688 閑話・皇帝ハイセルは旅の話を聞く 2
セラフィーヌの旅の話は続いた。
俺、ハイセルは、明るい陽射しの広がる庭園の東屋で、軽く紅茶を飲みつつその話を楽しく聞いた。
妖精と出会い、ゴブリンと出会い――。
アーレで歓待されて――。
ついにセラフィーヌの話は、帝国の南岸、港湾都市リゼントに至った。
「リゼントはすごかったんですよっ! すっかりカメ様の町になっていて!」
「カメ様というのは、たしか南の海の主だったか?」
「はい。そうです。カメ様です」
「うに……」
と、クウが何事か言いかけて、やめた。
「どうした、クウ?」
うにとは、なんの言葉なのか。
「あ、いえ。なんでも……。ちょっと喉が詰まっちゃって。あははは。セラ、ごめんね。続けて」
セラフィーヌが楽しそうに、観光都市と化したリゼントの姿を語る。
ただすぐに、その話は暗くなった。
なぜなら、明るい都市の影には、凶悪な海賊団が潜んでいたからだ。
その話は、すでにクウから報告を受けている。
だが、聞いていないエピソードもあった。
マリエ・フォン・ハロについてだ。
「マリエさんが捕まっていたと聞いた時には、本当に驚きました。マリエさんは1人で脱出して、それどころか捕まっていた他の人たちを助けたんですよ。正直すごい勇気だと思いました」
「あれはすごかったよねー。ホント、無事でよかったよー」
「そうですね……。本当です……」
クウにとっても、感知外の出来事だったようだ。
「……ねえ、クウちゃん、セラフィーヌ。マリエは魔力もなく剣も鍛えていない普通の女の子ですわよね?」
「はい。そうです」
アリーシャの質問に、セラフィーヌがうなずく。
「……本当に、よく無事で済みましたね」
「あ、それは――。マリエには、特殊能力があるんですよ」
「それは、クウちゃん、どんなものなのかしら?」
「気配を消す力です。お母さん直伝の秘技みたいですよ。その力で、海賊達の目を掻い潜ったそうです」
クウの言葉に冗談を言っている様子はなかった。
気配を消す術は存在する。
帝国でも、サギリを中心とした隠密部隊が、そうした特異な能力を使って治安を影から守っている。
だが、わずか12歳の、しかも普通の少女が会得しているとは――。
「マリエのお母様は特殊なお育ちなのかしら?」
アリーシャがたずねる。
「普通の人ですよー。貴族のパーティーが苦手で、ひたすら目立たないように生きてきて、それで体得したみたいですねー」
マリエの家族構成については、すでに調査済みだ。
母親は小さな商家の娘。
怪しい部分はなかった。
「ともかく、そんなこともありましたが、海賊団は壊滅しました! さすがはクウちゃんと言わざるを得ません!」
「はははっ。まさにその通りだな。クウ、よくやってくれた」
俺は笑って、セラフィーヌに同意した。
その後は、サウス辺境伯家の当主であるキアードの話になった。
「お父様、キアードくんはわたくしたちより1つ下で、年齢的には丁度来年、帝都中央学院に入れるわけなのですが――。キアードくんを強制的に入学させることはできないのでしょうか?」
「どうした、いきなり。そんなにもサウス辺境伯のことが気に入ったのか?」
「気に入ったわけではありません。それは、今年も遊びましたし、もうお友だちではあると思いますけど……。彼はちゃんと学んで、為政者としての規律を身につけるべきだと思ったのです」
サウス辺境伯キアードのことは知っている。
幼くして父を亡くし、そのまま辺境伯となった少年だ。
仕事にも勉強にも意欲が低く、遊び呆けているという。
ただ、まわりにいる人間が誠実で、致命的な事態には陥っておらず、領土はそれなりに運営されている。
もっとも、2度も悪党の横行を許しているが――。
ただ、そのどちらにも、悪魔が関わっていた。
故に、無能と断じることはできない。
なにしろ帝都でも、クウの手助けがなければ、悪魔が広げた呪具の流通網を暴くことはできなかった。
悪魔とは、人智を超えた恐るべき存在なのだ。
クウと話していると、まるで、取るに足らない小物にすら錯覚するが。
それはともかく――。
「仮にも相手は辺境伯だ。強制はできん。誘うことはできるが、来るか来ないかは向こうの意思次第だ」
「そうですかぁ……」
「はははっ! なんだ、やはり会いたかったのか」
「ちがいますっ! 何を言っているのですか、お父様はっ! 断言しますがそういう気持ちはありませんっ!」
からかうと、セラフィーヌが立ち上がって吠えるが――。
「私は、キアードくんはいいと思うけどなー。面白いし」
クウがぽつりと言った。
セラフィーヌが、面白いほどにピタリと止まった。
ゆっくりと着席する。
俺はからかい半分でクウにたずねてみる。
「それは婚約相手としてか?」
「あー。そうですねー。それもいいんじゃないですかー。キアードくんって、バカだけど根は誠実だし、周囲の人には好かれているし、あと何年かすればいい男になると思いますよー」
予想外の言葉が返ってきた。
てっきり、照れるか否定するかだと思ったが。
「あら。それはクウちゃんのお相手候補という意味かしら?」
アイネーシアが興味を持ってたずねる。
「ただの一般論ですよー。私は興味ないし、関係ないですよー」
「では、アリーシャ。貴女、どうですか?」
アイネーシアが娘に話を振った。
「お母様、残念ですが今はご遠慮させていただきます。わたくしにはスーパースペシャルマックスバスターを極めるという重要な使命があるのです。この夏、わたくしはそれに全力を尽くす所存です」
「……それ、まだ続いてたんですね、お姉さま」
クウの声は明らかに呆れていた。
「まったく本当です。貴女は、まだやっていたのですか」
アイネーシアはため息をついた。
俺も正直、アリーシャが本気で言っている様子には呆れたが――。
スーパースペシャルマックスバスターという技は実在しない。
アレは、光の大精霊が作った、ただの光の流れだ。
そして、倒した魔物の大群は、クウが魔法で作った幻影。
自作自演の技なのだ。
俺とアイネーシアは、すでにそのことを知っていたが――。
だが――。
「なあ、クウ。それは会得できるものなのか?」
一応、念の為に確認はした。
「さあ」
クウは、まるで他人事のように肩をすくめる。
「おまえの話だろう?」
「と言っても、アレはアレですし」
ここでクウが、秘密ですよと前置きした上で、スーパースペシャルマックスバスターの真実をアリーシャに語って聞かせた。
「そ、そんなバカな……。クウちゃん、それならそうと、もっと早く教えてくれればよかったのに……」
「すみません。国家機密なんですよ、これ」
聖国の威厳に関わる話だ。
クウとも約束したので、俺達も口外はしてこなかった。
「わたくしの、この半年の努力は、いったい……」
「強くはなれましたよね。無駄ではなかったと思いますよー」
「メイやブレンダなんて、武技まで覚えたのですよっ! それなのに、わたくしは架空の技に必死に……」
「あはは」
クウのお気楽な笑い声が東屋に広がる中――。
俺は、セラフィーヌに旅の話の続きを促した。




