725 閑話・はぐれ狼オムの成り上がり
「おい、オム。ふらふらしてんな! シャキっと運べや! それはボスからの祝の酒だぞ! 落としたらタダじゃおかねえからな!」
「へ、へい……」
クソが。
心の中で毒づきながら俺は、大手を振って人混みの通りを練り歩く目の前のヒト族野郎を睨みつけた。
睨みつけたが――。
背負った酒樽は落とさないように注意して、腰に力を入れる。
俺はオム。
ほんの数ヶ月前までは、海洋都市アルバにあるカーハ・ファミリーで最前線の特攻部隊に所属して――。
肩で風を切って町を練り歩いていた狼族の男だ。
だが、それはもう昔のこと。
カーハ・ファミリーは消滅して、俺は、はぐれ狼となって――。
今は、ただの下っ端。
「オム。雑用係として拾ってやった恩を忘れるんじゃねえぞ」
がははははは!
ヒト族野郎の横を歩く熊野郎が、俺をバカにして笑う。
クソが。
だが俺は今、こいつらが所属する、この海洋都市べーファでブイブイ言わせているクーラ・ファミリーに拾われたばかりの身。
我慢して従うしかない。
この俺が本気を出せば、こいつらなんぞ八つ裂きにできるが――。
そんなことをしても、お尋ね者になるだけだ。
ここは我慢して、我慢して――。
この俺の強さを見せつけることのできるチャンスを窺うしか無い。
ファミリーは、どこも上下関係に厳しい。
だが、実力主義ではある。
要はチャンスだ。
チャンスさえあれば、俺は成り上がることができる。
「おらどけっ!」
「ひぃぃ! す、すみませんー!」
通行人を蹴飛ばして、ヒト族野郎は道を進む。
このあたりで、クーラ・ファミリーに逆らえるヤツなんていねえ。
俺も正式に一員となれれば、またそうやって暮らせるのだ。
やってやるぜ……。
必ず、また成り上がってやる……。
俺のいた、カーハ・ファミリーは消滅した。
銀狼の尾を踏んだからだ。
その日のことは覚えている。
当時、まだ無名だった獣将ナオ・ダ・リムが物資の取引で交渉に来たのだ。
ボスはナオ・ダ・リムを見誤った。
ボスは、ナオ・ダ・リムが獣王の血を引く者だと知ると――。
以前に処分前提の最低ランクの奴隷として売られてきた、ある銀狼の女のことを語り、嘲ったのだ。
その女は、トリスティンの奴隷だった。
獣王国の良家の血筋とかで、獣人共への見せしめのために、考えられる限りの屈辱を公衆の面前で与えられ――。
最後は肉塊のようになって、連れてこられていた。
これでも生きているのか――。
と、驚くほどの状態だった。
その女には噂があった。
実は、獣王国の王女、ニナ・ド・ミなのだと。
その女は、海賊の男に買われていった。
最後は魚の餌にでもなったのだろうと、俺たちは思っていた。
ボスは、その女のことを、面白おかしくナオ・ダ・リムに語り――。
そして――。
おまえもそうなるのが運命のようだなぁ、と、笑って――。
俺たちにナオ・ダ・リムの拘束を命じた。
ボスはナオ・ダ・リムを捕らえ、長く付き合いのあったトリスティン王国の貴族に売り渡そうとしたのだ。
カーハ・ファミリーは、その日の内に消滅した。
それはもう綺麗に、跡形もなく。
俺たちは、為す術もなく、ただ一方的に押し潰された。
俺は生き残った。
泣きじゃくって、土下座して、病気の妹がいるからと必死に命乞いをしたら許してもらえたのだ。
海洋都市アルバには他にもファミリーがあったが――。
連中は、素直に物資の取引に応じた。
軟弱にも程がある連中だった。
成り上がりを決意しながら酒樽を背負って歩く俺に――。
熊男が声をかけてきた。
「――いいか、おい。そう言えば忘れていたが、てめぇに、この町で注意することを言っておく。絶対に破るんじゃねえぞ」
「へい」
「まず、てめぇと同じ狼族の――。銀狼の女には絶対に手を出すな」
「へ、へい……」
ナオ・ダ・リムの怖さは、すでに東海岸に広まっている。
銀狼族は今や、アンタッチャブル。
触れてはならない存在だ。
言われなくても、俺にも関わる気はない。
ナオ・ダ・リムの赤い瞳を思い出すだけで、今でも膝が震えてくる。
「あと、もうひとつ――」
熊男の話は途中でおわった。
「このクソガキぃぃぃぃぃ!」
ヒト族野郎が、いきなりブチギレやがったのだ。
脇道から走ってきたガキが、ヒト族野郎にぶつかったようだ。
「おい、オム。ケジメつけてやれ」
「へい」
熊男に命じられて、俺は酒樽を置くと、ガキをつまみあげた。
放り投げてから、一度だけ蹴る。
嗚咽をもらして、ガキはうずくまった。
その様子を見て、ヒト族野郎は怒りを治めたようだ。
「行くぞ」
俺たちを連れて、道をまた歩いた。
ガキには不運なことだが、投げて蹴られるだけで済んだのだ。
俺には感謝してほしいところだ。
目的の店には、その後、すぐに着いた。
その店は、長年、犬族の親子が経営していて、地元の人間にも外から来た人間にも愛されていたレストランだったらしいが――。
クーラ・ファミリーに目を付けられたのが運の尽き。
借金まみれにされて、親子は奴隷。
店は奪われた。
不運なことだが、この町でファミリーは絶対。
逆らえるヤツなどいない。
クーラ・ファミリーは、先代のボスは義理人情に厚い任侠肌の男で、地元民には優しかったらしいが――。
去年、先代が病死して――。
ファミリーを引き継いだ先代の子、今代のボスは違う。
とにかく利益優先、義理人情など時代遅れと豪語するお方とのことだ。
店は、今日から新しいレストランとしてオープンした。
店員は、ボスの奴隷になった親子だ。
つい先日まで自分の店だったのに、今日からタダ働きというわけだ。
クズ肉とクズパンとクズ野菜を使って、外から来た連中を相手に儲けようというのがボスの算段だった。
文句を言ってきたら、むしろこっちのものだ。
今日はボスも店に来る。
店の新しい門出を大いに祝うためだ。
俺にとってはチャンス。
ボスにいいところを見せて、出世したいところだ。
トラブルが起きてくれればいいが……。
店についた。
すると店の中から、まだ若い女の怒鳴り声が響いた。
「このバーガーを作ったのは誰だぁぁぁぁぁ!」
バカな娘だ。
誰の店かも知らずに――。
だが、何故か、ヒト族野郎も熊男も動かなかった。
俺は店の中を見た。
「おい、どうなってんだ! 肉も野菜も腐りかけだろ、これ! 客に売るモノってレベルじゃねーだろー!」
「も、申し訳ございません……!」
「って。えっと、どうしたの、おじさん。あ、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだけどね……。前は、すっごい美味しいバーガーだったのに……。こんなモノを作るなんて……。なにかあったの?」
「それは……。なにも……」
「――嘘だよね? どうしたの? 私でよければ相談に乗るよ?」
店の店主とそんな会話をしているのは――。
10代前半に見える――。
青空のように輝いた長い髪を背中に流した、美しい少女だった。
滅多にお目にかかれるものではない上玉だ。
俺はすぐに思った。
これは、いきなりのチャンスかも知れない。
相談に乗るというなら、乗らせてやればいいのだ。
「お2人とも、ここは俺に任せてくださいや。簡単に捕まえて、ボスへの贈り物にさせていただきやす」
俺は前に出た。
「あ、おい……。やめ……」
なぜか強面のヒト族野郎が変な声を出すが――。
俺は気にしなかった。
何故ならこれは、チャンスだからだ。




