若きエミールの悩み(1)
うだるような夏の日の午後。事件は、住民トラブル解決のために外へ出かける直前に起きた。
相談室に入ってすぐの所にあるカウンターに、若い男女が落ち着かない様子で腰かけている。町のすぐ外にある森へ珍しい花を見に行ったところ、近所の人から不純異性交遊の疑いを掛けられたらしい。
個人的には心底どうでもいいと思うのだが、純潔が重んじられているこの世界では重大なタブーらしく、2人はこれが原因で深刻なイジメを受けていたのだ。
私とハンナは、彼らの無実を証明するために宮廷魔術師を連れて広場へ行くところだった。水晶の力を借りて証拠映像を見せるのが、町の皆にわかってもらう一番の近道だと思ってのことである。
慌てて出かける準備をしながら、エミールに留守中の仕事を指示していく。私はふと思い出して、最後に追加の確認をした。
「そういえば精霊との和平交渉について最近聞いてないけど、どうなってるの? 上手くいってないなら、こっちでも警戒しておいた方がいいんじゃない?」
「私は何もしていません。精霊関係は宮廷魔術師の管轄なので、ウチは何の関係もないですよ」
現場での調査には、普段から住民と繋がりのあるうちの部署が一番適している。そう思って提案したのにエミールの返事は冷たかった。
「何その言い方! まさにお役所的な縦割り思考って感じだね」
「――アンジェラさん、そろそろ行かないと。町のみなさんがお待ちですよ」
ハンナが後ろから私を急かしてくる。確かに急いで出ないといけないのだが、彼には今ここできちんと注意しておく必要があると感じた。
これまでもエミールの発言にイラっとすることはあったが、その場に内部の人間しかいなかったため大目に見てきた。しかし来客中には、さすがに態度を改めてもらわないと困る。
「エミール、ちゃんと聞いて。私たち役人は、外からは全員同じ人間に見えるの。1人の態度が悪いとお城全体のイメージが下がるんだから、発言には注意して」
「何も間違ったことは言っていませんよ」
不穏な空気を察知した来客たちが「先に広場に行ってます」と言って、そそくさと部屋を出ていった。
しかし当のエミールはまるで悪びれずに私の方をキッと睨みつけてきた。俺に説教をするなと目で言っている。
「役所は民間とは違って、どれだけ仕事をしても利益に繋がらないんですから。限られた予算で最大限働くために、業務の範囲を限定するのは当然でしょう」
「お互いに助け合うのが仕事じゃない。ウチにできることは、積極的にやってあげればいいじゃない」
「ムカつくのは分かりますが、続きは帰ってきてからやりましょう」
部屋の中央でエミールとガンを飛ばし合っている私の腕を、ハンナが引っ張って外に誘導する。彼女に従って扉へ向かおうとした私の背中に向かって、エミールが反論の言葉を投げつけてきた。
「そうやって所轄事項をズルズルと拡大していった結果が、今の有り様なんです。他の部署はほとんど定時で退勤しているのに、ウチだけ毎日残業続きじゃないですか」
……痛い所を突かれた。これまで私は自分にできることをガムシャラにやってきたが、部下を率いる立場になった今ではそれが裏目に出つつある。
部署全体の業務と個々のメンバーの負担に意識を向けることが足りておらず、バランスが悪くなってきていることに、私は薄々気付いていた。
振り返って謝ろうとしたその時、彼はフォローなのか皮肉なのか判別がつかないような一言を追加してきた。
「でも仕方ないとは思っていますよ。アンジェラさんもある意味では被害者ですし。元はと言えば、王子が気まぐれで新しい部署なんて作るから厄介なことになるんです」
その言葉は、今まで堪えてきた怒りを爆発させるには充分すぎるきっかけとなった。
「ふざけないで。リヒト王子が真剣にこの国を良くしようと思っているの位、お城で働いてたら分かるでしょ?」
「本気なら尚更タチが悪いです。成人前の子どもが、名君気取りで国を引っ掻き回しているんですから」
「もう一回言ってみなさいよ。リヒトを侮辱したら、ただじゃおかないから。」
私は待たせているお客さんの事もすっかり忘れて、ハンナの腕を振りほどき、エミールに詰め寄った。
「……2人とも、いい加減にしなさーい!!」
自席に座ったまま平然としているエミールに向かって、ビンタを食らわせようと身構えていた私は、ハンナの叫び声ではっと我に返った。腕をものすごい力で掴まれ、グイグイと引っ張り出されていく。
部屋の外に出る前に、私たちは再度激しく睨み合った。
日が暮れてから職場に戻ると、エミールはすでに仕事を終えて退社していた。
私の机の上に、2通の書き置きがある事に気づく。両方ともエミールの字で、「明日は私用のため休ませていただきます」だけ書かれたメモと、もう一つは相談室のあり方に関する意見書だった。
◇◆
「ほんっと、あの白髪ブタ野郎は一体何様のつもりなんでしょうね。アンジェラさんが優しいのをいいことに、言いたい放題。挙句の果てに無断欠勤まで!」
「ハンナ、落ち着いて。一応有給取ってるから」
エミールと私が大喧嘩した翌日。ハンナの怒りの矛先は、完全に彼の方へと向けられた。『お前たちとは格が違う』と言わんばかりの高飛車な言動が実は以前から嫌だったそうだが、我慢の限界がきたらしい。
ちなみに彼の名誉のために言っておくと、エミールはむしろ瘦せ型だし、白髪じゃなくて銀髪である。
「でもエミールの言う事って、いちいちド正論なんだよなぁ~」
私は昨日の意見書を眺めながら呟く。そこには何枚にもわたって、この部署に対する痛烈な批判が書かれていた。
「自分を責める必要なんて全然ないですよ! 大学出たてのエリート様は、ゼロから新しい部署を立ち上げたアンジェラさんの大変さがわかっていないんです。」
ハンナが後ろから書き置きをひったくり、素早く手で丸めたと思ったらその場にポイッと投げ捨ててしまった。
「何もしないくせに文句だけ言う人間が一番嫌いなんです。外野から投げつける正論ほど、軽いものはないですから。こんな物、耳を傾ける価値なんてゼロです。ゴミですよ、ゴミ!」
エミールは自分の仕事をきちんとこなしているし、内部の事情を十分理解した上で提案したと思うが、頭に血がのぼった彼女は聞く耳を持たない。
「大体アイツはアンジェラさんの事を室長って呼んでないですよね。あり得ないですよ!!」
「それはあなたも同じでしょ……」
もうムチャクチャである。私はハンナをなだめるのに精一杯で、仕事を進める事もエミールについて考える余裕もなかった。
◇◆
「も~。アンジェラ様が珍しくSOSを出したから、何事かと思いましたよ」
「心配かけちゃってごめんね、でも来てくれて助かった。カイルはそこら辺でゆっくりしていてくれればいいからね」
このままだと一日中悪口大会になってしまう。そう思い、私は昼休みにカイルを呼び出すことにした。
「まぁ、急に部下の方にお休みされたら困りますよね。僕にできる事があれば手伝いますよ」
「そう? じゃあ資料の整理でも頼もうかな」
「カイルさん優しい~♡ 休んでる性悪野郎とは大違いですね」
ハンナの言葉を聞いて、カイルは私の苦労を察してくれたようだ。苦笑いしながら私に目配せしてくる。
「……そういう事ですか。僕は組織の中で仕事をした経験がないのでよくわかりませんが、確かにアンジェラ様は色んなお仕事を抱えていますからね。この前の火災の件も含めて、無茶をしすぎているんじゃないかと気になってはいました」
カイルは事情を聞くと、目安箱に入っている紙を揃えながら心配そうな目で私を見た。
「仕事の分担とエミールさんの扱いについて、一度リヒト様にも相談してみたらどうでしょうか?」
予想はしていたけど、やっぱりそういうアドバイスになるか。私はためらいがちに口を開く。
「でも、リヒトに困っている所を見られたくないから……もうちょっと自分で頑張ってみるよ」
私は、できれば王子の耳に入る前にコッソリと解決させたかった。負担をかけたくないし、弱音を吐いてガッカリされるのも避けたかった。
「リヒト様には、自分のいい所だけを見せたいんですね。あのお方は、アンジェラ様を目標にされてますから。プレッシャーですよねぇ~」
「べっ別に、そんなんじゃないもん」
ニヤニヤ顔で冷やかしてくるカイルを、私は慌てて否定した。
「……ところで、ここの紙クズは何でしょうか。ゴミでしたら、代わりに捨てておきますが」
床に落ちているエミールのメモに気づいたカイルは、拾い上げて私の方に見せてきた。
「うーん……。やっぱり必要なものだから、こっちにくれないかな?」
いいよ、ゴミ箱に捨てておいて。私はそう言おうとしたが、途中で止めて代わりにカイルに向かって手を差し出した。




