722 閑話・メイドは今日も見ていた。ジルドリア王国編
「トーノ。本日、姫様はお忍びで町に出ます。護衛は貴女に任せようと思いますが構いませんね?」
「はっ!」
メイド長たるハースティオ様に問われて、私は敬礼で答える。
否定は許されない。
任務であれば、遂行するのみだ。
私はトーノ。
この世に現れた精霊様と同じ名前というだけでエリカ王女のメイド隊『ローズ・レイピア』の隊員に抜擢された――。
去年の夏までは、剣の握り方も知らなかった――。
平凡な商家の娘だった者だ。
今では『ローズ・レイピア』の中でも30名しかいない正メイドの1人として多くの任務に就いている。
「本日のお忍びでは、市場の散策に加えて、孤児院への慰問、一般の料理屋での予約なしの食事を行います。また、姫様の婚約者候補の一人である、ホストナ侯爵家のハンサムが同行します。市民との間にトラブルが発生した場合は貴女の判断で適切に処理をしなさい」
「はっ!」
「ああ、大丈夫ですよ。裏にコレルリースが付きます。殺意や敵意の持ち主は事前に排除されますので」
敬礼しつつ、私は大いに不安を覚える。
コレルリース様は、『ローズ・レイピア』のメイド副長。
彼女が裏についていれば襲撃の心配はない。
しかし――。
ハンサムは、特権意識が服を着て歩いているような大貴族の青年だ。
貴族の前では礼儀正しいしエリカ様には敬意を払っているが、市民のことなど家畜同然にしか思っていない輩だ。
そんな輩を市場や孤児院に連れていくなど――。
「姫様は遂に上位貴族の意識改革に乗り出すようです。ハンサムが本日のお忍びで何を理解するのか、楽しみにしておきましょう」
私の懸念を悟って、ハースティオ様は言った。
エリカ様のお忍びが始まる。
エリカ様は、帽子とシンプルな衣服で身だしなみを整えて――。
庶民の娘――。
には、決して見えないが――。
それなりに富豪のお嬢様に見える姿に変身した。
ハンサムは、今日はお忍びだと言われていたはずなのに――。
どこからどう見ても貴族とわかる、白い上下の服を着た派手な姿だった。
ただ、エリカ様は構わず町に出た。
馬車を降りて、最初に市場を歩く。
エリカ様とハンサムが並んで、そのうしろに付くのは私1人。
私は私服姿だ。
メイド姿はしていない。
ハンサムの反応は予想通りだった。
まわりに大勢の市民がいるのに、平気な顔をして、臭いだの汚いだの、好きなことを好きなように言う。
ただ、喧嘩はおきなかった。
ハンサムが明らかに貴族の格好をしているからだろう。
「あら。これは美味しそうですの」
エリカ様が屋台の前で足を止めた。
屋台では、潰して丸めた芋を串に刺して焼いたものを売っていた。
甘い匂いが広がっている。
「いらっしゃい。美味しいよー」
屋台にいた女将が、愛想の良い笑顔を見せて接客する。
「……なんだ、この妙なかたまりは。小汚い。お嬢様、こんなものを食べると腹を壊しますよ」
普段、貴族が食べるものではないだろうが――。
ハンサムの言い方には容赦がない。
「あら。そんなことはありませんのよ。わたくし、これと似たものを先日親友からいただきましたけど、美味しかったですもの。1本だけですけど、買わせていただいても宜しいかしら」
エリカ様は購入するようだ。
エリカ様は、普段、金貨以上でしかお金の管理をしない。
銅貨など持ち合わせているのだろうか。
「小銅貨で2枚になるけど……」
「では、銅貨1枚でお願いしますの」
私の心配は杞憂だった。
エリカ様は、きちんと銅貨で支払いを済ませた。
そして、その場で団子のひとつを食べて、
「ええ。とても美味しいですの。素晴らしいものをお作りですね」
と、お店のことを褒めた。
それを見たハンサムは戸惑った様子を見せたものの、さすがというか、すぐに表情を切り替えた。
「おおっ! さすがはお嬢様! なんというお優しさ! 下々の食するモノにあえて手を出して、そのお優しさを振りまくとは! まさに、お嬢様こそ、この王国に咲いた一輪の花!」
本当に、よく恥ずかしげもなく言えるものだ。
ハンサムは腕を広げて、軽いステップで舞い、本当に演劇のような仕草でエリカ様に跪こうとする――。
が――。
市場でまわりを見ずに踊れば、どうなるのか。
大きく振り回したハンサムの腕が、荷物を胸に抱えて通り過ぎようとしていた少年にぶつかってしまった。
少年はよろめいて、抱えていた卵が床に落ちて割れた。
「うわあああ! 卵がぁぁぁ! おい、何してんだよ!」
少年が文句を言う。
しかし、次の瞬間には凍りついた。
相手が貴族だったことに、怒鳴ってから気づいたのだ。
ハンサムが足元を見る。
割れた卵の中身が、ほんの少し、ズボンに跳ねて付いてしまっていた。
ハンサムの冷たい視線が少年を捉えた。
「ち、ちがうんだ……」
少年が怯えて、尻餅をついた。
少年の無礼な言葉を、ハンサムは許さないだろう。
市民への暴力は許可されていない。
ハンサムが腕を上げたところで、私が間に入ることになりそうだ。
しかし、そうはならなかった。
すぐさまエリカ様が、しゃがんで少年を心配したのだ。
それどころか謝罪された。
少年の手を取って、主人のところにエリカ様が直々に謝罪に行くと言う。
「あなたの名前はなんというのかしら?」
「おれは、ジャックだけど……」
「では、ジャック。案内してください」
エリカ様は屋台の女将に清掃代として金貨1枚を渡すと、そのまま少年と共に歩いて行かれた。
「――ハンサムさんも行きますわよ」
「は、はいっ!」
毒気を抜かれたハンサムが、あわてて後に続いた。
「ハンサムさんにはこれを差し上げますの。お食べあそばせ」
「え。しかしこれは――」
ハンサムが戸惑うのは当然か。
エリカ様が差し出したのは、エリカ様がひとつを食べた団子の串だ。
貴族の常識では、あり得ない無作法と言えた。
が、エリカ様は笑ってこう言った。
今はただの市民です、問題はなにもありませんでしょう、と――。
ハンサムは、差し出されるままに串を受け取った。
貴族の常識とエリカ様からの不興。
天秤に掛けて重いのがどちらかなのは明白だ。
「ありがとうございます」
ハンサムは、満面の笑顔を見せた。
団子を食べる。
そして、こう言ってみせた。
「庶民の食べ物も、存外、悪くないものですね」
と。
この切り替えの速さは、さすがというべきか。
ハンサムはこの時点で、エリカ様の意図を読み取ったのだろう――。
少年の雇い主への謝罪と孤児院への慰問も、見事なまでにエリカ様の態度に合わせてハンサムは乗り切った。
庶民の店での食事では――。
残念ながら庶民側からのちょっかいがあり――。
お貴族様に来られちゃ、こっちが気楽に食べれねーんだよなぁ。
などのつぶやきを、わざとらしく聞かされて――。
その無礼にハンサムが立ち上がってしまった。
なので仕方なく――。
つぶやいた者については、私が即座に退出をお願いした。
気絶させて――。
疲れたのですね、と、外に連れ出しただけだが。
合わせてエリカ様は、食事を中止されてお店から出た。
お忍びはおわった。
帰りの馬車の中でエリカ様がハンサムに問う。
「ハンサムさん、本日のわたくしの意図は、理解していただけましたか?」
「愚民共に目を向けろと、おっしゃりたいのですね」
「その通りですの」
「不潔で無作法……。まさに愚民でしたね」
「彼らが居るからこその国であることを、わたくしは伝えたかったのです」
「エリカ様の優しいお心は、このハンサムの胸に、本日、しっかりと深く染み渡りました。私も愚民共を教育するために、エリカ様の理想を現実とするために誠意努力することを、改めてお誓いさせて頂きます」
ハンサムが深々と頭を垂れる。
「期待していますの」
エリカ様は、優しく微笑みを返していた。
馬車が王城に着いた。
ハンサムとは王城に入って、馬車から降りたところでここで別れる。
夕食までは共にしないようだ。
ハンサムは馬車で、王都の屋敷へと帰っていった。
それを見送ってから、エリカ様が私に言う。
「トーノ、貴女は今日、率直に何を思ったのかしら。聞かせて頂戴」
「エリカ様は、普通に庶民と接することのできるお方だったのだと、まずはそのことに驚きました」
その点については、あえて考えないようにしてきたが、率直にと言われればやはりそれが一番だ。
「ふふ。そうですのよ。わたくしは、ちゃんとできますの。それでハンサムさんのことはどう思いましたか?」
「……はい。……本心が見えない方だと」
「そうですね――。今日のことも、本当はどう思っているのか」
エリカ様はずっと、ハンサムの演劇役者のような態度をとても好んでいた。
婚約者候補の筆頭に上げていた程だ。
だけど今――。
ハンサムのことを語るエリカ様の目は、明らかに冷めている。
私は、それを成長だと思ったが、さすがに口にはしなかった。
率直にとは言われても、さすがに分に余る。
ただ――。
エリカ様の下であれば、王国は更にずっと良くなる。
それをあらためて確信して――。
私は嬉しかった。
王女専属メイド隊『ローズ・レイピア』の一員として、これからも誠心誠意お仕えしていこう。
私は改めて、心の中でそれを誓った。




