90 もしかしてよ?(アンジェリカ視点)
私はアンジェリカ・フォーン。
今は友人であるクウの家に来ている。
クウの魔術の説明は、そんなに難しいものじゃなかった。
すぐに理解できた。
なにしろ、だって――。
「えっと……。
魔法を使うぞーって思うでしょ?
魔法の名前を口に出すでしょ?
たとえば、『身体強化』。
ね?」
簡単だ。
うん。
簡単な説明よね。
簡単すぎてしっかり理解できるのにわけがわからない。
困った説明だ。
クウの魔術……じゃなくて、魔法か。
魔術と何が違うのかは不明だけど、呼び方は異なるみたい。
クウの魔法は凄まじい。
今、クウの魔法が私にもかかったからよくわかる。
身体強化の魔法だ。
クウが「身体強化」と口にしただけで、私の体がわずかな緑色の光に包まれて、全身に力が満ち溢れた。
「わあ! 軽い軽い! 体に翼が生えたみたいっ!」
とうっ!
――にゃん!」
試しにエミリーが軽くジャンプすると、瞬時に天井に頭をぶつけた。
あまりの衝撃にエミリーが目を回して墜落する。
「ごめん、別の魔法にすればよかったね。
身体強化なんて、いきなりかけたらびっくりしちゃうよね。
――ヒール」
クウの魔法ですぐに回復したけど、下手をすれば首の骨を折っていたんじゃないかってくらいの勢いだった。
それにしても、にゃんって。
思わず笑ってしまいそうになったけど、大怪我するところだったんだから笑っていい場面ではないわよね。
我慢我慢。
「クウちゃんの言葉だけではイメージしづらいと思うので、わたくしの方から少しだけ補足させてください」
セラはもう、クウみたいな感じで魔法が使えるのよね。
光の魔術。
回復の――ヒールの魔法。
この大陸では、たった一人しか使えないと言われていたのに。
もっとも、一回使っただけで気絶してしまったので、使えはするけどまだまだ訓練は必要なようだけど。
それでも、すごいものはすごい。
セラの説明も難しいものではなかった。
クウの魔法は、要するに無詠唱を最大限に効率化したもの。
呪文が形作る発動のイメージを、本能的に直感的に自身で構築しているのだ。
本能と直感。
うん、いかにもクウらしくて納得しちゃったわ。
でも、真似をするのは難しそう。
そう思ったけど、セラは真似をして魔法の発動に成功している。
そのセラがポイントを教えてくれた。
それは、強く想うこと。
「わたくしの場合は憧れでした。
クウちゃんの光に憧れて、クウちゃんのとなりに立ちたくて――。
憧れて、憧れて、憧れた先で――。
光が輝きました」
どれだけイメージしても、それだけではダメだったそうだ。
強く想って初めて、魔法は生まれたらしい。
憧れ……。
強い想いかぁ……。
私は、何があるんだろうなぁ。
よくわからないや。
毎日、必死に魔術の練習はしているけど、何に憧れて練習しているのか、どういう想いを抱いているのか。
あーでも、そうかぁ。
私もクウのとなりに立ちたかったのよね。
私が頑張るようになれたのは、あの日、クウと出会ったからだし。
でも私にセラほどの憧れはない。
「どうしたの、アンジェ。暗い顔して黙り込んじゃって」
「……あ、クウ」
ふと気づくとクウが顔を覗き込ませていた。
私、考え込んでいたみたいだ。
見ればヒオリさんが、いつの間にか無詠唱魔術の講座を開いていた。
セラとエミリーが熱心に聞いている。
ゼノは……ふわふわと浮かんでクッキーを食べていた。
不思議な光景よね。
皇女様がいて。
ヒオリさんは、まさかの学院長様みたいだし。
ゼノは精霊?
私とエミリーちゃんは平民の子で。
「アンジェ?」
「あ、ごめんごめんっ!」
いけない!
また考え込んじゃったわね。
私ともあろうものが、この程度の環境で動揺しまくりなんてみっともない。
私は、いつでもどこでも誰とでも、ちゃんと顔を上げて対等に付き合えるような自分を目指しているんだから!
「なんでもないわ、心配させちゃった、クウ?」
「うん。ぼーっとしてるから」
「クウに言われちゃね」
私は肩をすくめた。
「あはは。私ほどぼーっとするのが得意な子はそうそういないよね」
「自分で言わないっ!」
クウと一緒にいると肩の力が抜ける。
不思議な子だ。
私は気を取り直して、無詠唱の講座に混ぜてもらった。
ヒオリさんの講座は、直感とか強い想いとかではなくて学術的で、普通に魔術を学んできた私には馴染みやすかった。
それにしても……。
どうしてもちらちらとセラのことを見てしまう。
だって、皇女様って。
いくら私が誰とでも対等にとか言ったって、対等にしていい相手じゃない。
貴族ってだけで雲の上なのに。
その上の、また上。
そんな存在なのに。
実は、皇帝陛下の演説会の前に、私は皇女様の話を聞いている。
相手は騎士見習いの男子だった。
未成年者の休憩室で、たまたま隣席になったのだ。
彼は気さくに話しかけてきた。
彼は、つい最近までやる気のない騎士見習いで、適当に練習を済ませては町に出て遊び歩いていたそうだ。
でも今は違うと言った。
ある夜、事件に巻き込まれて死にかけたのだそうだ。
そこをセラフィーヌ様に救われたらしい。
彼は心から誇らしげに、皇女殿下の世直し旅は真実だったと言い切った。
セラフィーヌ様はローブで姿を隠しながら青く輝く聖剣を手に、空から颯爽と現れて一瞬で闇の力を打ち破ったのだそうだ。
そして、彼は言われた。
夜の町の中、青く輝く切っ先を向けられて――。
凛と冴えた――。
身がすくむほどの冷たい声で。
「――君たち、闇に近いよ? このままだと、次は君たちを斬ることになるね」
と。
夜に浮かぶセラフィーヌ様の姿は闇の恐怖など忘れてしまうほどに高潔で、見とれて動くこともできなかったそうだ。
彼は、その時のセラフィーヌ様の姿は、生涯、忘れないと言った。
思い出す度に愚かだった自分を悔やむ。
次にセラフィーヌ様と会った時、成長した姿を褒めてもらうのが彼の夢らしい。
そのためにも己を律し、強く正しく生きるのだと誓っていた。
セラフィーヌ様は、精霊様が帝国に導いた光の使徒なんだよ――。
俺は光と共に、帝国のために生きる。
そういう彼の声には心からの忠誠があった。
私も想像したものだ。
皇女様は、いったいどんな方なんだろう。
きっと、磨かれた剣のように美しく神々しく、近寄り難い方なんだろうな。
それこそ物語に出てくる神の剣の乙女のような。
今、目の前にいるセラは、ほんわかとしていて、優しそうで、剣より花が似合いそうな女の子だけど。
とても、彼の話に出てきた皇女様には見えない。
うーん。
もしかしてさぁ……。
そういえば皇女様のエピソードの中に、そのままではなかったけど私とクウのことみたいな話もあったのよねえ。
もしかしてよ?
「ねえ、クウ。アンタ、青く輝く剣って持ってる?」
「うん、持ってるよー。私の愛剣だよー」
やっぱりか。
そんな気はしたのよね。
別にクウが凛と冴えていて恐ろしい存在とは思わないけど。
常識の外側にありそうなエピソードだったし、ね。
「ほらこれ。カッコいいでしょー」
クウは何も気にすることなく剣を見せてくれた。
青く輝く刃は、じっと見つめていると心の底からの畏怖を覚える。
なのに魅入られて目をそらせない。
凄まじい力を持った剣だとわかる。
まさに聖剣だった。
と、クウが剣の柄を手のひらに乗せて、バランスよく立てた。
そしてわざと揺らす。
「見てみてー! 剣が、踊ってるよー!」
うん。
クウよね。
聖剣で得意満面に芸を披露するクウを見て、私は妙に納得するのだった。
クウに付き合うと、本当に肩の力が抜ける。
楽しいからいいけど。
私はいつの間にか畏怖を忘れて、明るい声で笑っていた。
 




