861 閑話・商人ウェルダンの試練2
遅れて到着した時には手遅れだった。
「殿下! お久しぶりでございます! ゴウドでございます! お見知り置きいただけますでしょうか!」
「覚えてはいる。いつぞやのパーティーぶりだな」
「光栄でございます! 感動でございます!」
我が商会のロビーで、皇太子殿下の手を取って、ゴウド男爵が極めて大げさに再会の喜びを伝えている。
「横から失礼いたします。ワタクシはウィート。オダウェル商会に出入りさせていただいている商人でございます」
さらには旧知の商人であるウィートが、さも関係者のような顔をして、なぜか挨拶を始めている。
そんな肥満と小太りな2人の中年男の背中を、私は見た。
私はウェルダン・ナマニエル。
この私こそが、本日、皇太子殿下を出迎えるべき本人。
オダウェル商会の会長だ。
「ちょっとー、ウェルダン。この人たち、誰?」
私の姿を見つけた姫君――。
いや、クソガキ――。
いや、学院の制服に空色の髪を流した少女――。
クウが、私に非難の目を向けてくる。
「そうですね。なんの余興かしら」
メイヴィス様までもが、表情と声は柔和ながらも、この私に凍てつくような視線をぶつけてくる……。
「ま、聞いてはなかったよなー」
ブレンダ様は、腰に手を当てて楽しそうな笑顔を作った。
だが、その声は確実に呆れていた。
言いたいことはわかる。
わかるが、最大の迷惑をこうむっているのは他でもないこの私なのだ。
ゴウド男爵は気にする様子もなく笑った。
「ははは! さすがは殿下。ガールフレンドも美人揃いですなぁ!」
「まさにですね」
すかさずウィートが調子を合わせる。
私の記憶が確かならば……。
メイヴィス様とブレンダ様には、すでに他に婚約者がいる。
というか、うしろに立っている体格の良い学院生の青年がメイヴィス様の婚約者だったはずだ。
いかん。
すぐに力づくでも部外者どもを追い出さねば!
私の命すら危うい!
と、ここでクウが呑気に口を開いた。
「ところで、ゴウドさんだっけ? その脇に抱えているのってウリ?」
「おお。そうです。そうです! これは我が領の産物であるウリでしてな! 今日はこれをお届けに来たのです!」
「見てもいい?」
「どうぞどうぞ」
クウがウリを受け取る。
男爵の腹のような、丸くて大きな、デップリとしたウリだ。
次の瞬間、ウリが消えた。
おや。
と思っていると、クウの手のひらにはウリが戻っていた。
「なるほど。ウリですね」
クウが言う。
「是非とも殿下の料理大会に使っていだこうと思いましてな!」
「んー。それは無理ですね」
「何故ですか!?」
「だって、今回はハンバーガーの大会ですよ。ハンバーガーを作る時に、一般的に準備する素材ではないですよね。ウリならピクルスにはできますけど……。丸い種類のものは向かないですよね……」
「殿下ぁぁぁ! なんとかお願いします!」
ゴウド男爵が叫ぶ。
「残念だが、俺に決定権はない。彼女が駄目というなら駄目だ」
殿下の返事はそっけないものだった。
「この子がですか!?」
「ああ。そうだ」
「いったいこの子は、どこの誰なのですかぁ!」
私は、この子が誰なのかを知っている。
殿下もメイヴィス様たちも知っているはずだ。
この子――。
このクソガキことクウこそが――。
今、世間を賑わす伝説の美食家にして美食ソサエティの主宰。
ク・ウチャン。
夏の突然の料理対決の時――。
単なる遊び心、ただのその場のノリだけで、表彰の盾にその名前を刻んだことを私は知っている。
何故なら私は審査員として、アリーシャ殿下やウェーバー頭取と共に、その料理対決には参加していたからだ。
ただ、それを口外することはウェーバー頭取から固く禁じられた。
ク・ウチャンが誰なのか。
それは、誰も知らない、知られてはいけない。
それが伝説なのだと。
いや……。
名前だけで明白なのですが……。
と私は思ったものだが……。
反論はしなかった。
実際、世間では、謎の人物とされている。
そんなクウのことを、果たして殿下はどう紹介するのか――。
私は固唾を飲んで成り行きを見守った。
殿下が言う。
「彼女は、かのク・ウチャンの愛弟子。……クウだ」
「な――! あの伝説の美食家! ク・ウチャンの愛弟子ですと!?」
いったい、今年の夏に生まれたばかりのク・ウチャンに、どんな伝説があるのか、是非とも聞いてみたいところだ。
もちろん私は、そんなことは決して口には出さないが。
「そうだ。今回の大会は、実は彼女が仕切っている。俺は名を貸しているだけ。故に俺に決定権はないのだ」
「そ、そんな……。まさか、ク・ウチャン様が……」
男爵がよろめく。
いったい、男爵は何に衝撃を受けているのか。
私には本当にわからないが。
ここでクウが、意味ありげに言った。
「クウちゃんだけに、くう」
と。
「な――! 食うのですか!」
男爵が戦慄する。
「ウリを、ウリたい。ウリだけに」
「な――! ウリだけにですか!」
男爵がさらに戦慄する。
「ウリを、うりうり……。うりうりしても……」
「しても……?」
男爵が問う。
クウからの返事はなかった。
私の勘が確かならば、そこに深い意味はない。
単に面白い言葉を考えつかなかったのだろう。
こいつは、そういうヤツだ。
「……わかりました。我が領のウリは、不要ということなのですね。ここで知名度を上げて起死回生を狙いたかったのですが――。これも時代の流れなのでしょう。潔く廃業するしかないのですね……」
なぜか男爵は納得した。
クウの言葉には、実は深い意味があったのかも知れない……。
「ウリ、需要ないんだ?」
クウがたずねる。
「昔は、我が領のウリといえば、とにかく腐りにくいことから、冬に向けた貯蔵用の食物として定番中の定番だったのですが……。今では技術の発展で、冬でも多くの野菜を収穫することができます。需要は下がるばかりなのです。このままでは経営が立ち行かなくなるのは確実で……」
「なるほど。わかりました」
クウが知った顔でうなずく。
「と、言いますと……?」
「ウェルダン、今日は厨房の器機を見に来たんだけどさ、これからすぐに使うことはできる?」
「はい。試用できるようにさせていただいております」
クウに聞かれて、私は言葉遣いに注意しつつ答えた。
殿下の前だ。
さすがにいつものタメ口はできない。
「なら、案内してよ。ゴウドさん、ここで出会ったのも何かの縁だし、私がこの丸いウリに合ういい料理を教えてあげるよ」
「ほ、本当ですかっ!?」
「任せて」
大丈夫なのか……?
私は大いに不安を覚えた。
なにしろクウは、いくら王女とはいえ、いくらク・ウチャンとはいえ、料理のプロではないのだ。
伝説の美食家など、ただの幻想なのだ。
美食ソサエティなど、存在しないのだ。
とはいえ――。
「当然だが、我々も行くぞ」
「おう!」
「師匠の料理かー。楽しみだなー」
「クウちゃん、わたくしたちにも食べさせてくださいね」
殿下を始めとした方々に、クウを疑う様子はない。
むしろ作れるのは当然といった態度だ。
私は、様々な疑念を抱きつつも、とにかく皆様を倉庫へと案内した。




