若きエミールの悩み(2)
外の日が傾いてきた頃、私は王子に提出する改革案を眺めていた。数時間で作成したので、まだまだ修正の余地がありそうだ。
関係資料の確認が必要な箇所や、他の人の意見を聞きたい箇所に赤鉛筆で印を付けていると、突然勢いよくドアが開く音がした。
作業に没頭するあまり来客を確かめるのも億劫だった私だが、ハンナの素っ頓狂な声で顔を上げた。
カウンターの向こう側には、今日ここにいるはずのない人物が無言で立っていた。
「今日は一日休みなんじゃなかったの?」
「……所用は終わりましたので。ご迷惑をおかけしました」
昨日の勢いはどこに行ったのか、エミールはなんだか元気がなさそうである。
私は席を立って彼の方に向かって行き、さっき作り終えた書類をカウンター越しに差し出した。
「所轄事項の変更案を作ってみたよ。他の仕事の合間に作ったから、まだ粗が多いと思うけど。変えた方がいい所があれば教えて」
エミールは黙って書類を手に取り、熱心に読み始めた。
「ウチが問題だらけなのはわかってたからさ、何とかした方がいいって思っていたんだよね。
自警団が見回りを始めたことによって酒場の喧嘩がどの位減ったかとか、住民同士の話し合いで解決に至った件数とか、エミールがまとめてくれてたから作業もしやすかったよ」
これからは、業務内容を政策ニーズの調査に絞りたい。
目安箱や口頭での要望の取りまとめをハンナに、それを踏まえた素案作りをエミールにやってもらえば、無理のない分担になる。私は深刻な住民トラブルの仲裁と、作ってもらった書類の最終確認をすればいいかなと思っている。
残業時間の統計と一緒に持っていけば、上も検討してくれるんじゃないかな……。そんな事を話していると、全部に目を通したエミールが信じられないといった表情でこちらを見つめてきた。
「今日1日だけで作ったんですか、しかも私の考えを基にしてくださるなんて。昨日あんなに失礼な態度をとったから、無視されると思っていましたよ」
「知ってるから。意見を出してくれたのは相談室を潰すためじゃなくて、良くするためだって。
だーかーら、これからもドンドンご意見お願いしますねっ! クラウゼ先生」
最後の一言を軽くからかう調子で笑いながら放つと、エミールはつられて苦笑した。しかし彼の顔は、私の机にあるクシャクシャになった紙を見た途端にサッと青ざめた。
「あれって、私の意見書では……。やっぱり、怒ってらっしゃったんですね」
「一方的に文句をぶつけられて頭にきたんだもん。これからは企画書の形で、席にいる時に直接提出すること!」
はい、反省しております。エミールは珍しく素直に謝った後で、自嘲するように笑った。
「あなたも王子も、どうしてこんなに謙虚で冷静なんでしょうね。ずっと年上のはずなのに、私の方が子どもみたいじゃないですか」
私はともかく、なんでリヒトの名前が出てくるのだろう。
「もしかして、リヒト王子の所に行ってたわけじゃないでしょうね!?」
「行きましたよ。あなたに出した書類と同じことを直接話してきたんです。
自分の力不足は痛感しているが、トラブルに苦しむ住民を放っておけず成人まで待てなかった。どうか力を貸してほしいって。そう言われましたよ」
確か今日は学校だったはずだ。登校前の忙しい時にわざわざ話しかけたのか、それともまさか学校まで行ったんだろうか?
どちらにせよ、職場に不満があるからって、王子に直訴するなんて正気の沙汰とは思えない。
「どうせアンジェラさんは私の意見なんて聞いてくれないし、王子に認められなかったら退職しようかとも思っていたんですけどね。怒られるのを覚悟して行ったのに、まさか頭を下げられるなんて。
17歳の子どもがですよ。信じられませんよ」
呆れのあまり、怒りを通り越してなんだか笑えてきてしまった。後ろからハンナのクスクスと笑う声も聞こえてくる。
「エミールって、時々信じられないくらい大胆になるんだね。私が無茶をしてるって言うけど、王子に直訴したエミールも大概だと思うよ」
「そっそれはまた別の話ですよ。私はただ……あなたが心配だったんです」
それきり彼はうつむき、何も言わなくなってしまった。よく見ると、猛烈に照れたような表情をしている。
「今日はこれだけ報告に来たので。失礼しますっ!」
私がジロジロ見ていることに気づいたのか、そのまま踵を返して外に出てしまった。
◇◆
エミールの非礼を詫びるため、仕事が終わるとすぐに私はリヒトの部屋に向かった。ちょうど授業が終わって帰ってきたところだったらしく、部屋の手前で捕まえることができた。
「今日、私の部下のエミールが来たと思うけど……。王子におかしな事を言ったりしてない?」
「ああ。昼休みに来て、相談室の業務について少し話をしたな。」
アイツ、やっぱり王子にも文句を言いやがった。私は頭を抱えたが、リヒトは不思議そうに見ている。
「あまり無計画に仕事内容を増やさない方がいいとか、自治権を奪わないためにも住民ができることは住民に任せた方がいいとか、色々と有意義な意見をくれたぞ。また熱い議論をしに来てくれって、アンから伝えておいてくれないか」
「彼が失礼な振る舞いをして、申し訳ありませんでした。私からキツく叱っておきます」
堅い口調で謝り深く頭を下げた私を見て、王子は慌てた様子を見せた。
「全然失礼なんかじゃなかったぞ。むしろ勉強になったから感謝してる位だ」
「部署の中で揉めていたのが、王子に飛び火したんです。こっちで解決すべきだったのに」
「おいおい、除け者にしないでくれ。アンが困った時に俺が助けるのは当然じゃないか。」
体を起こそうとすると、王子にそのまま頭を掴まれてガシガシと撫でられた。
元気付けようとしているのだろうか? それにしては、ちょっと乱暴すぎる。女子にする頭ポンポンではなく、まるで飼い犬でもかわいがるような撫で方だ。
「ほーら、よしよし。そんなにしょげるなよ。いきなり他人行儀な態度を取られると俺の方が寂しいぞ」
「私、頭撫でられるのあんまり好きじゃないかも……」
というか、もうちょい丁寧にやってほしい。
「わ、悪かった。しょんぼりしているアンが可愛くてつい」
自分が言った言葉にハッとしたのか、リヒトは即座に私の頭から手を離して自分の口を塞いだ。その瞬間に、ボンっと音を立てそうな勢いで赤面する。
「とにかく、自分だけで抱え込もうとするなよ。もっと俺を頼ってくれ。なんてったって、俺はアンの親分なんだからな」
なんだか却って変な気を使わせてしまったようだ。これからはリヒトを信頼して、悪いことが起きたら誤魔化さずにちゃんと相談しよう。
表情が緩んだ私を見て、リヒトはほっとした笑みを浮かべた。
王子から『親分』という言葉を聞いて、私は酒場で仕事を引き受けた時のことを思い出した。あの時は冗談か本気かわからないようなノリの軽さがあったが、今ではもうすっかり頼りになる上司の顔つきになっている。
私は彼の瞳をじっと見つめてこう言った。
「リヒトが『親分』って言うの、久しぶりだよね。なんだか懐かしいな。
……今日は酒場へ行きたいな。たまには、今までの出来事を振り返るのもいいんじゃない?」
リヒト王子と出会って、もうすぐ半年が経つ。お互いの気持ちが恋なのかはまだ分らないけど、戦友意識という絆は確かに生まれたと感じている。
今は、これでいいのかもしれない。私はそう思った。




