790 閑話・騎士団長ドランは哄笑した
いったい、これは何事なのか……。
私は今、目の前で起きている事が理解出来ず、激しく混乱していた。
今、我々の眼の前には――。
先生の存在を告げる、巨大な鉄のゴーレムの姿があった。
夏の青空からは、雲ひとつないのに雪が降り続いていた。
雪は美しく、神秘的だった。
身に触れれば、心身が癒やされるのを感じる。
私はドラン。
トリスティン王国において長く騎士団長を努め、この国の近年の発展を支えてきた1人である。
そして今、滅びようとする国を憂い――。
すべてを失くさぬ為に、新たなる旗を立てた1人でもある。
我々の計画は完璧だった。
智謀も覇気も失い、抜け殻と化したラムス王――。
一方的な蹂躙を受けながら何の賠償も求めず、ただ和平のみを目指す愚鈍の極みであるリバース王太子――。
すべての領土を獣人共に奪われながらもリバースに同調した、去年までは強硬派の筆頭だったヘルハイン卿――。
これらの売国奴に隠れて、我々は密かに有力貴族と連絡を取った。
残念ながら、すべての相手からの賛同は得られなかったが、今日ここに至るまで王城への告発はなかった。
すなわち、暗黙の了解は得られたということだ。
我々は密かに王都へと兵を集め――。
計画を実行した。
公爵家の男子たるナリユ卿を新王を据えて、獣人共の国に対して全面降伏に等しい和平など結ばず、徹底的に抗戦するためだ。
ナリユ卿は気弱な青年だが、それ故に扱いは容易かった。
確かに、獣王軍は強い。
それは認める。
だが、獣王国の政治経済の基盤は弱い。
たとえ武力で負けていても、戦いを長引かせれば、その内、獣王国はあらゆる面で息切れを起こす。
我々には、その確信があった。
安易に和平さえ結ばなければ、最後に勝つのは我々なのだ。
ジルドリアからの急報として――。
獣王国が、大森林の獣人族とリゼス聖国とジルドリア王国と竜族と手を結んだなどという話も届いたが――。
その中で、そのまとめ役として、先生という言葉も出ていたが――。
ジルドリア王国とは長年の友好関係がある。
リゼス聖国は他国の戦争に調停以外で関わってくることはない。
大森林は鎖国を続けており、特にヒト族とは関わりを持たない。
そもそも竜族とは何だ。
何より、いつ、どこで、そんな話をしたというのか。
どう考えても物理的に不可能だ。
我等の士気を挫くための、小賢しい策略に違いない。
ほんのわずかな期間でいくつもの勢力を糾合できる先生などという存在がいるはずはない。
荒唐無稽な話だった。
我々は、すべて流言だと切り捨てた。
「どうする、ドラン卿……。予定通り兵を進めるか? それとも――。そもそも先生とは何者なのだ……?」
ナリユ卿が小声でたずねてくる。
私は即答できなかった。
だが、答えは決まっている。
ここまで来て後に退くことはできない。
攻撃を命じるのみだ。
だが、兵士たちは動揺している。
彼らもまた、青空から舞い降りる真っ白な雪に、この世のものならぬ超常の意思を感じているのだ。
先生とは、精霊様なのか……?
我々は、またも罪を犯したのか……?
我々は、今度こそ、許されようとしているのか……?
そんなつぶやきが、兵士たちの間から聞こえた。
次の瞬間、私は意識を無くした。
気がつくと、ナリユ卿と共に、私は半壊した部屋の中にいた。
そこがどこなのかはすぐにわかった。
ラムス王の私室だ。
「ドラン! 何故だ! 何故、このワシを裏切った!」
目を覚ますと同時にラムス王が私に詰め寄ってくる。
ナリユ卿の前にはリバース王太子がいた。
「まさか君が首謀者とは……。失望したよ、ナリユ卿」
「違うのだ! 聞いてくれ、リバース! 私はただのナリユキで! そうナリユキで巻き込まれて!」
「……ナリユキだけに、ナリユ卿、か。ふむ」
神妙にそうつぶやくのは、小柄な少女にも見える――。
白い仮面の――。
古代の神子衣装を身にまとった存在だった。
「貴様は――。ソードか?」
私は、白仮面にたずねた。
「――え。ああ、うん。そっか。そうですね。でも今日は、先生の使いなので国や聖女とは無関係です」
「先生とは何者なのだ?」
「ふわっとした存在です」
「それは――。貴様の主たる聖女ユイリアより高き者か?」
「そうです」
即答だった。
「人なのか?」
「人ではありません」
会話しつつ私は、腰に剣のあることを確認する。
この部屋には、ラムス王、リバース王太子、ナリユ卿、私。
そして、ソード。
この5人しかいない。
この内、ラムス王、リバース王太子、ナリユ卿は、戦う力を持たない。
私は剣の腕には自信がある。
私はソードに剣を振るった。
ソードを殺せば、ソードが偽物であれば、脱出の可能性はある。
城内にいるメイドや文官は、まだ我等が首謀者だと知らぬ者も多いはずだ。
素知らぬ顔をして通用門から出てしまえばいい。
だが――。
私の剣は、渾身の切っ先は、ソードに無造作に指で掴まれた。
掴まれてピクリともしない。
そして、剣は部屋の隅に投げ捨てられた。
私は体の自由を失う。
突然、全身が痺れて、まともに動けなくなった。
私は転倒した。
私は自らを笑った。
どうやら目の前にいる白仮面は、本物のソードのようだ。
リバース王太子直下の6名の武装した騎士が部屋に駆け込んできた。
私とナリユ卿の姿を見て、最初は驚き、戸惑ったものの、やがてクーデターの首謀者だと理解したようだ。
ラムス王と王太子を守るように、彼等は立ちはだかった。
「もういいよね。じゃあ、私は外の兵士を軽く処理してくるから、こちらは冷静な話し合いをお願いします。騎士の人、そこのドランって人は強いから十分に動きは見ておいてね」
ソードのその言葉を聞いて、私は再び小さく笑った。
軽くあしらわれて――。
強い、と称されたか。
ソードは身を浮かせると、そのまま飛んで外に出ようとする。
人が空を飛ぶ。
しかも、魔術を使った様子すらない。
それだけでもソードが超常の存在であることは理解できる。
なるほど。
悪魔共が軽々と葬られるわけだ。
しかも、我等が兵士は、これから「軽く処理」されるか。
本当に、そうなのだろう――。
外にはすでに数体の巨大な鉄のゴーレムがいる。
あれを突進させるだけで、我等が軍は瓦解する。
「ソード」
私は神子衣装の背中に声をかけた。
「ん?」
「話し合うのであれば、兵は下がらせるが?」
「んー。そうですね。問題なさそうなら、それでお願いします」
ソードは飛んで行ってしまった。
国を想い――。
国の為に――。
剣を取り、立ち上がったつもりではあったが――。
先生が精霊だと言うのであれば――。
我等の正義は、世界の意思に反していたというわけか。
「……くく。……はははは」
私は笑わずには、いられなかった。
ナリユキだけに、ナリユきょう




