聖女にラブソングを(3)
聖女ダニエラに誘われて、私とリヒト王子は彼女の住む神殿を訪れた。和やかな雰囲気で歓談を楽しむが、それも束の間。外出中のハインツが戻って来たことで、部屋の空気は一変した。
ダニエラと城下町で別れた時のハインツを思い出す。まるでゴミを見るような目で王都を侮辱した彼に対して、私は転生前に抱いていたポジティブな感情を到底持ち続けることはできなかった。
それはどうやら隣に座っているリヒトも同じようで、いつになく険しい表情で臨戦態勢をとっていた。
私たちの気持ちを知ってか知らずか、聖女の従兄は友好的な笑みを浮かべてこう言った。
「王子がこんな所まで遊びに来てくれるなんて珍しい。お連れの女性はお初にお目にかかりますね」
「この方はリヒトさんの部下でいらっしゃる、アンジェラ=マイヤー様ですわ。私たち、さっきお友だちになったのよ」
一度見ただけなので無理もないことだが、ハインツは私のことを覚えていないようだった。
ダニエラは、嬉しくてたまらないといった様子でハインツに話しかけた。雰囲気を台無しにしたくはないので、私たちも彼女に合わせて笑顔を取り繕う。
「へぇ……普段本ばかり読んでいる君が、他の人に興味を持って自分からお友だちになるなんてね。アンジェラさん、僕もあなたたちと一緒にお話をしてもいいですか」
(え~、どうする?)
(まぁ断る訳にもいかないし、仕方ないよな)
王子と目で相談した後で、内心渋々だが承諾することにした。
それから私たちは、好きな本や王立学院での学校生活についての話題で盛り上がった。少なくとも表面的には、平和な時間が過ぎていく。
雑談をしているハインツは王子の前で暴言を吐いた時とは全く違い、優しくて穏やかな好青年そのものだった。しかし時折、ダニエラを見る彼の目が深い憂いを帯びているのを私は見逃さなかった。
ハインツの気持ちは、きっとゲームの中と変わらない。ダニエラに恋をしているのだろう。でも彼女の方はよくわからないんだよなぁ。まだ恋愛とか、興味がないのかな。
……また詮索してしまった。すぐに首を突っ込みたがるのは、悪い癖だ。私は心の中で反省した。
日が傾き始めた時、ハインツは私と王子にここで泊まって行かないかと持ちかけてきた。その瞬間、ダニエラの表情がパッと輝く。
「さすがに悪いから、今日はこれで失礼させていただこうか……」
「ねぇ……折角だから、ご厚意に甘えてもいいんじゃない?」
断ろうとしたリヒトを、私は横からつついて説得した。もちろんハインツ目当てなんかではない。提案を聞いたダニエラが、あまりにも幸せそうな顔をしていたからだ。
ダニエラは孤独に悩まされているのでは……。以前に町を観光した時から、私はそう感じていた。彼女が私を慕ってくれるのが寂しさの裏返しだとしたら、傍にいてあげることでそれを少しでも和らげてあげられないか。そう思ったのだ。
◇◆
夕食と入浴が終わった後、私は来客用の寝室でゆっくり休んでいた。
神殿に来て一番驚いたことは、別棟に大浴場があったことである。魔法を使えても大量のお湯を用意することは簡単ではないので、この世界では貴族でも数日に一度しかお風呂に入ることはできない。
普段はお湯に浸した布で体を拭き、1ヶ月に1度だけ魔法道具を駆使してシャワーを浴びていた私だったが、まさか毎日入浴している人たちがいたとは。
「どうせ異世界に転生するなら、私も聖女になりたかったなぁ……」
無いものねだりのため息をついていた私だったが、ノックの音でハッと我に返った。
扉越しに、ダニエラの鈴の音のような澄んだ声が聞こえる。寝る前に、2人きりでもう少しお話がしたいというので、私は快諾した。
ダニエラの部屋はゲーム内で見た事はあったが、実物はずっと豪華で一歩足を踏み入れた途端に圧倒された。
入って左手にベッドと勉強机が並んでおり、右側半分は、天井まである本棚に囲まれていた。中央には、背もたれのない大きなソファと低いサイドテーブルが置かれている。
本好きとは知っていたけど、こんなに沢山あるなんて。まるで図書館だ。
思わずマジマジと見てしまっている私に向かって、ダニエラは優しく声をかけた。
「アンジェラも本がお好きなの? 興味のある本があれば、どうぞ手に取ってお読みになってね」
さすがは聖女の本棚だ。聖典や神話などがずらりと並んでいる。私が気になった本やダニエラお勧めの本の概要と見どころについて、彼女は1冊ずつ丁寧に教えてくれた。
途中で私は、本棚の隅の方に騎士道物語が並んでいることに気づいた。恋愛がメインの作品ではなく、中世の男性が好んで読む、いわゆる冒険物語である。
こんな本も読むなんて意外だわ……そう言う私に、少し照れた様子で彼女は説明してくれた。
「お兄様はどこが面白いんだって不思議がるけど、一緒に冒険しているような気持ちになれて楽しいの。
それに、王を助ける騎士たちの勇敢さや高潔さ。彼らは皆対等で、お互いが信頼し合っているから、それはそれは強い絆で結ばれているのよ。男女の結びつきなんかよりも、ずっと尊いと思うわ」
途中までは納得ができたが、最後に過激な主張が飛び出したので若干引いてしまった。しかしツッコミを入れられそうな雰囲気ではない。
乙女ゲームの主人公らしからぬ発言をしたダニエラは、真剣な表情で私を見つめてこう言った。
「誰かとそんな関係になりたいって、ずっと思っていたわ。
……アンジェラと出会えて、それが叶いそうでたまらなく幸せなの」
予想外の言葉を受け、私は戸惑った。彼女の言葉に値するような純粋な想いを、私は持っていなかったからだ。
それに、もっと強く彼女を慕っている人間が他にいることを、私は知っていた。昼間のハインツの悲しそうな瞳。恋人を他人に奪われたような、深く傷ついた表情を思い出す。
知り合って間もないのに、こんな話をしていいか分からないけど……。私はそう断った上で、頭に浮かんだ疑問をそのまま投げかけた。
「ダニエラは、今まではそういう関係を築けなかったのかな。もちろん私が相手になれれば凄く嬉しいけど、他の人とは無理だというのは思い込みじゃないかな。
……だってハインツさんも、ダニエラのことを大切に思っているはずだよ」
「前は……確かにそうだったのかもしれない。でも今は、お兄様の考えていることが分からなくなってしまったわ。
あれはダメこれはダメって命令してきたり、私が仲良くなった相手に意地悪をしたり……。本当は、学院に入ることだって反対されていたのよ」
ハインツの名前を口にすると、途端に彼女の表情に暗い影が差した。
外の世界から遮断しようとしているのは教団そのものではなく、ハインツ個人なのか。私はそう直感した。だとしたら、理由はおそらく愛情からの嫉妬だろう。
乙女ゲームでの穏やかで幸せそうなハインツは、あくまで恋愛ルートに入った後のこと。2人の関係が異なれば、行き場を失った想いが別の形で表に出るのは仕方がないことなのかもしれない。
私が余計な質問をしてしまったせいで、微妙な空気のまま、なんとなく会話が途切れてしまう。
もう遅くなっちゃったし、そろそろ自分の部屋に帰るね。そう言ってドアに手を掛けた私の腕を掴んで、ダニエラは強く引き留めた。
お願い、話を聞いて。そう言って俯く彼女の表情を私は読み取ることができなかった。
「ハインツお兄様がおかしくなったのは、多分……私のせいなの」




