915 町に着いた
緩やかな坂道を越えると、一気に目の前の景色が広がった。
「オーレリアさん、町が見えましたよっ!」
私は荷台の手すりから身を乗り出して、町を眺めた。
「……ふう。ようやくですのね。わたくし、早く宿を取って、ベッドで横になりたいですわ」
手すりに背中を預けて、だらんと足を伸ばしている、はしたない姿のオーレリアさんは、すでに完全にグロッキーだ。
馬車の揺れに合わせて、頭がゆらゆらと揺れている。
「寝る前に、まずは食事ですね」
御者台のマウンテン先輩が笑って言った。
たしかに空腹だ。
太陽は、かなり傾いている。
空の色彩は、すでに青の光量をかなり失っている。
もすぐ夕焼けだろう。
町に着いて、宿を決めて、馬を預けたりしていれば、ちょうど夕食の時間になりそうだった。
「名物料理とか、あるといいですねー」
「ここの宿場町では、川魚の料理が美味しいそうですよ」
「ぜひ食べましょうっ!」
ちょうど石橋を馬車が渡るところだった。
眼下には、透明な水をたたえて、流れの緩やかな川が流れている。
町に到着した。
街道沿いの町は賑わっていた。
夕方に近いかきいれ時とあって、まだ客の埋まっていない宿屋の人たちが熱心に呼び込みをしていた。
通りには、料理屋やお土産屋も軒を連ねていた。
店先で炭を起こして、串に刺した川魚を焼いているお店もある。
散策するのは楽しそうだ。
「そういえば、サクナさんの姿がありませんね……」
マウンテン先輩が心配そうに言う。
「あー、大丈夫ですよー。先に町に来て、のんびりしているみたいです。魔力の反応でわかりますのでー」
町には風の魔力の反応があった。
ユーザーインターフェースを開いて、マップで確認すると――。
料理屋にいるようだ。
まったく、自由なものだね。
「それなら安心ですね」
「オーレリアさんもお疲れですし、先に宿を決めちゃいましょー」
「……ちゃんとした宿でお願いいたしますわ」
オーレリアさんの要望通り、宿は高いところに決めた。
貴族や豪商が宿泊する豪華な宿だ。
学院の制服を着ていることもあってか、特に疑われることなく、スムーズに部屋を取ることはできた。
部屋は、それぞれ個室にした。
一泊、1人あたり銀貨5枚だった。
約5万円。
あ、金貨じゃなくていいんだ、と思ってしまった私は、たいがい金銭感覚がインフレしているね。
「オーレリアさん、すぐに寝ちゃ駄目ですからね。まずは食事ですよー」
「……わかっていますわ。お風呂にも入りたいですし」
食事は、宿の食堂で取った。
高級レストランだ。
他のお客さんに声をかけて情報収集できる雰囲気ではなかったので、ここは大人しく食べた。
料理はコースもので絶品だったけど……。
道中で売っていたような、野性味のある焼き魚は出てこなかった。
残念。
あとで食べよう。
食事の後、私とマウンテン先輩は宿から外に出ようとした。
まずは、サクナを迎えに行かなくちゃいけない。
サクナは、ずっと料理屋にいた。
どれだけ食べているんだろうか。
「クウちゃんはちょっと」
ロビーでお別れしようとすると、オーレリアさんに袖を掴まれた。
「どうしましたか、オーレリアさん」
「わたくし、疲れていますし、一刻も早く寝たいのですけれど。その前にお風呂に入らねばなりません」
「はい。ごゆっくりどうぞー」
宿には大浴場がある。
ゆったりできることだろう。
「クウちゃん」
「はい?」
「わたくしに、こんな知らない場所で、1人きりで裸になれと?」
「高級宿だし、問題はないと思いますけれど……」
「あります。お願いします」
仕方がないので付き合うことになった。
マウンテン先輩は情報収集のため、先に1人で冒険者ギルドに向かった。
2人でお風呂に入る。
他にお客さんはいなくて、2人でまったりした。
オーレリアさんは、さすがの先輩でした。
私も12歳になって、11歳の頃よりはいろいろ成長していたけど、まだまだですねと実感しました。
学院の制服は、下着もまとめて宿で洗ってもらうことにした。
明日の朝、返してもらう予定だ。
アイテム欄に入れて出せば汚れは綺麗に落ちるんだけど、今回の旅は出来るだけ普通にがテーマなのだ。
あとついでに、オーレリアさんの明日からの着替えを手配してもらった。
宿は快く引き受けてくれた。
こういう時、高級宿は便利でいいね。
滞在中は宿が貸し出してくれた衣服で過ごす。
短パンと、なんと浴衣だった。
リゼス聖国で流行っている最新の宿衣装とのことだった。
聖女様が考案された宿衣装だという。
着るだけで精霊様のご加護が得られるのだとか。
うん。
はい。
ユイの影響力、おそるべし、だ。
女中さんからその話を聞いて、オーレリアさんは素直に短パンと浴衣を着た。
オーレリアさんは、あとは寝るだけなので問題ないだろう。
私は出歩きたいので……。
部屋に戻ってから、いったん短パンと浴衣を脱いで、バックパックの中から下着とシャツを取り出して装着した。
その上で短パンと浴衣を着る。
これなら暴れても、露出の子にはならないよね。
さて、行きますか。
私は『透化』して『浮遊』して、部屋の窓をすり抜けて夜の空に出た。
まずはサクナの元に向かう。
夕食を取って、のんびりお風呂にも入ってしまったので……。
すっかりと迎えに行くのが遅くなった。
サクナは私たちを探す様子もなく、ずっと料理屋にいるけど、まさか酔っ払ったりしていないだろうね……。
私のその懸念は――。
的中した。
ただし、方向は完全にずれていたけど。
なんと、料理屋で仲間たちと酒を飲んでいる風の魔力の持ち主は……。
中年の男性だった。
魔術師ではあっても、エルフの少女ではなかった。
ふむ。
魔力感知の範囲を広げてみる。
少なくとも宿場町に、他の風の魔力の反応はなかった。
どうやら私、やってしまったようだ。
「あーもう! めんどくさ!」
サクナめ!
どこで何をやっているのか!
私は夜空に浮かび上がって、サクナの捜索を始めた。
おっとその前に。
マウンテン先輩を心配させるといけない。
先輩の姿を探して、見つけて、少し嘘をついておいた。
先にサクナと帰って寝てますねー、と。
サクナは、すぐには見つからなかった。
時間が過ぎていき、私は眠くなる。
ただ、サクナを放って眠るわけにはいかない。
私は懸命に探した。
本当、どこに行ったのか……。
ようやくサクナを見つけたのは、深夜から夜明けへと向かう時間だった。
ダークブルーからスモークブルーへと傘を広げる円天の空の下――。
冷たい空気の中――。
まっすぐに続いた新街道から外れて、ウツロ村からも遠く離れた、まったく別方向へと向かう道を……。
サクナはふらふらと、今にも倒れそうな様子で……。
走り続けて……。
いや、歩き続けていた……。
あ。
ついに力尽きて、バタン、と、前のめりに倒れた。
その姿は……。
まるでギャグだった。
干物みたいだ。
いや、うん。
決してギャグではないのだけど。
私は着地して、倒れて動かないサクナに回復の魔法を唱えた。
「おーい。サクナー。起きてー」
「クウちゃんさまぁ……。不肖サクナ、クウちゃんさまのためとあらば、どこまでも走り続けてみせます……」
サクナは完全にスタミナが尽きているようだ。
頬を叩いても目覚めることはなかった。
まあ、無理はないか。
私は仕方なくサクナを背中に乗せた。
そのまま空を飛んだ。
どうにか宿場町に帰り着いたのは、とっくに日が昇って……。
出発の時刻の間際だった。
こうして私は……。
一睡もできないまま、すっかり疲れ切った状態で……。
ウツロ村へと向かうことになったのだった。




