757 閑話・皇帝ハイセルは堂々と歩いた
娘のセラフィーヌが一ヶ月に及ぶリゼス聖国での修行から帰ってきた。
俺、ハイセルは妻のアイネーシアと共に、願いの泉のほとりでクウとセラフィーヌを出迎えた。
まずは娘の元気な姿を見て安堵した。
皇帝たる俺の元には、日々、東側諸国の情報が届く。
現在、ザニデア山脈を隔てた東側諸国は、新獣王国の台頭によって情勢不安定になっている国が多い。
トリスティン王国などはその最たる例だ。
獣王軍への平和的な領土返還交渉に失敗して、一ヶ月も経たない内に旧獣王国領を武力奪還された。
今やトリスティン国内では、新獣王国との戦争がおわってもいないのに、ここまで事態を悪化させた責任の所在を巡って、貴族が派閥ごとに分裂し、内乱寸前の様相を呈している。
経済は滞り、治安は乱れ、国内は悲惨な状況だ。
とはいえ、その中で、リゼス聖国の治世は安定している。
リゼス聖国は、精霊信仰が国の基盤となっている宗教国家だ。
昔から信徒であれば、人種の大きな差別はなかった。
奴隷制度も採用していない。
特に近年では聖女ユイリアの圧倒的な存在感の元、国民が自ら望んで外からの影響を弾いている。
生活が教義に縛られて堅苦しい反面――。
共同体としての安全性は高い。
なのでセラフィーヌについては、聖女と共にいるということもあり、大きな心配はしていなかったが――。
無事に帰ってきて、本当によかったと思う。
修行が素晴らしいものであったことは、顔つきを見ればわかる。
ほんの一ヶ月で随分と大人びたものだ。
となりにいるクウが相変わらずの能天気な笑顔でニコニコしているからより引き立つというものだ。
「ただいま帰りました、お父さま、お母さま」
「ああ。よく戻った」
「おかえりなさい、セラフィーヌ」
腕を広げたアイネーシアが、セラフィーヌを優しく抱きしめる。
「さあ、軽食の準備をしてある。帰ってきたばかりで疲れているだろうが、まずは話を聞かせてくれ」
「じゃあ、私はこれで――」
「はっはっは。もちろん、クウ君もどうぞ」
俺は笑顔で言った。
「は、はい……」
クウの左右はメイドたちで固める。
そのままソフトに連行だ。
なにしろクウにも聞きたいことが山ほどある。
特に新獣王国についてだ。
帝国にとっても、ド・ミ新獣王国の意向は重要な事項だった。
何故なら、新獣王国の意向は、帝国に住む獣人たちにも多大なる影響を与える可能性があるからだ。
新獣王国は昨日、新生宣言、すなわち建国を宣言した。
詳細な情報は、まだ帝国には届いていない。
なにしろ距離がある。
クウは新獣王国に深く関わっている。
クウに聞くのが一番だろう。
場合によっては、新獣王国の実質的なトップである、ナオ・ダ・リムとの面談を願うべきだろう。
考えて、俺は小さく笑った。
大陸の東側の大勢力といえば――。
リゼス聖国。
ジルドリア王国。
そして、新生ド・ミ獣王国か。
残念ながら悪魔との契約を失ったトリスティン王国には、すでに大勢力と呼べるだけの力はない。
一時、民衆暴動で国家の傾きかけたジルドリア王国は、今では完全に立て直して勢いを増している。
古代竜の力を借りているとは言え、薔薇姫エリカの手腕だ。
暴動を収めて――。
暴動の罪をすべて、扇動した者に負わせて――。
民衆は踊らされた被害者。
国もまた被害者。
被害者同士で手を取り合って国を盛り立てていこう――。
平和を破壊しようとする悪魔の手先を許すな。
扇動者こそが悪である。
薔薇姫エリカは、そうした演説に加えて、貿易と公共事業を両輪とした経済の活性化によって国民の心を掴んでいった。
3国は恐ろしいことに、実質的なトップが皆、12歳だ。
聖女ユイリア・オル・ノルンメスト。
薔薇姫エリカ・ライゼス・ジルドリア。
戦士長ナオ・ダ・リム。
俺は、12歳の少女たちと語り合う必要があるわけだ。
とはいえ――。
それは難しいことではない。
クウと話せば、3人の意向はほぼ把握できる。
何故ならクウの意向が、3人に多大なる影響を与えていることは疑うまでもなく確実だからだ。
最初は半信半疑でもいたが――。
特に聖女ユイリアに対しては――。
だが、昨年末の平和の英雄決定戦の時に、主導権を握るのがクウであることはすでに確信している。
「セラ、頑張ったみたいですよー。神官の証とか貰ってましたよー」
「ふふ。そのようですね。話を聞くのが楽しみです。クウちゃんも最近はいろいろと頑張っていたのですよね?」
「あはは。少しだけ」
「その話もセラフィーヌの後で、ゆっくりと聞かせてください」
「はーい」
アイネーシアと親しげに話すクウは、相変わらず能天気な様子だ。
一方のセラフィーヌはバルターと話している。
「ほほう。ノートを、ですか」
「はい。ユイさんの教えは、すべて書きました。あとは清書して、他人が読んでも理解できるようにしたいです」
「それは帝国にとって素晴らしい宝となりそうですな。……しかし、聖女ユイリアからの許可は?」
「いただいています。完成したら見てもらうことになっています」
「それはようございました。完成した暁には、私にもぜひ」
「はい。ぜひ読んでみてください」
セラフィーヌは、しっかりと聖女の医学を記録してきたようだ。
本にできれば、まさに宝だろう。
俺は、そんな声を聞きながら、1人、先頭を歩く。
皇帝として相応しく、迷わず堂々と。
俺は思う。
セラフィーヌもクウも……。
まずは、俺に話しかけるべきだろう……。
俺は何故、1人で歩いているのか……。




