971 閑話・皇女アリーシャは大変な事態に遭遇して……。
「……なの。ねえ、アリーシャ」
「はい……。どうされましたか、イルサーフェ様」
「もう限界なの。そろそろ爆発するの」
「え……。それは……」
「よく考えてみたら、イルはリヴァイアサンを呼び出すのなんて、これが初めての経験だったの。迂闊だったの。ノリと勢いだけで、ついうっかり、こんなすごいものを呼び出してしまったなの」
それはつまり――。
今、空の上で、なにやら青い輝きを増している――。
リヴァイアサンという超常の存在が――。
爆発する。
そういうことなのでしょうか。
いえ、はい……。
そうなのですね。
わたくし、アリーシャは、その事実を理解しつつも、逃げることなくぼんやりと空に目を向けます。
だって、空に広がる青い輝きは、あまりにも幻想的で――。
恐怖は感じるものの――。
同時に、その美しさに惹かれてしまうのです。
「ああああああああ! いけないのー! パワーバランスが反転したなのー!」
イルサーフェ様が叫びました。
何が起きたのか……。
イルサーフェ様の眼前に、イルサーフェ様の体から溢れた水渦が集まって大きな水球が生まれています。
「吸い取られる! 吸い取られるのおおお! これは大変なことになってしまったのおおお! イルの力を奪われたら、それこそ魔王が来る前にリヴァイアサンが世界を壊してしまうのおおお!」
え。
とんでもない発言が出ました。
ただ、それでもわたくしは――。
わたくしだけでなく、トルイドさんを始めとした周りにいた人々は見ていることしかできませんでした。
なにしろ、すべては目の前で起きているのに――。
現実味がありません。
意識はまだ、夢の中にいるようです。
イルサーフェ様の髪や体から飛び散る激しい水しぶきが、わたくしたちの体を濡らしました。
「イルに――! イルに聖剣を刺すなのー! 早くなのー!」
「聖剣!? 聖剣とはなんですか!?」
司祭が叫びます。
トルイドさんたちにも、心当たりはないようです。
「なんでもいいから、なんとかするのぉぉぉ!」
「と、申されましても……」
そもそもイルサーフェ様は空中にいるのです。
並の人間に手の届く場所では――。
いえ、弓なら届くでしょうが――。
考えて、わたくしはハッと我に返りました。
わたくしなら届くではありませんか!
余裕で!
そう――。
クウちゃんだけでなく、メイヴィスやブレンダにも容赦なく鍛えられたわたくしの肉体は、すでに超人的。
肉体への魔力浸透は大いに進んでいます。
魔力を高めて、巡らせて、跳躍すれば!
よし!
わたくしは、空中にいたイルサーフェ様を抱きしめました。
同時に水球を蹴ります。
正直、まともに考えれば無謀な行為でしたが――。
幸いにも、水球には壁のような硬さがありました。
反動を生み出すことはできました。
わたくしはその勢いのまま、イルサーフェ様と共に肩から床に落ちます。
「くぅっ!」
その衝撃に声が漏れますが、痛みはありません。
「アリーシャさん!」
トルイドさんがわたくしの元に駆け寄ってくれます。
「大丈夫ですわ」
魔力浸透させたわたくしの体は、丈夫なのです。
鎖帷子と同程度の防御力を誇るクウちゃんの魔法の指輪もあります。
怪我はありません。
「イルサーフェ様は大丈夫ですか?」
わたくしはイルサーフェ様にもたずねました。
「だ、大丈夫なの……。アリーシャのおかげで、なんとか、イルは接続を切ることができたのなの……」
「そうですか。よかったですわ」
「でも、かなり力を奪われてしまったの」
「……どうすれば?」
空中では、生まれた水球がゆっくりと移動して、輝きを増すリヴァイアサンに取り込まれていきます。
「もうダメなの。おしまいなの」
イルサーフェ様は、すでにいろいろと諦めた様子です。
「神殿に! 皆を神殿に! 避難を!」
トルイドさんが叫びました。
次の瞬間でした。
水球を取り込んだリヴァイアサンが、大地を揺るがす咆哮と共に世界を青色に染めました。
まるで世界が、海の中に取り込まれてしまったかのようです。
さらに、次の瞬間でした。
その海の青色を切り裂いて――。
ひときわに眩しい青色の光が、一文字に走りました。
いったい、何がおきたのでしょう――。
ああ、でも……。
クウちゃんかしら……。
その青い輝きは、クウちゃんの髪の色に似ていましたから……。
そんなことを思いながら、わたくしは意識を失いました。
…………。
……。
目覚めると、空は普通に青く澄んでいました。
リヴァイアサンの姿はありません。
イルサーフェ様の姿もありません。
夢だったのかしら……?
すべて……?
と、わたくしは思いましたが、でも、町は水びだしでした。
皆は無事のようです。
誰もが、呆然としています。
「アリーシャさん、ご無事ですか……?」
「ええ。はい……。トルイドさんは?」
「僕もなんとか……。でも、いったい、何が起きたのでしょうか……」
「さあ……」
わたくしは、トルイドさんに手を取られながら――。
空を見上げました。




