で木の根を自在に操るこの少年はもしかして……?
「ねぇリヒト、この子って……」
「おいバカ王子、まさかこのイモ娘じゃねーよな」
私が王子に投げかけた言葉は、口の悪い謎の少年によってかき消されてしまった。リヒトは笑いながら答える。
「いいや、そのまさかだ。ここにいるアンこそ、お前の想い人、精霊王アイーシャの生まれ変わりだよ」
「……うるせ~! 余計な事言ってんじゃねーよ!!」
真っ赤な顔で肩を震わせる少年を指さして、リヒトは満面の笑みで言った。
「アンに紹介するのが遅くなったな。
この子はクルト。見た目も中身もまだ幼いが、これでも150歳を超えるれっきとした精霊王代理だ」
「誰が幼いだって? アホに調子を合わせてやってるだけだ!!」
ふんわりした猫毛にくっきりした目鼻立ちで、茶褐色の瞳を長いまつ毛が縁取っている美少年。短パンと口の悪さで男だとわかるが、下手すると女の子に見間違えてしまいそうだ。
しかし少年は、可愛い見た目と裏腹にただならぬオーラを身にまとっている。私は少し身構えながら深くお辞儀をした。
「初めまして、アンジェラ=マイヤーです。あの、危ない所を助けてくれてありがとうございました」
「……別に敬語じゃなくてもいいよ。オレのことはクルトって呼んで」
少年はなぜか一瞬だけ目を見開いて驚いた様子を見せたが、すぐに元のぶっきらぼうな態度に戻った。
王子は普通の子どもに接するように、クルトの頭を押さえつけている。
「なんだよ、俺への態度と全然違うじゃないか。ひょっとしてアンに惚れたのか?」
「そんな訳ねーし。ってか『精霊王が捕まった~』なんて言って泣きついてきた奴が、デカい態度取ってんじゃねーよ。他の奴らは皆疑ってたから、オレ様が来てやらなかったら完全無視されてたんだぞ!」
「ああ、そうだったな。悪かったよ。もちろんその件については感謝してるさ」
どうやらリヒトは私を救出するために、自らが先頭に立って精霊との同盟を結んだらしい。その決断力と実現までのスピードに、私は驚きを禁じ得なかった。
しかし彼とクルト少年が交渉している様子を想像すると、あまりの可愛らしさについほっこりしそうになる自分がいる。
私たちの胸にかろうじて届くほどの背丈しかない、まだ小学校低学年くらいの少年がリヒトに向かって憎まれ口を叩いている。その姿はまさしく『可愛げのないガキ』そのもので、とても150歳を超えるとは思えなかったのだ。




