626 閑話・マリエの夜
こんばんは、私、マリエです。
私は今、クウちゃんたちと一緒に旅に出ています。
今夜はキャンプだそうです。
私、野外で寝るのなんて、生まれて初めてなんですけど……。
正直、不安なんですけど……。
私よりもずっと育ちの良いお嬢さまなみんなは、不安なんてなんにもない平気な顔をしています。
なので私も、あきらめることにしました。
なるようになれ、です。
景色は綺麗です。
晴れた空には、星。
川原には、手作りの竈門で揺らめく火と、セラフィーヌ様が魔法で呼び出した白い光の照明。
竈門の上には網が置かれて、ジュージューと肉と野菜の串が焼けています。
香ばしい匂いと共に、煙が立ち上っています。
テーブルのバスケットには、山盛りのパンがありました。
そんなに食べるの?
ってくらいの量だけど、私は余計なことは言いません。
そう。
今日の私は――。
自分でも怖いくらいに空気です。
決して緊張せず、自然に姿勢を正し――。
微笑みを忘れず――。
みんなより少し下がった場所で――。
静かにしている。
そう。
これこそが、お母さん直伝!
帝都最弱準男爵なお父さんの妻であるお母さんが、数々の貴族イベントを無傷で突破してきた奥義!
空気の極意!
私、マリエは今――。
ついにそれを、会得したのだと思います。
ネミエの町でも、ほぼ一切、誰かに構われることなく、まさに空気として乗り切ることができました。
ワイバーンとかSランク冒険者とか、私の手には余り過ぎなので、本当に関わらずに済んでよかったです。
だって、うん。
下手に関わると、きっとまたなにか、審判者マリーエ様とか、とんでもないことになりそうだし……。
マリーエ様……。
なんか、気のせいか……。
いつの間にか、神様の化身になっているのです……。
ヤマスバは、神様の言葉なんだって……。
迂闊に口にしてはいけない聖なる言葉だって、誰かが真顔で言っていた……。
すごいね……。
でも、まあ、あんまり空気になりすぎて……。
置いていかれちゃうと困るので、そこだけは注意だけど……。
ネミエの町ならともかく……。
こんな人里離れた森の中で置いていかれたら、私、確実に死にます。
なんかさっき……。
ゴブリンの集団とか言っていたし……。
「はい。マリエちゃんもどうぞー。熱くて少し辛いから、ゆっくり食べてねー」
「ありがとう、エミリーちゃん」
私の前に、エミリーちゃんがスープの入ったお皿を置いてくれます。
初めてみる黄色いスープです。
色とりどりの野菜が入っていて豪華です。
カレーというそうです。
リゼス聖国とジルドリア王国で密かに流行っているのだとか。
使用する香辛料が高級品なので、ちゃんとしたレストランでしかお目にかかれない逸品なのだそうです。
ものすごく香辛料の香りがします。
うん。
匂いだけで、絶対に美味しいとわかっちゃうくらいです。
一口食べたクウちゃんが叫びます。
「こ、これはー! まさにカレー! エミリーちゃん、よくここまで再現できたねすごいよこれは!」
「ウェルダンさんが輸入してきたスパイスセットのおかげだよー」
「店長、こうしてパンにつけて食べると、さらに絶品ですよ」
パンでカレーをすくって、ヒオリさんが口に運ぶ。
私もいただくことにした。
うん。
美味しいっ!
ヒオリさんを真似てパンにもつけてみた。
これはぁぁぁ!
たしかに、パンにスープが染みることによって、どちらの美味しさも加速させていますトップスピードです!
おっといけません!
私には串を焼くという仕事もあるのでした。
肉の焼き加減は……。
うん。
もう大丈夫かな。
お塩を追加でパラパラっとかけてっと。
「みんなー! お肉も焼けたよー! どうぞどうぞー!」
かくして賑やかに――。
夕食は進んで――。
やがて、おわりました。
私もお腹いっぱいです。
夕食の後は清掃の時間。
清掃については、水の魔力を持っているスオナさんが、練習がてら魔術で行うことになりました。
「じゃあ、まずはマリエからね。動いちゃダメだよー」
「え?」
「一番汚れちゃったしね。スオナ、最初にやってあげてよ。はい、マリエはしばらく息を止めてねー」
クウちゃんに言われて、一瞬、なんのことかわかりませんでした。
だって私、食器じゃないよ?
たしかに私は肉を焼いていたから……。
体や服のあちこちに、灰や油がついちゃいましたけど……。
「では、行くね」
スオナさんが私に短い杖をかざします。
先に宝石のついた魔術杖です。
次の瞬間です。
私は大きな水泡に包まれていました。
な、なにこれぇ!?
驚きましたが、水の中なので必死に息は止めます。
水は、ほんの5秒ほどで消えました。
合わせて、体がとてもスッキリとしました。
すごいです。
服も髪も肌も、綺麗になっています。
しかも濡れていません。
こんな魔術があるんですね……。
知りませんでした。
というか、着替えなしでも大丈夫そうですね……。
「さすがはスオナ殿、完璧な洗浄の魔術ですね」
「ありがとうございます、学院長先生」
「ははは。今は旅の空の下なので、学院長はやめてください」
「はい、ヒオリさん」
スオナさんとヒオリさんが言葉を交わします。
ちなみに旅の仲間のみなさんは、私以外、全員が魔術の使い手です。
ちなみにゼノさんは闇の大精霊です。
ちなみにフラウさんは竜です。
今日の昼、いきなりフラウさんが竜になった時には、私、驚いてひっくり返りかけましたけど――。
でも、まあ……。
はい……。
クウちゃんは普通に空を飛んでいました。
アンジェリカさんたちは、今日の昼、ネミエの町に向かって馬よりも早く街道を駆けていきました。
セラさんは農園でSランク冒険者のお兄さんと戦っていましたよね。
ヒオリさんは、帝都中央学院の学院長様らしいです。
つまり……。
そういう世界ということですよねっ!
気にしたら負けの世界ってことでっ!
私は気にしないことにしていますっ!
すべてを受け流す。
それもまた、お母さん直伝の空気の極意なのです。
私の心は、とてもとても穏やかなのです。
とてとてなのです。
この後は――。
妖精さんたちとパーティーの予定です。
本当に私が居てもいいのかは謎ですけど、ここで帰れと言われても困るのでもちろん私も参加します。
おっと。
いけません。
「スオナさん、ありがとう! すごく綺麗になって、すっきりしたよ!」
ちゃんとお礼は言わねばですよね。




