聖女にラブソングを(1)
ある晩、私は目を覚ますと大きな柔らかいベッドで横になっていた。
この建物は、アグニアネス教団の神殿だ。例の乙女ゲームで見た事がある。
ダニエラになった夢でも見ているのだろうか……私は自分の姿をボーッと眺めた。真っ白なネグリジェ、綺麗にウェーブした長い金髪。全てが清潔で、美しく整っている。
部屋のドアが開くと、ハインツが顔を覗かせた。スープが入ったトレイを手に持っており、私の顔を見て優しく微笑みかけてくる。
「調子はどう? 薬が効いて、少しは楽になってきたみたいだね」
ベッドに近寄りトレイを脇のテーブルに置くと、彼は私のおでこにそっと手を載せてきた。
「熱がありそうだ、まだしばらくはベッドから出ちゃだめだよ」
ハインツは壊れ物を扱うように優しく撫でてくれる。おでこから頬へと滑る彼の手が、冷たくて気持ちがいい。
そういえば、こんなシーンがゲームにあったな。ダニエラがハインツと一緒に神殿の屋上で星の観察をしたけど、体を冷やして次の日に倒れちゃったんだっけ。
確か仕事が相当忙しいはずなのに、全部後回しにして付きっきりで看病してくれたんだよなぁ……。
二度とプレイしたくないクソゲーだが、この場面だけは正直に言ってかなり好きだ。
夢の中で追体験できるなんて幸せ……♡とうっとりしつつも、私はどこかで冷静だった。この前ダニエラを迎えに来た時と、あまりにハインツの雰囲気が違いすぎたからだ。
あの時はとにかくピリピリしていてダニエラに対してもどこか冷たく当たっている印象だったが、今は温厚そのものだ。迷惑をかけているはずなのに、どこか幸せそうですらある。
じろじろと不審そうに見つめる私を、彼はベッドの外から覗き込んできた。
「小さい頃、今と正反対な事があったね。
僕が高熱にうなされていると、君が家に来てくれて看病してくれた。ねぇ、まだ覚えている?」
私が返事をする前に、ハインツはゆっくりと顔を近づけてきた。
「あの時みたいに、口づけをしたらダニエラの風邪も治るのかな……」
やばい、キスシーン来るぞこれ!! 熱のせいか、体が動かない。思わず叫びそうになった私は、自分の良く知るベッドの中でガバッと起き上がった。
そうよね、やっぱ夢よね。
まだ外は暗かったが、私が再び眠りにつく事はなかった。前世、死ぬ直前にプレイした乙女ゲームの事を考える。
『乙女の祈りと薔薇の園』には攻略対象キャラクターが5人いた。リヒトとカイル、この間市場で見た貴族ペーター、隠しキャラの魔王、そして従兄のハインツだ。その中でも王子とハインツはメインの攻略対象のため、他のキャラに比べてイベント数も多めになっていた。
ぶっちゃけた話、私があのゲームの攻略をやめなかったのはハインツが原因だった。
どこか子どもっぽさの残る他のキャラや粗野で横暴な魔王と違い、彼は知的で上品で落ち着いている。おまけにダニエラの親戚なだけあって容姿も抜群に良い。まさに完璧なキャラクターである。
これよこれ、こういうキャラでいいの! オタクも二十歳を超えたら、落ち着いた男性と大人の恋愛がしたくなるのよ……。
ゲーム版リヒト王子のチャラさにゲンナリしていた私は、最初にハインツを見た時に砂漠でオアシスを発見したような気分になったのを覚えている。
私がしていたのは所詮、架空のキャラクターとの疑似恋愛。それは充分わかっていたはずだった。それなのに、まさか夢にまで出てくるなんてね……。
軽くため息をつき、今はさほど好きではないはずの元推しキャラのことを考えながら、再びベッドに横たわった。
◇◆
明け方に起きてしまったせいで、出勤後も仕事に集中ができない。書類をめくっていても、報告書をまとめていても、ハインツの顔が頭に浮かんでしまう。
昨夜の夢での優しいお兄さんと、この間の冷酷そうな神官が同一人物とはとても思えない。さては二重人格? それとも双子? などと眠たい頭でぼんやり考えている私の目の前に、ドサっと書類の山が降ってくる。
顔を上げると、エミールが呆れ顔でこちらを見ていた。
「仕事中に何よそ事考えているんですか。先日の火災の報告書を作成したので、暇だったらさっさと目を通してください」
「は、はーい。スミマセン……」
部下に注意されてしまった。気まずい思いをごまかすように、私は黙ってエミールの報告書を開く。
全体をザッと確認したところ、被害報告が詳細かつ分かりやすくまとめられており、魔法が使えない場合の対応策もバッチリ練られていた。
ねえエミール、私は顔を上げて彼に声をかけた。
「街区ごとに1セット火消し道具を設置するアイディアはいいね。水を汲んだバケツを各家庭の玄関先に置いてもらうっていうのも、いざと言う時役に立ちそう。後は予算の確保だね」
「その辺りは抜かりありませんよ」
エミールは、にやりと自信ありげな笑みを浮かべる。もう根回しを始めているようだ。
「あとは、火消し道具の近くに水を貯める大きな桶でも置けるといいんだけどな」
「場所が確保できるかどうか微妙ですが、一考する価値はありそうですね」
「今度外回りする時にでも見てくるよ。またしっかり読んでから、気になる所をまとめて言うね」
「はい、よろしくお願いします。じゃあ私は通常の業務に戻りますね」
そう言うと、彼は意気揚々と自席へと戻っていった。
この人やっぱりデキる。イヤミな発言も前に比べれば落ち着いてきているし、エミールがこの部署に留まってくれてよかった、と私はしみじみ思った。
◇◆
エミールの報告書の内容確認と、その他急ぎの仕事がいくつか残ってしまったため、その日は少し残業する事にした。
眠気覚ましのペパーミントティーを飲んで一人で黙々と書類に向かっていると、入り口からリヒト王子の声がした。
「部屋にいないと思ったら、まだ仕事してたのか。遅くまで大変だな」
「うん、もう少しでキリのいい所まで終わるから頑張ろうかなって思って。よかったら中の椅子に座って」
王子はカウンターの中に入り、エミールの椅子を私の隣に置いて腰掛けた。カイルも後ろから続く。
「リヒトがこんな時間にこっちに来るなんて、珍しいね。どうかしたの?」
「ダニエラから、手紙が届いたんだ」
王子は上着のポケットから封筒を取り出した。中には手紙が入っていて、先日のお礼と自分だけ途中で帰ってしまったことのお詫びが丁寧にしたためられている。
手紙の最後には、『今度のお休みにお時間ございますか? この前お会いしたアンジェラ様と、ぜひご一緒に遊びにいらしてください』と書かれていた。
「でも忙しかったら俺一人で行くから、アンはムリして来なくても大丈夫だからな」
その時、リヒトがダニエラと2人きりで話をしていた場面が頭をよぎった。ただの同級生だとはわかっていても、これ以上接近してほしくない。
私は嫉妬と不安を隠して、努めて明るく答えた。
「週末までには大きな仕事はみんな片づきそうだから、私も行くよ。せっかくのお誘いだからね」
「お疲れのご様子ですし、あまり無理しない方がいいですよ」
「いーの、いーの。平気へいき」
心配そうなカイルに、私は笑って大丈夫だとアピールする。
「要件はそれだけかしら? また時間とか集合場所が決まったら教えてね」
そう言って再び机に向かおうとした私の肩を、リヒトは軽くポンポンと叩いてきた。
「あのさ、もう少しで終わるなら待つからさ。一緒にメシ食わないか。アンもまだだろ」
ひょっとして、夕飯に誘いたくてこっちまで来たのかな。私は自然と笑顔になった。
「もちろん、喜んで」
本でも読んでいてと言う私に、リヒトは自分にもできることがあれば手伝わせてくれと申し出てくれた。私は遠慮なくお願いし、その日結局王子とカイルと3人で仕事を片付けた。




