817 閑話・ハラデル男爵の激情
私、タベルーノ・フォン・ハラデルが帝都から届いたその手紙を目にしたのは、9月も下旬に差し掛かった、ある日の午後のことだった。
「最強バーガー決定戦……だと……」
その内容は私を戦慄させるのに十分なものだった。
そこに書かれていた内容――。
それは、この私――。
食の求道者ハラデルに対する、明確な挑発であり挑戦状でもあった。
そこには、第一皇女アリーシャ殿下の直筆で――。
こう書かれていた――。
男爵におかれましては、すでに老齢。
ハンバーガーという若者の食文化をテーマにした本大会への参加は、いささか難しいところもあるかと存じます。
ただ、やはり男爵こそがハラヘールの代表であろうと判断し、ここに招待状を送らせていただきます。
しかし、無記名にはさせていただきました。
ハラヘールの中で最良の者を選び、老齢の男爵に代わって、食の都の代表として参加させていただいても大丈夫です。
サンネイラでは、次期当主トルイドが参加の予定です。
彼はまだ若く発想も自由故、誰も口にしたことのない、まさに最強のバーガーを作るのではないかと期待しています。
大会で会える日を、楽しみにしております。
…………。
……。
私は一瞬、手紙を破り捨てたい衝動にかられながらも、それを必至の理性でどうにかギリギリ抑えた。
手紙は、どれだけ無礼であっても――。
どれだけ挑発的であっても――。
あくまで第一皇女殿下からのもの――。
破り捨てることはできない……。
私は手紙を折りたたみ、封筒の中に戻した。
その後、私は書斎で1人、天井に向かって叫んだ。
「うおおおおおおおおお! 許さん! 許さんぞおおおおおおお! この私が老齢だとおおおお! この私がいささか難しいだとおおおおお! なにが若く発想も自由故だ! つまりこの私には、発想も自由もないということかぁぁぁ! 二度も老齢などと書いて、見下しおってからにぃぃぃぃ!」
私は怒りのままに吠えた。
体の中に熱い炎が渦巻くのを確かに感じていた。
いや実際に、火の魔力が暴走しかかっていたのかもしれない。
私は、歴史ある食の都の領主。
火の魔術師であり、調理魔術の権威。
食の伝道師。
そして何より――。
主宰ク・ウチャン様より認められた料理の賢人なのだ。
その私を――。
たかが年齢を理由に弾こうとする、その無礼。
その浅薄。
その短慮。
断じて許せるものではなかった。
ドアが開いた。
「旦那様……?」
私の様子を見た執事が――。
「旦那様! いかがなさいました! お気を確かにお持ちください! そのままでは火が家に移って大変なことになりますぞ!」
あわてて私の許に駆け寄ってきた。
肩を揺さぶられて、私はいくらかの冷静さを取り戻した。
「ああ、すまぬ……」
私は、発火寸前のところで溢れた魔力を鎮めた。
「これを読んでみてくれ」
私は長年仕えてくれている執事に、皇女からの手紙を渡した。
執事は手紙に目を通すと――。
「これはまた――。男爵に対して、なんとナメた口を――いえ、失礼しました。過小評価されたものですな」
「許せると思うか?」
私が問いかけると、執事は静かに首を横に振った。
私は自らを語る。
「この私、タベルーノ・フォン・ハラデル……。
確かにお若い皇女殿下から見れば、明日には死んでいてもおかしくない老いぼれにも見えるのだろう……。
だが――。
この内に秘めた炎が弱まったことなど、未だ一度もなし――。
我が食に対する追求は留まることを知らず、未だ燃え盛っておるわ」
「はい。よく承知しております」
「うむ……。わかってくれるか」
「もちろんでございます。しかし、ハンバーガー勝負とは、また庶民の食べ物が選ばれたものですな」
「――そうだな。まさに、私の苦手とするところではある」
ハンバーガーを取るに足らない料理というつもりはない。
私も町に出れば食べる。
私は庶民の味でも自分の舌で確かめる男だ。
帝都の姫様ドッグは素晴らしかった。
だが、今までの人生の中で、自らハンバーガーを作ってきたかと言えば、残念ながら答えは否だった。
「……まさか! サンネイラの小倅が皇女殿下と手を結んで、この大会を仕掛けているのでは! 旦那様の――。いえ、あるいは――。この食の都ハラヘールの権威の失墜を狙って!」
帝都での料理対決の時、2人が一緒にいたのは、小倅が第一皇女に姫様ドッグ店への口添えを頼んだからに過ぎない。
あの2人は、たまたまパーティーで会話しただけの仲――。
特に親しい間柄ではない――。
そう報告は受けていたが――。
だからこそ、あの小倅の料理の腕を認めて、孫のエカテリーナを嫁にくれてやろうと考えたのだが――。
それを以って――。
サンネイラとハラヘール。
2つの食の都の、長年の抗争に一区切りをつけても良い――。
それを我が人生の最後の仕事にしよう――。
そう考えて私は、当事者たちの反対を押し切って、いささか強引にでもこの話をまとめようとしていた。
貴族の結婚とは、家と領土の発展のためにあるものなのだ。
個人の意思など、小さな問題でしかない。
話は上手く進んでいた。
サンネイラの当主も、2人の婚姻によって2つの都市が結びつくことに賛成の意を示してくれた。
お互いの料理が交われば――。
帝国の食文化は、さらなる発展を遂げるに違いない。
それは私にとっても大いなる夢だった。
だが――。
実は、トルイドとアリーシャ。
この両者が、実は密かに恋仲だったとしたら……。
「いかがなさいますか、旦那様」
「ふ。安心しろ、そこまでのものではない」
私は小さく笑った。
であれば、第一皇女の挑発的な手紙の内容にも納得がいく。
第一皇女は、ク・ウチャン様とも親しい関係のようだった。
恐らくは、泣きついたのだろう。
そして、この私を挑発して、激怒させて、今回の婚約話を雲散霧消させようとしたに違いない。
「……ク・ウチャン様には、とんだご迷惑をかけてしまったものだ」
私はつぶやいた。
ク・ウチャン様は、幼い少女のように天真爛漫なお方だった。
偉ぶったところなど一切なく、すべてが自然体のお方だった。
帝都での料理対決の時、私は何も気づかなかった。
だが、今は違う。
ク・ウチャン様よりいただいた、記念の盾――。
私の名前が彫り込まれた純ミスリルの逸品。
超一流のドワーフ職人を以ってしても、こんなものが作れるわけがないと言わせるほどの品だった。
その盾を見て、あの料理対決の日のク・ウチャン様の姿を思い出す度に、私は認識を改めていくのだ。
いったい、あのお方は、どれほどの齢を生きたハイエルフ――。
あるいは仙人――。
いや、あるいは――。
この世界に降りたという精霊様――。
まさにク・ウチャン様こそが、そうなのかも知れないという想いさえ、私は胸の内に抱いていた。
いずれにせよ、ク・ウチャン様は今、帝都で暮らしている。
皇女に泣きつかれては断れないのだろう。
「大会への参加は、いかがなさいますか?」
「無論、私が出る。このタベルーノ・フォン・ハラデルの力、改めて、若い奴らに見せつけてやろうぞ。ついでに皇女への趣旨返しも思いついたわ。帝室への良い貸しに出来ることだろう」




