718 王女の声
「おや、これはニクルス子爵家の――」
「……一体、何をしようとされていたのかな、アーサー殿。王国貴族の振る舞いには見えませんでしたが」
市民たちが見守る中――。
筋肉青年とイキリ貴族が、激しく視線をぶつけ合う。
ボディガードたちが身を起こして、筋肉青年を取り押さえようとするが、それはイキリ貴族が止めた。
「やめておけ。彼は子爵家の者だ。迂闊に手を出せば、おまえたちが牢にぶち込まれることになるぞ」
「大人しく引き下がってくれるのですな」
「誰が?」
「もちろんアーサー殿です」
「ふんっ! 私は、公爵家の一員! 王家の血を引く者だぞ! 誰に向かって偉そうにしゃべっている!」
まったく本当に、見事な程にイキっている。
私から見れば完全にギャグなんだけど、様子を見ている市民は王家と聞いて本気で怯えていた。
「……ねえ、エリカ。あいつ、まさか親戚?」
「はい……。恥ずかしながら……」
「どうして放置してるの?」
「わたくしの知る限りは、聡明で普通に良い方なのですけれど……。あんな言動は見たことも……」
筋肉青年が語り始めた。
「……だからこそ、だ。粗暴な行いをして、その名を汚してどうするのか。たとえ王家の血を引く人間とて、いえ、だからこそ、市民の権利をむやみに侵害するなど許されるものではないのだ」
おお、良い事言った!
「黙れ! 何が権利だ! そもそもこいつらは市民ではない!」
「いや、市民だ。仮に元奴隷だったとしても、彼らはすでに解放されて市民権を得ているのだ」
「そんなものは、世間知らずのエリカが勝手に決めただけのことだろうが!」
「エリカ姫は、実に聡明な方だ。時代の流れをよく読んで、適切に政治を行っている。世間知らずなのはアーサー殿の方だ」
「なんだとぉぉぉ! 貴様ぁぁぁぁぁ!」
うわ。
無謀にもイキリ貴族のアーサーが筋肉青年に殴りかかった。
年齢は同じくらいだけど……。
体格差は超絶に明確。
アーサーは、背は高いけど、ひょろい。
ぱちん。
と、アーサーのパンチが筋肉青年の頬に当たった。
「ふんっ!」
その腕を取って、筋肉青年がアーサーを投げ捨てる。
アーサーはあっけなく転倒した。
倒れたアーサーのところに、イキリ貴族の片割れ、女の方が駆け寄る。
そして、叫んだ。
「暴行よ! 暴行事件よ! 早く衛兵を呼んできなさい! 公爵家の人間に手を出すなんて極刑よ!」
「……まったく、情けない」
筋肉青年は落胆のため息をついた後――。
獣人のおじさんに頭を下げた。
「本当に申し訳ない。私は恥じ入るばかりだ。ただ、エリカ姫ならきっと我々の意識改革も成し遂げてくださる。どうか、もう少しだけ堪えて、この王国が生まれ変わるのを見守ってほしい」
やがて10人以上の衛兵が駆けつけてくる。
イキリ貴族に怒鳴られて、筋肉青年を拘束しようとする。
筋肉青年は抵抗しない様子だ。
「ちがうんです……! その人は、私たちを守ってくれて……!」
脇で怯えていた獣人の女の子が訴える。
そうだそうだ。
捕まえるなら、そっちの貴族だろ。
と、まわりにいた市民からも、いくらかの声が上がった。
「――ハースティオ、居ますね?」
「ここに」
「姿を消したまま、付いてきてくれますか」
「はい。了解しました」
ここでついに、エリカが前に歩み出た。
私は様子を見ている。
エリカのお手並、拝見といこうではありませんか。
「まったく、嘆かわしい」
「誰よ……。貴女……」
いきなり現れた謎のご令嬢に、ミリィという名前らしきイキリ貴族の女の方が警戒した顔を浮かべる。
エリカは、帽子のツバを手で押さえて、顔を隠している。
「どこの誰でもありませんの。ただの見学者ですの」
「はぁ!? ただの見学者ぁ!?」
イキリ女がエリカに突っかかる。
今にも胸倉を掴みそうな勢いだ。
あ、でも……。
声だけで、筋肉青年とイキリ男はご令嬢の正体に気づいたようだ。
筋肉青年の顔が驚愕に。
イキリ男の顔が、一瞬で青くなった。
だけどイキリ女は、ご令嬢の正体に気づかなかった。
「で、なに? なにか文句でもあるの?」
「――衛兵。彼を離しなさい」
イキリ女を露骨に無視して、エリカが衛兵に命じる。
「早く縄で縛って連れて行きなさい!」
イキリ女が叫んだ。
衛兵たちは、お互いに顔を見合わせて困惑した!
「……まったく。まわりの状況から見て、悪いのがどちらかなど一目瞭然でしょうに。そうですわよね、皆さん」
エリカに煽られて、まわりにいた人たちが賛同する。
「しかし、公爵家の人間に手を出したとなると……」
「こちらの殿方は、そちらの殿方に殴られて、その手を払っただけです。完全な防衛行為であって、暴行などではありませんでしたわ。
そもそも、貴族が貴族に殴りかかったのです。
いくら公爵家の人間とて、先に殴りかかっておいて、被害者面が許されるものではありませんの。
もっとも、それ以前に、貴族であれば誰に暴力を振るうのも自由などという法律があった覚えはありませんけれど。
そのような法律、ありましたかしら?」
「それは――。そうですが――。しかし――」
「失礼。それを衛兵に問うても、どうしようもありませんでした。衛兵に答える権限がないことは承知しています」
「はい――」
「とにかくまずは、その手をお放しなさい」
言われて、衛兵たちが筋肉青年の身柄を解放した。
さすがはエリカ。
口が回る。
というか、うん。
正体を隠しているのに、王女の堂々たる威風が普通にある。
すごいね。
さらにエリカは言う。
「市民の皆様も、騒がしくして申し訳有りませんでしたの。こちらの殿方が先程口にしたように、この王国は今、改革の最中。これから多くが変わっていく中で、いくら貴族といえど低俗な輩は駆逐されていくことでしょう。今しばらく、成り行きを見守ってほしいですの」
市民たちの反応は良い。
もちろんだとも。
俺はエリカ様のことを信じてるぜ。
そうさ。
姫様のお陰で、随分と生活は楽になったんだ。
等々……。
エリカに目を向けられて、理不尽な理由で酷い目に遭わされかけていた獣人のおじさんもこう言った。
「もちろんだとも。エリカ様なら、きっと、この国をもっとよくしてくれるさ」
「それを聞けば、きっと王女も喜びますの」
エリカ、出会った頃は、世間知らずの駄目なお姫様だったけど……。
この1年で本当に評判を上げたね。
努力の賜だ。
まあ、うん。
さっきまでは、駄目駄目だったけどねっ!
イキリ女が叫んだ。
「貴女のことじゃないでしょう! 何を自分のことのように偉そうに! だいたい本当に何様なの!? どこの誰かは知らないけどね、彼は公爵家の人間なのよ! わかってるの! そもそも顔くらい見せなさいよ! どうせ見せられない低俗な醜い顔なんでしょ!?」
「お、おい……。やめ……」
イキリ男が震えた声で止めようとするけど――。
手遅れだった。
「このっ!」
イキリ女が、エリカの帽子を跳ね飛ばした。




