失業者、異世界転生する
ある晴れた朝。私は門のすぐ外にあるカウンターに座って、目の前を往来する人々を眺めていた。
のどかな春の陽射しがとても気持ちいい。ついウトウトしていると、後ろから若い男性に声を掛けられた。私は慌てて背筋を伸ばす。
「お疲れ様、仕事の調子はどうだ?」
「昨日は3件相談があったんですが、今日はさっぱりですね」
そんな日もあるだろう。肩の力を抜いて、気楽に行こう。
美しい金髪を風になびかせて、私のボスは爽やかに笑った。キラリと輝く白い歯が眩しい。
「……それにしても、こんな時間に会うなんて珍しいですね。学校はお休みなんですか?」
「あぁ、今日は剣の稽古なんだよ」
「やることが色々あって、王位継承者も大変ですね」
しかし彼はやる気満々のようだ。挑戦的で、どこか意味ありげな目を向けてくる。
「全然平気だよ。なんたって、目標ができたからな。……まあ、お互い頑張ろうぜ」
手に持った剣を自慢げに振るって見せてから、青年は軽い足取りで城へと戻っていった。
私は、総合窓口で働く職員である。住民同士のトラブルや、行政への不満など、どんな困りごとでも受け付ける所謂『なんでも屋さん』だ。
現在は試験運用中だが、評判はそれなりに良く正式な部署にする話も出てきている。そうなれば、私は室長になるだろう。市役所で言うところの、課長級職員。入ったばかりの若手としては異例の出世だ。
「まあ既に、十分特殊な状況なんだけどね」
乙女ゲームの世界で攻略対象の王子様に雇われる役人なんて、どこを探しても私くらいなものだろう。
――誰にだって、世界のどこかには必ず居場所があるんですよ。
遠い昔に担任の先生がそう言っていたが、まさか異世界で出世街道を爆進することになるなんて。市役所を辞めたあの日には、夢にも思わなかった。
◇◆
深夜1時の部屋に、金属音のようなSEが響き渡る。テレビ画面の中央には、勇ましい風貌の金髪の青年が厳しい表情で剣を構えていた。
「くそっ、さすがに精霊王は一筋縄ではいかないようだ」
「ふはははは。愚かな人間よ、罰を受けるがいい」
シュルシュルシュルシュル!
青年に向かって、触手のような蔓が何本も襲いかかる。再び金属音。
剣で蔓を弾き返すシーンで金属音が聞こえるわけがない、というツッコミを入れてはいけない。その程度の粗は、この手のゲームではよくある事だ。
ちなみに、激しい戦闘シーンにも関わらずアニメーションや一枚絵は一切なし。画面上は金髪男の立ち絵と敵の触手部分しか描かれていない。
「これでどうだ!!!」
「危ない! リヒト王子!!」
リヒト王子と呼ばれるその男と入れ替わりに、同い年くらいの黒髪の青年が表示される。さっきよりも数倍に増えている蔓。
グサッという音と共に、画面が真っ赤なエフェクトに染まる。
「キャー! カイル様!!!」
「お嬢さん、危険だから下がって!」
ここでやっと一枚絵に切り替わる。カイルに主人公が駆け寄り、抱きしめてキスをするイラストだ。
やがてキラキラ音と共に放射線状のエフェクトがかかり、画面全体が真っ白になった。
「この光は、まさしく聖女の祝福! ……ここはひとまず退散するか」
精霊王が、説明的なセリフを言って去って行った。目を開けるカイル。
「僕は……助かったのか……?」
「カイル様! ご無事でよかった」
「あなたが身を挺して守ってくれたんですね。僕の事をこんなに好きになってくれて、大切に想ってくれて……ありがとう」
なんだこのガッカリくるような微妙なテンションは。彼の表情は、信じられないことに真顔のまま1ミリも動かない。
後日談で改めて告白があるのかと思いきや、そのまま画面は白くなり、中央に『HAPPY END』の文字が浮かび出てきた。続けてスタッフロールが流れる。
「それだけ? これでエンディング?」
テレビ画面に詰め寄り、思わず絶叫する。私は、ショッピングセンターのワゴンセールで見つけたこのゲームを衝動買いしたことを後悔した。
◇◆
このゲーム『乙女の祈りと薔薇の園』は、聖女が王立学院へ入学し男性と交流を深めるというオーソドックスな設定で、システムも文章を読みながら選択肢を選ぶ普通の女性向け恋愛アドベンチャーゲームだった。
問題はキャラクターとストーリーである。さっき攻略した無口で陰気な護衛は論外だが、それ以外の4人にも、私はときめくことができなかった。
特にひどいのがリヒト王子。出会ってすぐナンパするわ、二日酔いで授業に来るわと、とにかくやりたい放題。話が進むと甘い雰囲気になったが、比例してキザ度も増していくのには閉口した。
クライマックスでのセリフなんて、「君に涙は似合わないよ、仔猫ちゃん」である。いつの時代の少女マンガだよ!
さらに、話の展開もとんでもなくご都合主義的であった。聖女と恋仲になったキャラが精霊王や魔王、他の攻略キャラなどと戦い、ピンチになったら聖女の力が発動する。
誰のシナリオを見てもほぼ一緒の流れで、何回も同じ展開を見せられることになった。
私はエンドロールを見ずに、取扱説明書の登場人物紹介に向かってやり場のない怒りをぶつけていた。ふと顔を上げると、真っ暗だった画面に突如、ウィンドウが表示される。
『ハードモードがプレイできるようになりました』
どうやら全員クリアした特典で、別のモードが解放されたようだ。そんな物を作る暇があるなら本編を充実させろよ、と思いつつ好奇心から私は再びゲームをスタートさせた。
ハードモードの主人公は、地味顔の冴えない少女だった。名前を自由に決められたので、私は迷わずいつも使っている名前を入力する。
ゲームは、一周目で登場した王立学院ではなく、城下町にある主人公の家からスタートした。
この時点で相当怪しいが、攻略対象キャラの裏の顔が見られるモードなのかもしれない。そう思って、しばらくゲームを続行してみるが、全くストーリーを進めることができない。
聖女や攻略対象たちとは、住む世界からして違うのだ。家柄はただの商人だし、王家や貴族と特別なコネを持っているわけでもない。
それどころか全く魔力を持たないため、剣と魔法至上主義のこの世界では就職もままならない。
結局、一晩中プレイしても私は町をうろつくだけで、攻略キャラにすら辿り着けなかった。
◇◆
次の日の朝、私は徹夜明けのショボついた目をこすった。
今日は平日だが、幸か不幸か仕事はない。私は前日付けで市役所を退職し、本日4月1日から晴れて無職の身となったのだ。まぁ役所と言っても、正規職員じゃなくて一年更新のパートだったんだけどね。
次の仕事は決まってないけど、今日はハローワークよりも先に行かなければいけない場所がある。一刻も早く中古ゲーム屋へ行って、このゲームを始末しないと運気が落ちそうな気がする。
ゲームを手にとって、パッケージを見返してみる。そこには、無駄にクオリティの高いイラストと一緒に、『貴女を今までとは全く別の世界へとお連れします』という煽り文句が書かれている。
私はそれをリュックサックにぶち込む前に、一言イヤミを言った。
「普通の乙女ゲームとは全く違うクソゲーの世界を嫌というほど味わわせてもらったよ! もう二度と御免だけどね、バイバイ!!」
しかし私は、結局このゲームを売ることはなかった。
ゲーム屋へ行く途中の横断歩道で、ながらスマホをしていたトラックに轢かれたからである。
◇◆
「…ジェラ…」
「アンジェラ、アンジェラ……」
聞き慣れない女性の声が、どこかで聞いたことのある名前で何度も呼びかける。その声で目を覚ました私は、自分が見覚えのない質素な木製のベッドに横になっていたことに気づいた。
声の方に顔を向けると、心配そうな顔の中年夫婦と神父のような男性が立っている。
「よかった、目を覚ましたのね。馬車に轢かれて3日間も意識がなかったんだよ。
何度も回復魔法をかけてくださった神官様に感謝しなさい」
その声に飛び起きた私は、すぐ脇にある洗面台まで駆け寄り壁にかかった鏡で自分の姿を確認する。
そこには日本人の成人女性ではなく、17歳くらいの明るい茶髪に蒼い目の少女の顔があった。
「間違いない……」
私は、昨日プレイしたゲームのキャラクター、それもハードモードである隠しステージの主人公に転生してしまったのだった。