878 閑話・オルデはお茶を楽しむ
エリカは本当にすごい。
私、オルデ・オリンスも最近はモッサ先生の下で、礼儀作法についてはいろいろと頑張ってきたけど……。
一緒にお茶を飲んでいると、私も頑張ってきたからこそ、まさにエリカの姿が本物なのだとわかる。
エリカは、私よりもいくつも年下だけど、尊敬できる先輩だ。
というか一緒にいると、年上にしか感じられない。
エリカは本当に、ただの庶民なんだろうか……。
いや、うん。
そんなわけがないわよね……。
とは思うのだけど、実際、エリカのまわりには、メイドさんもいなければ護衛の人もいない。
お嬢様であれば、誰かはそばにいるはずだ。
まあ、うん。
いるにはいるけど……。
カメのリュックを背負った銀色の髪の獣人の女の子と、ぽわわんとしたメガネをかけた女の子が。
ただ、この2人が護衛ということはないだろう。
ただ、うん。
この2人は、なんか気がつくとこっちが敬語を使っているというか、いくつも年下なのに妙な迫力を感じるというか……。
私の敏感な危機センサーが、大いに反応するというか……。
ただの少女には思えないのだけど……。
とはいえ2人は、エリカのことなんてそっちのけで、なぜかボンバーを捕まえて一緒に遊び始めた。
護衛やメイドなら絶対にやらない行為に違いなかった。
ボンバーが現れた時には、正直、ギョッとした。
最近、彼は、ハッピーにハマっている。
黄色い服を着て、ハッピーハッピー言っている。
正直、怪しすぎる。
赤の他人になったわけではないから、近づかれてしまったら、あきめらめて同席を許すしかなかったけど……。
なにしろボンバーは、それなりにお金持ちで気前がいい。
ただひたすらに高級品を愛していた頃は、まさにダーリンとして私にもたくさんのハッピーをくれた。
私としても、無下にはできないのだ。
ただ今は、それが本当に虚しい。
なんかどうにも、キャッキャッする気にはならないのだ。
むしろ静かに、落ち着いていたい。
それが今の私だった。
幸いにも、ボンバーは私には気づかなかった。
エリカとの時間を壊されなくて、本当によかったとホッとした。
エリカは帝都の人間ではない。
今日がおわったら、せっかく友達になれたというのに、もう会うことはできないかも知れないのだ。
ボンバーについては、いきなり飛んでいった。
唐突に現れた空色の髪の女の子が、唐突に大きな声をあげた。
その声に驚いて目を向ければ――。
女の子が綺麗な足をスカートから伸ばして、恥ずかしげもなくボンバーのことを蹴り飛ばしたのだった。
え。
と、思った。
だって、どう考えても、あり得ない。
女の子が蹴って、ボンバーが空の彼方に消えた、とか。
女の子は、ふわふわ工房の店主だ。
ハイエルフという。
なので、特別な力とか、そういうのを持っているのだろうか……。
「オルデ、気になさいますな」
私が動転して女の子の方を見ていると、エリカが言った。
「ねえ、エリカ……。今の、見たよね……?」
「世の中には、気にしたら負け、ということがありますの。そういうことは気にしないことが大切ですの」
エリカは悠然とした態度で紅茶を飲む。
「でも……。ねえ、エリカ、私さっき、夢の話をしたよね?」
「ええ。気がついたらトリスティン王国の王城にいて、そこで次の国王に説教したら求婚されたという話でしたね」
「うん、そう。その時のね、ソード様なんだけど……。なんか、あの子にそっくりというか……。同じというか……」
「オルデ」
エリカが、手にしていたティーカップを置いた。
意外なことに、カチャリ、と、それなりに大きな音が立った。
「これは、友人となったからこその忠告ですけれども――。夢は夢。現実に持ち込むべきではありませんの」
エリカは目を合わせず、そんなことを言った。
忠告……。
私はその意味を考える。
つまり、それは、私の推測は正しいということなのだろうか。
あの工房の女の子が、実はソード様。
だとすれば、千載一遇のチャンスかも知れない。
オネガイとか。
オネダリとか。
できちゃうかも知れない。
「せっかくの夢が、消えてしまいますわよ」
私の顔色を見てか、エリカが言った。
その言葉を聞いて、私は我に返った。
「――そうね。ごめんなさい。今のは忘れて。夢は夢よね」
「それが賢明ですの」
相手は聖女様の片腕、他国の重鎮を相手にして、余裕の上から目線で会話ができるほどの存在だ。
そんな相手を、私みたいな小娘が、どうこうできるはずもないか。
それこそ存在ごと消されておしまいだ。
「とはいえ――」
と、エリカが言葉を続けて、
「夢を胸に抱くことは、とても良いことですの。それはきっと、オルデに新しい道をもたらすと思いますの」
「そうね。それは、自分でもそう思う」
お嬢様道を極めたとしても、私には何もないかも知れない。
実際、友達にも言われる。
礼儀なんて勉強して、どうなるの、どうするの、と。
さっきの貴族にも言われた。
それは、その通りだと思う。
なにしろ私は、ただの庶民の娘だし。
だけど、違うのだ。
少なくとも、私が私のことを好きになれる。
姿勢を正して、まっすぐに前を見て、綺麗な足取りで町を歩く。
それは、新しい自分だった。
自分の足で歩いていることを感じられる自分だった。
「……ヒミツを握って、オネガイしてオネダリなんて、どう考えても、お嬢様のすることじゃないよね」
私はつぶやいた。
するとエリカは、なぜか困った顔をした。
その視線が少しだけ大通りに向いたので、私もそちらに目を向けた。
通りには、空色の髪の女の子とユイナとナオの姿があった。
ユイナとナオが、空色の髪の女の子に抱きついている。
大通りは賑わしい。
なので、気にするまでは耳に入ってこなかったけど、注視すれば声もちゃんと聞こえてくる。
「ねー! クウー! 買ってよー!」
「買って。買って」
「あーもう! 駄目ったら駄目!」
「うえーん。なんでー! 私のオネガイ聞いてよー! オネダリさせてよー!」
「私たちは無一文。クウが頼り」
ユイナとナオの2人が、オネガイしてオネダリしていた。
それはもう恥ずかしげもなく、堂々と。
「これから君たちはバーガーを食べに行くんだよ。フェスティバルの会場でたくさんのバーガーが待っているというのに、クウバーガーだってあるのに、その前にクレープなんて食べてどうするっていうの」
「だってぇ、美味しそうなんだもん! ねーねー!」
「チョコクリームを希望」
「私はベリーね! ベリーいっぱい!」
「ダーメ」
「もー。バーガーなんていいからー。クウバーガーよりクレープなのー」
「……は? 今なんつった?」
「あ、えっとぉ……」
「私はくう。クウバーガーを、くう」
「あー! ナオ! 裏切ってー! かくなる上はー!」
「……なに?」
「オネダリさせてくれなきゃ、クウのヒミツをバラし――あいたたた! 許して許して冗談だから嘘だからぁぁぁ!」
その大騒ぎを聞いていたエリカが、静かに席を立つ。
「オルデ。出ましょうか」
「え、ええ……」
私たちはカフェを出た。
代金は当然のようにエリカが出してくれた。
金貨で。
お釣りはいりませんわ、と付け加えて。
お店の人も驚いたけど、私も驚いて、思わずそのまま奢られてしまった。
いや、うん。
エリカ、本当は庶民じゃないよね?
知ってたけど。
エリカは、まだ騒いでいる三人のところに行くと、腰に手を当てて、呆れた声でキツめに言った。
「貴女たち、いい加減にしなさい。何をしているのですか」
私も、本気でそう思った。




