966 閑話・皇女アリーシャは水の子と出会って……。
とにかく、このままにはしておけません。
わたくし、アリーシャは、うつ伏せで水面に浮かんでいる、水色の長い髪の幼い女の子を抱きかかえました。
女の子は、外見で言えば5歳くらいでしょうか……。
古代竜の長たるフラウニール様と同じくらいの年齢に見えます。
つまり――。
外見と年齢は一致しない、ということでしょう。
フラウニール様は1000歳と言いますし。
クウちゃんと同年代に見えるゼノリナータ様も1000歳です。
シャイナリトー様も見た目では完全に幼女ですが、5000歳を超えていると聞いています。
ただ、クウちゃんは、見た目の通りに12歳です。
なので、あるいは、この子は本当に幼い子なのかも知れませんが。
いずれにせよ、水の大精霊様であれば失礼は出来ません。
わたくしはトルイドさんと相談して、まずは別室に移し、ベッドに寝かせることにしました。
わたくしとトルイドさんの濡れた体は、その場にいた神官が、水の洗浄魔術で綺麗に乾かしてくれました。
女の子は、不思議なことに、まったく濡れていませんでした。
寝かせたところで――。
「う、なの……」
苦しげな声をもらして、女の子が薄っすらと目を開きました。
水色に揺らめく幻想的な瞳が、わたくしたちの方に向きます。
「ご機嫌はいかがでしょうか、イルサーフェ様」
わたくしは礼儀正しく一礼をしました。
「なの……。サイアクなの……」
幼い声で、なんともぶっきらぼうな言葉が返ってきました。
良かったです。
言葉を交わすことはできそうです。
ぐうううううう……。
女の子のお腹が、聞こえるくらいの音で鳴ります。
「……お腹、空いたなの。なんでイル、実体化しているなの。わけがわからないなの。でもここは物質界なの。それはわかるなの」
ぼんやりと天井に視線を向けて、イルサーフェ様はそう言いました。
「あの、よろしければ、何かお持ちしましょうか?」
トルイドさんが言います。
すると、イルサーフェ様がベッドから身を起こされました。
「おまえ、誰なの?」
イルサーフェ様はベッドの縁に座ると、足と腕を組んで――。
居丈高な態度でトルイドさんに眼を向けました。
「はい。私は、このサンネイラの町の――」
「なの? サンネイラ!? ここってサンネイラなのなの!?」
「はい、そうですが……」
「うわぁ! すごいなのー! そうなのー! ならなら、ゼイセルとマリエンヌは元気なの? 話は先代様からよく聞いていたなのー!」
「ゼイセル様とマリエンヌ様……。それは私の遠い祖先、かつて、この地を町として整えた初代夫妻の名ですが……」
「かつて?」
「はい――。伝承では、1000年以上前の――」
「あー。なのねー。そうなのねー」
ぐうううううう……。
「あー。くらくらするのお……。お腹が空きすぎて死にそうなのお……」
「何か食べ物をご用意しましょうか?」
「作れるなの?」
「はい。よろしければ」
「なら持って来いなの! あ、でも、美味しいものだけなの! 不味いものなんてよこしたら大洪水なの!」
「それは……。困りますね……」
「ふふーん。困るなら、早く美味しいものを準備するなの」
ここでようやく、わたくしはイルサーフェ様と視線を交わしました。
イルサーフェ様は私をじっと見つめると、
「なの。おまえは、誰なの……?」
訝しげに、そう聞いてきました。
「アリーシャ・エルド・グレイア・バスティールと申します。先程は、わたくしの呼びかけに応えていただき、ありがとうございました」
わたくしは礼儀正しくしたつもりでしたが――。
まじまじと見つめられるばかりで、返事はいただけませんでした。
何か失礼が――。
と、お伺いしようとした刹那でした。
イルサーフェ様の顔が、わたくしのすぐ前に迫りました。
接するかのような距離で瞳を見つめられます。
水色に揺らいだ瞳に捉えられて、わたくしは身動きひとつできず――。
どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。
「なのー! よかったなのー!」
明るい声を発して、ようやくイルサーフェ様がわたくしから離れてくれました。
「おまえ、気のせいなの! うん! おまえは平凡なニンゲンなの! おまえの中に属性は感じないの!」
「ええ……。そう思いますが……」
「なんか、強い魔道具は持っているみたいなのだけど!」
「はい……。防衛用の指輪なら……」
「なの! それならわかるなの! そういうのもあるなのね! あと、よく見れば魔力は高いなの。見どころはあるなの」
空中に浮かんだまま手と足を組んで、イルサーフェ様は、うんうん、と、とても満足げにうなずきます。
「イル、実はちょっとだけ怯えていたの。正直、プルプルしていたの。だから思わず誤解をしてしまったみたいなの!」
「そうでしたか……」
わたくしは、とりあえず相づちを打ちました。
詳しい話を聞きたいところです。
魔王――。
幻想の中で聞いたその言葉の意味を、何より知りたいところです。
「なのなのー! 安心したら、もっとお腹が空いちゃったなのー! 早く美味しいものを山盛りで持って来いなの! イルは堪能するなの! それまでイルは寝ているなの! 疲れたし! おやすみなの!」
イルサーフェ様は、そう言うとベッドに寝転んで――。
目を閉じて――。
本当に寝てしまったようです。
なんて自由で、奔放な方なのでしょうか。
まるでクウちゃんやゼノリナータ様を見ているかのようです。
ええ……。
それでこそ、精霊なのですね……。
わたくしは、妙に納得してしまいました。
「トルイドさん、わたくしもお手伝いいたしますわね」
「え、あ、」
「おもてなしをしませんと」
「はい……。そうですね!」
わたくしたちはとにかく、大急ぎで――。
美味しいものを準備することにしました。




