862 閑話・商人ウェルダンの試練3
倉庫に着くと、最後まで準備をしてくれていた2人の従業員が姿勢を正して殿下御一行を待っていた。
この私、ウェルダンが会長を務めるオダウェル商会は、日の出の勢いで売上を伸ばしているとはいえ、正規社員の数は10名に満たない。
少数精鋭の新興商会だ。
従業員には負担をかけることも多いが、よく応えてくれている。
倉庫の中は、まさに展示会場だった。
大会で使うキッチンや器具が美しく並べられている。
「おい、すぐに使えるキッチンはどれだ?」
私は部下にたずねた。
「はい。こちらです、会長」
私はまず、自分でキッチンの動作を確かめた。
魔石コンロも魔石オーブンも給水も、キチンと作動している。
うむ。
問題はなさそうだ。
「どうぞ、姫様。このキッチンをお使いください」
「うん。ありがとね、ウェルダン」
さて、クソガキのお手並拝見といこうか。
クウは手ぶらだが、彼女は魔法のバッグという、とんでもない性能を秘めた魔道具を所持している。
見た目はシンプルなショルダーバッグなのに、その中に、大量にものを詰め込むことができるらしい。
ただ、そのバッグすら、先程までは持っていなかったはずだが……。
今は普通に持っている。
そして、そのことは誰も気にしていない。
「お弟子様、ウリを置かせていただいてよろしいでしょうか?」
「うん。お願い」
クウの許可を得た後、ゴウド男爵は連れてきた部下に命じて、作業台に6個のウリを置かせる。
「じゃあ、最初に聖国の料理を作ってあげるね。このウリがものすごく重要な役割を果たす料理があるんだー」
「……いったい、どんな料理なのですか?」
「それは完成してのお楽しみ。ユイが考えた料理だから気に入ると思うよ」
「ユイというのは……。まさか、聖女ユイリア様のことで?」
「うん。そだよー」
ゴウド男爵は黙ってしまった。
帝国においても、聖女ユイリアの名は迂闊に出せるものではない。
「ウリの処理は魔法でするから、よく見ててね。時間をかければ、包丁でもできることだから」
クウがウリのひとつに指を向ける。
すると、そのウリが浮き上がった。
呪文は唱えていないが、無詠唱魔術のことを魔法というのだろうか。
殿下達に驚く様子はない。
すなわち、私が知らないだけの常識ということだ。
クウは、ウリを引き寄せると――。
おお。
ウリの皮が剥がれていく。
ウリは瞬く間に、皮をはがされて白い身を晒した。
「見ててねー。まずは輪切りにしまーす」
おお!
それは、まるで何かの芸のようだった。
剥き身のウリが空中で、すっぱりと輪切りにされた。
「次に、かつらむきにしまーす」
輪切りにされたウリが、それぞれに長く薄く削られていく。
私は頬に微風を感じた。
目の前の出来事は、風の魔力で行われているのだろう。
「これで完了です」
クウは、平たいロープのようになったウリの薄切りを手に取ると、それを私達によく見せた。
「最後に、これを乾かします。今回は魔法でサッとやっちゃうけど、そうでない時は天日干しにしてください」
クウが様々な要人から一目置かれる存在であることは――。
当然、私も知っている。
オダンもウェーバー頭取も、いちいちクウの言動を気にして、今後の商売の方向性を決めている。
私はそれを、少し冷めた目で見ていたものだ。
だが実際――。
他では見たこともない魔術の力で、クウがみるみるうちに薄く切ったウリを乾燥させる様子を見ていると――。
いったい、このクソガキは何者なのだ――。
と。
今更ながらに思ってしまう。
「はい。乾きました。ゴウドさん、触ってみて」
「は、はい……」
おそるおそるの様子で、ゴウド男爵が乾いたウリに触れる。
「これは……。なんというか、完全に別物ですね……。これがうちのウリだったなとど想像がつきません……」
「完成したこれは、カンピョウ、と言います」
「カンピョウ、ですか……」
「干したウリって意味ですねー」
「わかりました。覚えておきます……」
「ちなみにカンピョウについては、聖国では現状、海苔と同様に海洋都市から輸入されているだけみたいです」
聖国は近年、全力で米の増産に取り組んでいると聞いている。
他の野菜を新規に産業とする余裕はないのだろう。
それは、まさに商機だ。
カンピョウというものに需要があれば、だが……。
次にクウは、カンピョウの調理を始めた。
乾燥させたばかりのカンピョウを塩水で戻して、醤油と砂糖、それに酒とみりんを加えて煮込む。
しばらく待った後、完成した煮付けを試食させてもらった。
絶品――。
とまではいかないが――。
甘辛い濃い目の味付けと独特の食感は、それなりに楽しむことができた。
「で、このカンピョウの煮付けを使った聖国の料理がこれです。
じゃじゃーん、海苔巻きー」
魔法のバッグからクウが取り出した長方形の紙の箱に入っていたもの。
それは、炊いた米と具材を海苔で包んだ料理だった。
輪切りにされた一切れを私は渡された。
具材はカンピョウの煮付けと、卵焼き、それにキュウリか。
食べて驚いた。
濃いと感じたカンピョウの味付けが、海苔に酢飯に卵焼きにキュウリと調和して完璧なバランスに収まっていた。
美味。
海苔巻きは、まさに、そう呼ぶに相応しい料理だった。
殿下達も気に入ったようだ。
クウが差し出したおかわりを、喜んで食べている。
私もいただいた。
私は食のプロとして、聖国の料理も研究してきた。
オデンやソバやテンプラなどだ。
だが、海苔巻きのことは知らなかった。
私が能力不足を恥じて、ポツリとそのことを口にすると――。
クウが笑って言った。
「それはしょうがないよ。海苔巻きは、まだ聖国でも広まっていないし。素材の量が足りてないから」
「そこに、我が領のウリを売り込む商機があるわけですな!」
男爵が大きな声を上げた。
「と言っても聖国は遠いですし、儲かるかはわかりません。とりあえず、ウリにはこういう可能性もあるんだよーってことで」
「はい……。ありがとうございます、愛弟子様。このゴウド、闇の中に一筋の光を見た思いであります……」
そんな話を聞きながら、私は海苔のことを考えていた。
海苔がどんなものかは知っている。
海苔とは海藻を乾燥させたものだ。
帝都ファナスを含めた帝国の内陸地域では、海苔はほとんど流通しておらず、食べられていないが――。
大陸東岸の海洋都市で食べられていることは私も知っていた。
たまに東側の商人が他のものと一緒に運んでくるからだ。
帝国は広い。
北と西と南には海が広がっている。
沿岸の町を当たれば、国内でも、どこかで生産されている可能性はある。
よし。
探してみるか……。
カンピョウと共に輸出できれば、利益は出せるだろう。
あるいは帝国でも、海苔巻きを流行らせることができるかも知れない。
その場合には米の生産も必要になるが……。
うむ。
まさに大いなる商機!
私は俄然、やる気が満ちるのを感じた。
しかし、それにしても……。
私はちらりとクウの方に目を向けた。
すると、目が合ってしまった。
「どうだった? ウェルダン?」
「う、うむ……。そうだな……。ところで海苔やカンピョウは、我が商会で扱ってもいいのかな?」
「好きにすればいいよー」
利権にはなんの興味もない様子でクウは言った。
私は思う。
このクソガキは、実は本当にク・ウチャンの愛弟子なのか……?
明らかに料理に対して造詣が深いようだが……。
実は、ク・ウチャンというのは実在の人物なのか……?
私はたずねようとして、止めた。
何故なら、クウがク・ウチャンの愛弟子であることは――、皇太子殿下が口にされたことなのだ。
それを疑って聞き直すのは、さすがに不敬が過ぎる。
「どうしたの、ウェルダン? 死んだ?」
「生きておるわ、このクソガキが! この私を誰だと思っている!」
しまったぁぁぁぁ!
殿下の前で、クソガキなどと叫んでしまったぁぁぁぁ!
だが、幸いにも大事には至らなかった。
「あははは! この私を誰だと思っているー! 久々に聞いたよ、それー! まだ使ってるんだねー!」
クウが大笑いを始めたからだ。
「今のが噂の……。なのですね」
「ははは! 師匠が真似してたまんまだな! 感動した!」
メイヴィス様やブレンダ様までもが笑う。
ぐぬぬぬぬ。
腹が立つ。
しかもクソガキめ、この私のモノマネをしているのか!?
腹は立つが、さらに怒るわけにはいかない。
「うおっほん」
私は咳をついて、話を変えることにした。
「我が商会が揃えたキッチンの使い心地は、いかがでしたかな、姫君」
「うん。よかったよー」
結果は、無事に合格だった。
まずはそれに喜ぶとしよう。
その後は、ウィートが小麦を売り込もうとしたが――。
時間も押しているということで、話はまったく出来ずにおわった。
殿下達は、次の視察現場に向かわれた。
それを見送ってから、ウィートは懲りない笑顔を私に向けた。
「さあ、我が友よ! 小麦粉の話をしよう! ディシニア小麦粉は本当に良いものなのだ私が保証する!」
「先程の話だが、カンピョウを扱ってもらえるのかね!? 話を詰めよう!」
ウィートとゴウド男爵が顔を揃えてこの私に詰め寄ってくる。
試練は、まだまだ続きそうだった。




