888 閑話・セラフィーヌは見ていた2
わたくし、セラフィーヌは……。
ああ……。
クウちゃんに、挨拶する暇もありませんでした。
クウちゃんは、マリエさんだけを連れて、現れて消えてしまいました……。
「本当にクウは、騒がしいですの」
エリカさんが肩をすくめました。
「まったくだ。本当にあいつは、何を考えているのか」
お父さまも同じ様子です。
マリエさんには、後でゆっくりと、事情を聞きましょう……。
と、わたくしは決意しましたが……。
「きっと、またマリーエ様ですね」
ユイナちゃんが笑います。
ああ、そうか。
きっと、そうですね……。
「ヤマスバ」
唐突にナオさんが言いました。
するとユイナちゃんが、ハッとした顔をした後で……。
「ヤマスバ」
胸の前で手を組んで、祈り始めました。
ふと見れば、ナオさんも祈り始めています。
わたくしには意味がわかりませんでした。
だって、マリーエ様は特別な存在ではありません。
マリエさんです。
ヤマスバという言葉にも特別な意味はありません。
世間では、軽々しく口にしてはいけない言葉と言われていますけれど、実際にはマリエさんがテンパって、反射的に叫んでしまっただけの……。
やまって素晴らしいですね、の略語です。
略して、ヤマスバなのです。
だけど、祈りを捧げるナオさんとユイナちゃんには、光の力が取り巻くほどの神聖な空気がありました。
ヤマスバという言葉に神聖な意味があるかのように……。
そこにエリカさんが言います。
「2人とも、光の魔力まできらめかせて、冗談にしてはやりすぎですの」
すると、祈ることをやめたナオさんとユイナさんが……。
ゆっくりと顔を上げて……。
ナオさんが言いました。
「冗談は本気でやる。これがカメ流」
「よく見なさい。帝国の皆様が対応に困っていますの」
エリカさんが言います。
見れば、お父さまとお母さまもナオさんたちのことを見ていました。
「そうだな。我々も倣うべきか、少し迷ってしまった」
「倣わなくて良かったですわね」
お父さまとお母さまが苦笑します。
本当ですよね。
わたくしも、どうしようかと思ってしまいました。
「ほら御覧なさい。本当に失礼しました。今日は国から出たお忍びということでこの2人も緩んでしまっていて」
エリカさんが頭を下げます。
「いや、気にしてくれなくてもいいが――。むしろ、帝都でそこまでリラックスしてもらえるのは大変に誇らしいことだ」
お父さまがそう言うと、お母さまもそれに同意します。
その後でお母さまは言いました。
「それにしても、ナオさんも光の魔力をお持ちなのですね」
「私は光と闇の力を持っている。遊びが過ぎたようだ。失礼した」
ナオさんは本当に掴みどころがありません。
ずっと普通の、おとぼけた同級生のようだったのに……。
祈る姿は清廉な巫女のようで……。
急に身を正して真顔で一礼する今の姿は、なんだかどこかの貴公子みたいでドキリとするほど精悍です。
ナオさんは新獣王国を代表する人物です。
精悍な姿こそが、普段の姿なのかも知れませんけれども……。
「私も失礼しました。はしゃいでしまいました」
ユイナちゃんも頭を下げます。
ユイナちゃんは、ユイさんの時でも、いつも姿勢が低いです。
誰もが敬意を払う存在なのに偉ぶりません。
「お気になさらず。どうぞ楽しくお過ごしくださいませ」
お母さまは笑顔で会話を続けます。
さすがです。
「しかし、広い大陸にわずか3名しかいない光の魔力の保持者が、今、この部屋に集まっているわけか。すごいことだな」
「本当ですね」
お父さまの言葉に、お母さまがうなずきます。
「あはは。クウとリトもいますけどねー」
ユイさんが笑って言いました。
「ああ、そうだったな。これは失礼した」
「クウちゃんはマリーエ様を連れて、これから派手に、料理の賢人の認定をするつもりなのかしらね」
会場の様子を見つつ、お母さまが言います。
ちょうど、審査員の皆様の一言ずつの感想がおわって、お兄さまがあらためてマイクを手に取ったところでした。
「では次に! 美食ソサエティ主宰ク・ウチャン殿より、優勝者に対して料理の賢人の認定が行われる!」
お兄さまの声が聞こえてきます。
「……ク・ウチャンか。くくく。カイストのヤツ、よく公衆の面前で、真顔でその名前を言えるものだ」
お父さまの言葉に、思わずわたくしは同意してしまいました。
だって、はい。
ク・ウチャンって、クウちゃんです……。
「また今回は、新賢人誕生の見届人として、審判者たるマリーエ殿が特別に我らが帝国に登場してくださる! 皆! 審判者殿が登場される際には、無礼な行いなどないように!」
会場がざわめきます。
マリーエ様が現れることに、驚き、戸惑っているようです。
それって誰だ?
みたいな様子は、まるでありません。
いつの間にか、みんな、マリーエ様のことは普通に知っているようです。
マリーエ様も、大きくなったものです……。
中身はマリエさんですけど……。
あ。
子供が今、観客席で「ヤマスバ!」って叫んじゃいました!
大変です!
ヤマスバは聖なる言葉!
軽々しく口にしてはいけないのです!
……ということに、なっているのですよね。
いつの間にか。
ただ今回は、オーケーみたいです。
なんとお兄さまが言いました。
「ヤマスバ」
と真顔で。
お兄さまについては、本当に丸くなったと思います。
昔はもっと融通の利かない、お固い人でしたけれど。
最近では、ヤマスバだけではなくて、普段からも冗談を言ってきます。
ヤマスバが冗談かは、わからないけですけど……。
会場がさらにざわめきます。
その様子を楽しげに眺めてから、お兄さまは言葉を続けました。
「ついに帝国に審判者が来てくださるのだ。我らの好意として、盛大なヤマスバで迎えるのも良いことだ」
会場が沸きます。
みんな、実は言いたかったのですね……。
耳が痛くなるほどの「ヤマスバ」コールが沸き起こりました。
「カイストも、立派になったものですね」
お母さまが愉しそうに笑います。
「良いのか悪いのか。クウの影響を受け過ぎだろう」
お父さまは少し渋い顔をしていました。
するとエリカさんが言います。
「陛下、それはとても良いことだと思いますの。次はぜひ、我がジルドリアでこうして出迎えたいものですの」
「かめーへんよ。と、カメは言った。カメだけに」
「あははー」
ナオさんとユイナちゃんは、お気楽モードに戻っています。
さあ、いよいよのようです。
トルイドさんたちと審査員の皆さんが脇に下がって、ステージにはお兄さまと優勝者のハンザさんだけが残る中――。
青空の彼方から――。
真っ白な光の柱が、ゆっくりと降りてきます。
その神秘的な光景を見て、ヤマスバコールはさらに熱を帯びます。
やがて光の柱はステージに届きました。
光が消えています。
光の中から現れるのは、2人――。
あれ。
とわたくしは思いました。
マリーエ様は、最初から超常の存在でしたけれど……。
ク・ウチャンもそうでしたっけ……。
現れたのは、幻影のように揺らめく、この世ならざる存在の2人でした。




