841 閑話・オルデ・オリンスの帰宅
私、オルデ・オリンスは人生最大のチャンスの中にいた。
私は今、夕日の差し込むお城の小ホールで、弱気君ことナリユに私を妻にしたいと言われている。
私はもちろん、断った。
さすがの私にも、あまりに身分違いなのは理解できる。
私がもし、ナリユが勘違いしているように聖国の貴族の娘だったのなら、話はまるで違うのだろうけど……。
残念ながら私は、帝都の下町に住む庶民の娘だ。
受けたところで私はロクな目に遭わない。
いくらナリユと仲良く出来ても、絶対にまわりの人間が許してくれない。
でも……。
ほんのわずかな可能性も、考えなくはない。
それは……。
未だに状況は意味不明なんだけど、なぜか私のとなりには、世界最強なんて言われているソード様がいる。
そしてソード様は、なぜか私の後ろ盾になってくれる雰囲気だ。
ナリユの話を一蹴することなく、見つけられたら、とか、なんか物語を作るみたいに進めてるし。
ソード様は聖国の重鎮。
聖女ユイリア様の右腕。
そんなヒトが、私の後ろ盾になってくれるとしたら……。
もしも私になにかあれば、ソード様と聖女様が黙っていないよ? なんてことになるのならば……。
うん。
なんか、やれる気がする。
王妃様にだって、なれちゃうんじゃないだろうか……。
どうしよう……。
勢い任せで、結婚話を受けちゃう?
やっぱりお願いします。
って言っちゃう?
正直、ナリユのことは嫌いではない。
弱気な態度ばかり見せてくるから見落としていたけど、正面からちゃんと見れば普通にイケメンだ。
イケメンなのは、大正義だ。
それに、この弱気君の手を引っ張っていくのは楽しい気もする。
実際、今日は楽しかった。
だけど、やっぱり私は、やめておくことにした。
「はぁ」
私は息をついて、ナリユの手を解いた。
「ごめんね。私、実は、帝国の帝都に住んでいる、ただの庶民の娘なのよね。だから無理。どう考えても」
「え。それは、いったい……」
ナリユが、わけがわからないという顔をする。
「詳しくはソード様に聞いて。私もいきなり連れてこられて、なにがなんだか未だにわかっていないし」
「ソード様……。どういうことなんでしょうか……?」
ナリユがたずねると――。
ソード様はこう答えた。
「ナリユキだ」
と。
小ホールに沈黙が流れた。
……ギャグ?
と私は思ったけど、口にはしなかった。
しばらくしてソード様が話を続けた。
「まあ、さっき言った通りだよ。見つけたいなら見つければいい。その時には少なくとも祝福してあげるよ」
ナリユは、残念ながらソード様の言葉に返事をしなかった。
うん。
残念ではあるけど、当然か。
この後、すぐ――。
怖そうな騎士団長のドラン様が、1人の男を連れて小ホールに戻ってきた。
髪を七三に固めた、真面目一本な感じの執事さんだった。
「モッサでございます。ソード様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
執事さんが礼儀正しくお辞儀をする。
「……なんか、すごいね。帝都にいた時とは完全に別人だね」
「わたくし、心を入れ替えて執事となりました。帝都に帰ったならば礼儀作法の塾を開こうと考えております」
「そかー」
礼儀作法の塾か……。
私も通ってみようかな……。
「なんにしても、すごくよくなったよ。ありがとう、ドランさん」
「これに対する礼は、機会があればラムス前国王に言ってくれ。こちらにも何かあればいつでも来てほしい」
「ありがとう。またよろしくすることがあったら、その時はお願い」
帰宅の時間が来た。
ソード様は、転移の魔術で私たちを帝都に送るそうだ。
すごいね。
本気で意味がわからない。
「元気でね、ナリユ」
私はナリユに笑いかけた。
「オルデ……」
「なに変な顔してんのよ! 今日は楽しかったよ!」
「うん……。そうだね……」
「――ねえ、ソード様。もう最後なら本当に教えてほしいんだけど。結局、なんで私をここに連れてきたの?」
「ナリユキだ」
「……そういうのはいいんで、ちゃんと教えてよ」
「ナリユキだ」
ソード様は繰り返した。
どうやら教えてはもらえないようだ。
「まあ、いいけど……」
私は肩をすめた。
「では、目を閉じろ。次に気がつけば帝都だ。気をつけて家に帰れ」
「はいはい」
私は、ソード様に言われるまま目を閉じた。
「待ってくれ! オルデ!」
「ん? どうしたの?」
ナリユに呼びかけられて、私は閉じていた目を開けた。
「げ、元気で……」
「うん。そっちもね」
一瞬、止められるかな、とも思ったけど。
そんなことはなかった。
私は意識を失い――。
目が覚めれば、ソード様の言った通り、そこは帝都だった。
夕闇の中――。
中央広場のベンチで私は目を覚ました。
目覚めると、正面に――。
七三分けの執事さんがいて、私にお辞儀をしてきた。
「アナタ、お城にいた……」
「モッサと申します。ソード様のお申し付けにより、お嬢様をご自宅までお送りさせていただきます」
「べつに1人で帰れるけど……」
私は断ろうとしたけど――。
「さあ、お手をどうぞ」
優雅な仕草でエスコートされて、結局、そのまま一緒に歩いた。
「……ねえ、私たち、トリスティン王国のお城にいたのよね?」
「左様でございます」
「……夢じゃなかったのよね?」
「左様でございます」
「ソード様は?」
「すでにお帰りになられました」
結局、なにもわからないまま、私は日常に帰ってきた。
モッサさんの家は聞いておいた。
塾を開くなら、私も習いたいということで。
家に帰って、私は部屋で1人になる。
明かりはつけないままベッドに寝転んで――。
掲げた手のひらを見つめた。
今日、頑張った私の手だ。
我ながら、今日は弾けた。
媚びることもなく、言いたいたことを好きに言ってしまった。
いつもなら媚びまくって……。
気合で高級品を貢いでもらうところだったけど……。
今日の私は成果ゼロだ。
だけど充実感はあった。
ナリユのことは、正直に言うと、やっぱり惜しかったかなぁ、ダメ元で相思相愛してみるべきだったかなぁ……。
とも、思ったりしたけど……。
頬を叩いて、すっぱりと、過去の思い出の棚にしまった。
もう二度と、会うこともないだろうし。
私は、よっと身を起こして、窓から夜の空を見た。




