665 閑話・エルフの少女は運命のお祭りに挑む
「そろそろ時間ですね。行きますよ、リリシーダ」
「はい。お父様」
まだ空は青いですが、十分に太陽の傾いた夕暮れに近い時間――。
私たち、南の島に住むサンドコーラル・エルフ族は、一族の運命をかけたお祭りの広場へと小舟で出立します。
私はリリシーダ。
ヒト族の世界から離れた環状の島に生まれ、育ってきた――。
今年で15歳になる、最も若いエルフです。
そして、族長の娘であり、薄っすらとながらも魔力を見て取ることのできる祝福の眼の持ち主。
10歳の時から巫女として、部族の儀式を行ってきました。
「リリシーダ、君の舞に我らの命運はかかっているのです。あの野蛮な生喰いのトカゲ共に後れを取ってはなりませんよ」
「……はい、お父様」
私は緊張の面持ちで、これから向かう先の島を見つめます。
その島は、魔物の島と呼ばれる恐ろしい島です。
島には、たくさんの魔物がいます。
魔物は、定期的に溢れて海を渡っては、私たちの生活を脅かしてきます。
幸いにも、この10年で殺されたエルフはいませんが――。
それでも毎年、負傷者は出ています。
ただ、今――。
見つめる先の魔物の島に、嫌な気配は感じません。
何故ならば――。
精霊様の放った火の大魔術が、すべての魔物を駆逐したからです。
空一面を赤く染め上げた、聖なる鳥の輝きは、私も見ました。
凄まじい魔力でした。
あれはまさに、精霊様の御力です。
我らを絶望の底へと叩き落とした巨大な黒竜すら、精霊様の下僕でした。
クウ様は、見た目こそ少女ですが――。
その全色に輝いた魔力は、まさに上位の精霊様のものでした。
もっとも私は、今までに他に精霊様を見たことがないので、基準となるべきものはないのですが――。
でも、本能的に理解はできました。
それはお父様や、他のエルフたちも同様でした。
そのクウ様がおっしゃったのです。
芸をして、良かった方に祝福を与える、と。
有り得ません。
有り得ない話です。
何故なら、私たちエルフは、まさに精霊様の眷属。
美しい容姿も、高い魔力も、高い知性も、なにより長い寿命も――。
すべて精霊様に近い存在です。
対するリザードマンは――。
一応、知性を持っていて、一応、生活こそ営んでいますが――。
ただの魔物です。
せいぜい、魔物もどきの蛮族です。
オークと同じで、まるで虫のようにわらわらと増えて、食い散らかして死んでいくだけの存在です。
どう考えても――。
私たちエルフが競い合う相手ではありません。
精霊様は、冗談のつもりで言っただけかもしれませんが――。
たぶん、そうなのでしょう。
私たちを差し置いて、リザードマンごときに祝福など、有り得ない話です。
ですが、だからこそ――。
しっかりとした芸を――。
精霊様に捧げる舞を、奉納しなければなりません。
それが、この私。
祝福の眼を持つ巫女であるリリシーダの役割です。
正直、緊張で胸が張り裂けそうです。
島についた私たちは、さらに驚くことになります。
「ようこそ、お祭り会場に」
と、砂浜で私たちを出迎えてくれたのは――。
私たちよりも、更に精霊に近き存在――。
こちらも今までに会ったことはありませんでしたが、一目でわかりました。
身にまとう魔力の純度が違います。
私たちの上位種たる、ハイエルフのお方でした。
すっかり恐縮する父に、ハイエルフのヒオリ様は言いました。
「某のことはお気になさらず。某は、ただの従者なので」
と。
さすがは精霊様です。
まさか竜だけでなく、ハイエルフまで従えているとは。
その後に現れたのは、何故かニンゲンの娘たちでした。
奴隷なのでしょうか?
挨拶してきたので睨み返したところ――。
「こちらは精霊様のご友人です。くれぐれも失礼などなきよう」
と、ヒオリ様に釘を刺されました。
意味がわかりません。
ニンゲンは、見た目こそ私たちに近いですが――。
醜く狡猾で、邪悪な心の種族――。
だから絶対に心を許してはいけないし、親しく声をかけてもいけない。
ニンゲンとは、自ら悪魔に魂を捧げた、穢れた種族なのだ。
と、私は教えられてきました。
実際、極稀に取引のためにやってくるニンゲンたちは、不躾な視線をぶつけてくる汚れた姿の醜い者ばかりで――。
面と向かって話すだけでも吐き気を感じる程でしたが――。
よく見て、私は驚きました。
光の魔力をそのニンゲンから感じたからです。
光の魔力は、聖なる力――。
精霊様――、いえ、神に選ばれし者である、まさに証明となる力――。
我らエルフでも、ひとりも有してはいません。
私は混乱したまま、とにかくハイエルフ様と精霊様の心象を悪くするわけにはいかないので――。
そのニンゲンたちにも挨拶をしました。
私たちは案内されて、島の中の森林を抜けて、別の砂浜へと入ります。
左右に断崖がそびえる入江の砂浜でした。
歩く内、世界は夕暮れへと変わりました。
入江の砂浜の正面には、環状の島々の広がる水平線へと沈みゆく、赤い太陽を見て取ることができました。
入江の砂浜は、その光を受けて、オレンジ色に染まっています。
お祭りは、この砂浜で行われるということです。
一体、どこから持ってきたのか――。
砂浜には、たくさんのテーブルと椅子が用意されていました。
明かりも灯っています。
なにやらいい匂いもしています。
見回せば、森に面した砂浜の奥に2階建ての家がありました。
木で組まれた、見事な作りの家です。
その家の前にタープが張られていて、その下に置かれたテーブルの上にたくさんの料理があるようです。
砂浜には、すでにリザードマンたちの姿もありました。
二足歩行の野蛮なトカゲ共です。
「やっほー、エルフのみなさん。歓迎するよー。今夜はいろいろと美味しいものを準備したから、大いに食べて、楽しんでいってねー」
輝く青い髪を揺らめかせ、精霊様が来ました。
私たちは一斉に頭を下げます。
「あはは。そんなかしこまってもらわなくてもいいよー。気楽にねー」
ここでお父様が貢物を献上します。
お祭りということで、食べ物にお酒が主です。
あとは、美術品などを。
「ねえ、これってさ……。もしかして、酒樽……?」
精霊様はお酒が気になるようです。
お父様が答えます。
「はい。この島で採れる果実から作りました、我々の自慢の酒です。その中でも最上のものを運ばせて来ましたので、きっと、お気に召していただけるかと。よろしければご試飲ください」
「…………」
ごくり、と、精霊様が息を呑みます。
その輝いた金色の双眸は、酒樽に釘付けです。
「いいの?」
精霊様がお父様に確認を取ります。
「はい。もちろんです」
お父様はうなずきます。
だけど次の瞬間、いきなり精霊様が叫びました。
「ああー! 忘れていたぁぁぁ! ごめん、ちょっと行ってくるね! プレゼントはどうもありがとう! だけどお酒は持って帰って! 今夜はお酒なしの真面目なお祭りにしようと思うからー!」
「ははっ!」
お父様は再びうなずき、酒樽を船に持ち帰らせます。
私はポカンと一連の様子を見ていました。
精霊様はてっきりお酒が大好きなのだと思いましたが、違うのでしょうか。
真面目なお祭り――。
それは一体、どういうものなのか。
私はますます緊張を高めました。
 




