会議は踊らない(1)
――私は、一体どうなってしまったんだろう……?
内側から湧き上がる力に身を任せて、体が宙へと浮かび上がる。視線を天井の方に向けて、そのまま高く飛び去ろうとしたところで、私はふと立ち止まった。地上から叫び声が聞こえる。
「待て! 誰だか知らないが、てめぇアンに何しやがった」
声のあった方を見下ろすと、リヒト王子が剣を構えてじりじりと近寄ってきている。その後ろには、おびえた様子のダニエラと必死で立ち上がろうとするカイル、顔面蒼白で立ち尽くすハインツの姿があった。
口がひとりでに動き出し、頭の中にない言葉が次々と飛び出す。自分の体のはずなのに、まるで他の人に操られているようだ。
「アンとは誰の事だ。……我が名はアイーシャ、碧き森を統べる者。
封印を解いたのは貴様か? 愚かな人間共よ、先の戦で我が森を蹂躙した報いを受ける覚悟はできておろうな」
自分が発したはずの言葉に、驚愕する。
右手の指先から緑色の触手のようなものが伸びて、リヒトの方に向かっていく。無数の白い花を咲かせながら凄まじい勢いで成長する植物の蔓だ。王子は間一髪のところで避けるが、すぐ横をかすめた蔓の先が床を砕き足場を崩す。
「これで終わりだ、かよわき者よ」
甲高い声で意地悪くせせら笑いながら、左手を差し出す。指先が疼き、新たな蔓が生えようとするのを私は感じた。
(ダメ! もう止めて!!)
心の中で声にならない叫びを上げたその時、私の体が動きを止めた。出した手を戻し、胸の前で拳を握る。自分自身を全身全霊で抑え込もうとするが、私の中で芽吹きつつある植物が勢いを止めることはなかった。
耐え切れずに左手を頭上に突き上げると、さっきリヒトを襲ったのと同じような蔓が、何本も束になって噴き出してきた。
「うわぁぁあ……」
急激に体の力が抜ける。私はうめき声をあげながら地面にズルズルと降りていき、そのまま意識を失った。
◇◆
目覚めると、いつもの見慣れた光景が広がっていた。私はローゼンベルク城の寮で、自分のベッドに横になっていた。
「アンジェラ様……? どうやらお目覚めのようですね。お体の調子はいかがですか」
カイルが心配そうに私を覗き込む。
私の体はすっかり元に戻っていた。さっきまでの出来事はすべて夢だったのだろうか。ぼんやりした頭でそう思うが、意識がはっきりするにつれて手首に違和感を覚えた。
「体調は悪くないけど……これは何なの?」
私は手を動かして、鎖をジャラジャラと鳴らした。両腕を上げた状態で手枷がはめられ、ベッドの背もたれ枠につながれている。
「万が一暴れ出した時のために、かけさせていただきました。不快に思われるのも無理はないですよね。申し訳ございません」
カイルが力なく返事をする。あれは現実だったんだ。私は我を忘れて、彼が困惑するのもお構いなしに質問を畳みかけた。
「私はダニエラの神殿にいたはずだよね。どうして寮に帰っているの?
ねぇ暴れるってどういうこと? 私、何かやったの?」
まさか……言葉を続けようとする私の口を、カイルの手がそっと塞ぐ。
「アンジェラ様が気を失った後、僕が魔法を使って連れて帰ってきました。詳しいお話は後でいたしますので、とりあえず落ち着いてください」
カイルは立ち上がり、窓の方へと歩いて行った。ゆっくり3回叩いてから窓を開けると、リヒトが顔を覗かせた。私の方に気遣わし気な視線を投げかけてくる。
彼が何やら囁きかけると、カイルは廊下に出て人がいないことを確かめてから、ベッドの方に戻って私の手錠を外した。
私は腕を下ろして、ゆっくりと起き上がる。立ち上がる時に前に倒れ込みそうになるのをカイルに支えてもらい、そろそろと窓に歩み寄った。
「アン! 大丈夫か、怪我はないか?」
そう言われて、自分がボロボロだったことを思い出した。ハインツに殴られた頬を抑えるが、不思議なことに全く痛みを感じない。
「少しクラクラするけど、私は平気。
そんな事よりも、神殿とダニエラはどうなったの? 私の体に一体何が起きたの?」
「アンは、アンだ。全然、なんにも変わっちゃいない。ダニエラも無事だよ。
心配はいらないから、今はとにかく体を休めるんだ」
リヒトは優しくいたわるようにそう言った。事件が起きる前と全く変わらない、真っ直ぐな瞳で私を見てくれている。私は、彼の言葉がその場しのぎではなく本心から出たものだと直感した。
しかし王子の顔からは、はっきりと疲労の色がにじみ出ていた。ここに戻って何日が経ったかは分からないが、私が目覚めるまで一睡もしていないのかもしれない。
「リヒトの方は大丈夫なの? 顔色が悪いよ、もしかして寝てないの?」
「まぁ色々と仕事が立て込んで、ちょっとばかりバタバタしていたが……アンを見たら、疲れが全部吹っ飛んだよ」
そう言って元気よく笑ってから、リヒトはふと黙り込んだ。
数秒間、時が止まったように無言で見つめ合う。王子は名残惜しそうにしながらも、後でまた会おうと言って姿を消した。私の目の前には、魔法の残滓だけがキラキラと輝いていた。
◇◆
最後のひとかけらが消えるのを見届けた後で、私は振り返りカイルに向き直った。リヒトに会えたからだろうか、未だにわからないことだらけなのに、不思議なくらい落ち着いていた。
「気持ちの準備はできたから。何が起きたか教えて」
私の意志の強さを悟ったカイルは、慎重な口ぶりで説明を始めた。
「アンジェラ様は、『聖女の祝福』のことはご存知ですか?」
私は静かに頷いた。
ピンチの時に、ダニエラの口づけが起こす奇跡のことだろう。ゲーム内で彼女とキスした人は、誰でも莫大な力を手に入れて、たとえどんなに不利な戦いをしていても一発逆転を起こしていた。
「瀕死の状態にあったアンジェラ様を、ダニエラ様が祝福の力で蘇生させようとしたのですが……どうやらその際に、過剰に分け与えた力がアンジェラ様に眠る記憶を呼び覚ましてしまったようなのです」
「記憶って、まさか精霊王の……」
そのまさかですよ。カイルの答えに私はめまいを覚えた。ハインツの言いがかりが真実だったなんて、信じたくない。
変わり果てた自分の姿を思い出す。手から自在に蔓の鞭を生やす、異形の女。私は自分の両手をじっと見た。
「私、化け物になっちゃったのかな。
……リヒトに襲い掛かろうとしてたよね。なんとなく覚えているの」
私の手をカイルの両手がそっと包み込んでくれる。
やっぱり意識がおありだったんですね。彼はそう呟くと、感嘆のため息を漏らした。
「途中で攻撃を止めたのは、アンジェラ様が抵抗したからなんですね。あれがなければ暗黒魔法を発動させる事も、元のお姿に戻す事も叶わなかったでしょう」
自分を抑えられなかったら、二度と人間に戻れなかったのかもしれない。私は軽く身震いをした。
「あのまま攻撃されていれば、僕もリヒト様も無事ではいられませんでした。アンジェラ様、あなたは命の恩人です。本当にありがとうございました」
酷い目に遭わされたはずのカイルから、予想もしていなかった感謝の言葉をもらい、私は戸惑った。
「あんな恐ろしい事が起きたばっかりなのに、リヒトもカイルも私のことを怖がったり動揺したりしないんだね。私は、自分で自分のことが怖いよ」
「怖いはずないじゃありませんか。
アンジェラ様は、僕にとってかけがえのないお方なんです」
今までも、これからもずっとですよ。カイルはにっこりと微笑む。その目には、一点の曇りも見つからなかった。




