869 閑話・大会当日、マリエの朝
「じゃあ、マリエ、あとはよろしくねーっ!」
「え。あ、うん」
クウちゃんは今日も元気いっぱいです。
用件だけ言うと身を返して、朝の光を浴びた空色の髪をきらめかせ、あっという間に走り去ってしまいました。
こんにちは、私、マリエです。
今日は、待ちに待った最強バーガー決定戦の当日です。
クウちゃんは、朝から大会の仕事がたくさんあるみたいで大変です。
なので、ほとんど会話できなかったのは……。
はい……。
仕方ないとは思いますけれど……。
「今日はよろしくお願いいたしますわね、マリエさん」
「観光、楽しみ」
「エリカとナオは、何気に初めてだよねー。帝都を気楽に歩くのって」
「うん。初めて」
「なんだかドキドキしますの」
今、私の目の前では……。
メガネと帽子で変装した聖女様ことユイナちゃんが、ベージュのワンピースに身を包んだエリカさんと、甲羅っぽいリュックを背負ったナオさんと、3人で楽しそうに会話しています。
私、今日はユイナちゃんだけって聞いていたんですけど……。
普通に3人います。
薔薇姫エリカ様と、戦士長ナオ様ですね。
あ、いえ。
私も話しかけられているんでしたっ!
「お昼前までだけど、今日は案内させてもらうねっ!」
ユイナちゃんと過ごす時は、敬語は使わないのがお約束です。
今日、ユイナちゃんは普通の子!
私のお友だちです!
つまり、エリカさんとナオさんも、そういうことでいいんですよね。
一応、ちらっと様子は窺いますけど……。
「うんうんっ! よろしくね、マリエちゃんっ!」
ユイナちゃんがニコニコと言います。
エリカさんとナオさんにも、気分を害した様子はありません。
よかった。
大丈夫そうです。
あ。
お店からお父さんが出てきました。
「おお。もう来たんだね。みんな、おはよう。マリエのお友だちだね。君はユイナちゃんだったかな」
「おはようございます。今日はマリエちゃんと遊ばせてもらいます」
「はははっ! 楽しんでくるといいよ! そちらの2人は初めて見るね。マリエのことをよろしくお願いするよ」
「初めまして、お父様。エリカと申します。今日は、わたくしの方がマリエによろしくお願いされる予定ですので、よろしくお願いしますの」
エリカさんが、目上の人に対するような挨拶をします。
片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたままのお辞儀です。
「こ、これは丁寧にどうもありがとうございますっ! マ、マリエ、こちらはどちらのおうちのお嬢様なのかな?」
「おーほっほっほ。イヤですわ、わたくし、ただの町娘ですの」
「そ、そうですか……」
ほとんど逃げるように、お父さんはナオさんに視線を変えました。
「君の名前は、なんというのかな?」
「ナオ」
ナオさんは相変わらずの無表情で、声も平坦です。
ただ、はい……。
「は、はは……。なんだか雰囲気のあるお友だちだね。お父さん、一瞬、不覚にも倒れかけたよ」
さすがは私のお父さんです。
ほんの少し目を合わせただけで、ナオさんの怖さを察知したようです。
「……じゃ、じゃあ、お父さんはまた寝るとするよ。みんな、今日はお祭りだからお貴族様やお金持ちも普通に町にはいると思うけど、くれぐれも、ぶつかったりして目を付けられてはいけないよ。周りをよく見て、慎重に慎重に、お祭りを楽しんでくるといいと思うよ」
お父さんは力なく笑うと、お店の中に引っ込んでしまいました。
さすがは私のお父さんです。
見事な逃げっぷりです。
「トラブルになっても平気ですわよね。ナオがいますし」
エリカさんが言います。
ナオさんは、本気か冗談かわからない、いつもの無表情で返事をします。
「やっぱりナオちゃん。100人蹴っても大丈夫」
「あはは。通りが血の海になっちゃうねー」
ユイナちゃんがお気軽に笑いますけど……。
「やめてね!?」
もちろん私はツッコミましたとも!
クウちゃんじゃあるまいに!
って、あれ。
クウちゃんも、いつも蹴ってるのかぁぁぁぁぁぁぁ!
血の海はないけどぉぉぉぉぉ!
ここで白いフェレット姿のリトさんが言います。
「ナオ。今日は、マリエがヤレと言うまでヤッテはいけないのです」
「わかった」
「言わないからね!?」
私に何をさせようというんですかぁぁぁぁ!
私はクウちゃんじゃないからねえぇぇぇぇ!
クウちゃんだけにぃぃぃぃぃ!
くう。
…………。
……。
私はセラちゃんでもありませんね。
くうくうなんて言わないです。
失礼ました。
私は冷静になった!
と、そんな葛藤を私がしていると――。
そこに――。
「どけどけー! 急ぎの荷物なんだー! 道を空けろー!」
「きゃっ!」
危なかったです!
通りの端をすごいスピードで走ってきた荷馬車に、あやうく私はぶつかってしまうところでした。
私、葛藤するあまり、全然まわりを見ていませんでした。
家の前だからって油断していましたね。
反省です。
と……。
急いでいるはずの荷馬車が急停止しました。
御者の若者の首根っこを掴んだナオさんが、相変わらずの無表情で、特に力を込めた様子もなく――。
若者を引きずって、平然と歩いて戻ってきました。
「捕まえた。マリエ、どうする?」
「な、なんだよぉ! ふざけんな! ぶち殺すぞテメェぇぇぇぇ!」
ナオさんにされるがままの若者が、足元で叫びます。
「あらあら。あやうく人身事故になるほどの暴走行為を働いて、逆に脅迫とは素晴らしいご身分ですこと」
「……キミ、悪いこと言わないからさぁ。ちゃんと謝ったほうがいいよ。今なら許してもらえるから」
エリカさんに見下され、ユイナちゃんに諭されて……。
若者さんは幸いにも、貴族のお嬢様を敵に回してしまったのだと、状況を理解してくれたみたいです。
その後は、ひたすらに謝って……。
なんとか許してもらって、すごすごと荷馬車に戻りました。
私はもちろん!
絶対に目を付けられないように、3歩下がって、まるで赤の他人のようにしていましたとも!
空気の極意・改、発動です!
全力でしたとも!
出かける前から疲れ切りましたとも!
クウちゃんだけに、くう、ですよ、これはもう本当に!
私はクウちゃんでもセラちゃんでもありませんけれど!
荷馬車がゆっくりと去ってから――。
「マリエちゃん。私たちも行こっかー」
何事もなかったかのように、ユイナちゃんがニコニコと言いました。




