616 閑話・騎士ロディマスは深夜に目覚めて……。
「うわああぁぁぁ!」
巨大な蜘蛛に左右から襲われて、俺は悲鳴と共に目覚めた。
剣を振るうが――。
俺の手に剣はない。
そして、左右に蜘蛛の姿はなかった。
ああ、夢か……。
俺は今、ベッドの中にいた。
部屋は暗い。
夜のようだ。
ダンジョンでの特訓がおわって、帰ってきたのか――。
朧気だが、その記憶がある。
ダンジョンから出て、馬車に乗って――。
俺はロディマス。
今年の春、帝都中央学院を卒業して、中央騎士団に入った新人の騎士。
目覚めた場所はわかる。
ここは、訓練場に併設された騎士団施設の個室の寝室だ。
「ふう……」
俺は深く息をつき、ベッドから降りた。
目覚めたばかりだというのに、妙に体が軽かった。
それこそ翼が生えたように、自由に飛び回れる気さえしてくる。
これが、おそらく――。
クウちゃん師匠の強化魔法を受けて、ひたすらにダンジョンで戦い続けた成果なのだろう。
いや……。
クウちゃん師匠……?
脳裏に浮かぶのは、氷のような冷笑を湛える――。
黒髪の少女――。
う、うう……。
頭が急に、ズキリと傷んだ……。
一体、どうしたのか――。
いや――。
なんでもない、はずだ――。
体は軽い。
怪我も――していない。
そう――。
俺は、クウちゃん師匠と共にダンジョンに入り、生還したのだ――。
まるで屍のように戦い続ける自分の姿が――。
頭の中に俯瞰される――。
魔犬に腕を喰われ、倒されて、腹の中まで貪られる自分が居るが……。
死体となり、横たわる自分が居るが――。
俺の死体を見て、狂乱する仲間の姿までもが見えるが――。
錯覚、だろう――。
俺は生きている――。
死んでなど、いない――。
必死に戦いすぎて、戦いの記憶はほとんど残っていないが――。
ふう。
気を取り直そう。
クウちゃん師匠は、本当に不思議な存在だ。
遠い異国の王女という話だが――。
カイスト殿下やアリーシャ殿下の言動から、そうでないことはわかる。
そもそもただの少女が、俺たちを鍛え上げるなど、出来るはずもない。
笑えば可愛らしく、澄ませば精悍なその姿。
青空のように輝いた長い髪。
そして、想像もつかないほどの圧倒的な魔力――。
おそらく――。
この帝国に現れ、この帝都に祝福をもたらし――。
陛下に剣を授けたという――。
それが彼女の、正体なのだろう――。
――たとえ1人きりだとしても、口にすることはしまいが。
それが騎士というものだ。
それにしても――。
闇が――。
闇を、妙に間近に感じる――。
夜の冷たい空気が、暗闇の中が、本当に心地良くて――。
たまらない――。
と、ここで俺は――。
何やら外から物音がすることに気づいた。
怒号に、剣撃か……?
騎士団施設は、ロータリーを挟んで、訓練場に面している。
誰かが訓練をしているのだろうか。
俺はカーテンと窓を開けて、ベランダに出た。
そして、眼下に見た。
白い光でライトアップされた訓練場で何十名かの騎士が激しく戦っている。
怒号が飛んでいた。
剣と剣の打ち合う音も響いていた。
「そこぉぉぉぉ! 休むなぁぁぁ! 起き上がれぇぇぇ!」
怒気を含んだまだ若い女の子の声が聞こえる。
ああ、そうか……。
俺はそれが、すぐに何であるかに気づいた。
俺たちのダンジョン特訓の翌日に予定されていた、クウちゃん師匠による騎士団選抜メンバーへの特訓だ。
小柄な少女が、輝く青い髪をなびかせ――。
自分より遥かに大きな男たちを、次から次へとダウンさせている。
そして、早く立ち上がれと、容赦なく蹴飛ばしている。
身を起こした騎士がクウちゃん師匠に斬りかかる。
その刃を軽々と正面から弾いて、もっと打って来いと師匠が挑発する。
もはや気力だけだろうが、騎士が剣を振るう。
ダウンしていた者も必死に身を起こしていた。
おそらくクウちゃん師匠の防御魔法がかかっているのだろう。
斬られても蹴られても、ダメージは受けているようだが――致命傷にはなっていない様子だ。
「立てぇぇぇ! 立てぇぇぇ! もっと疼け! もっと疼かせろ! 白く染まった世界の中に、この青い光を見ろぉぉぉぉぉぉ!」
クウちゃん師匠が手に持っていた剣を投げ捨て――。
どこから取り出したのか、眩く輝く青い剣を掲げた。
「おまえたちには力がある! 眠れる力を呼び起こせぇぇぇ! 剣を持つ手に力を込めろ! 力を呼び起こせ! 疼け! もっと疼いて――。さあ、目覚めた力で私に斬りかかってこいやぁぁぁぁ!」
その暴風のような声を聞いて――。
俺までもが、手が疼くのを感じた。
この軽い体で、俺も打ちかかってみたくなってくる。
いっそ乱入してやろうか――。
そう思ったが、それはやめておいた。
俺は、すでに昨日、ダンジョンで十分な指導を受けた。
今は彼らの訓練なのだ。
邪魔をすることはできない。
しかし、訓練は、午後までと聞いていた。
夜には訓練を振り返ってミーティングをする予定になっていたはずだ。
だが、深夜――。
まだ訓練は続いている。
クウちゃん師匠のテンションは、ダンジョンにいた時よりも高い。
疲れなんて、まったくない様子だ。
その様子は、まるで――。
禁制の薬を服用して狂乱しているかのようでもあったが――。
クウちゃん師匠が、そんな状態になるはずもない。
あれは間違いなく、わざとだ。
いつ終わるとも知れない訓練という名の死闘の中、騎士たちを鼓舞するために演技しているのだ。
「本当に……。すごいな……」
嫉妬心は湧かない。
ただ、羨望するのみだった。
俺もいつかは、あんな風に、皆を導くことのできる存在に――。
まばゆく輝く、たったひとつの青い星に――。
究極の剣士に――。
なりたいものだ――。
嗚呼、それにしても――。
夜の闇が心地良い。
訓練場を照らす白光のライトが、とてつもなく邪魔だ。
俺はいつからこんなにも、夜の闇を愛するようになったのだろうか。
嗚呼、愛しい……。
「あー。やっぱりかぁ。念のため、様子を見に来てよかったよ」
不意に背後から、少女の声が聞こえた。
俺は――。
その少女の声を知っている。
闇の――。
闇の化身――。
う。
頭が……。
「短時間で闇のオーラを浴びせすぎて、すっかり侵食しちゃってるねー。まだ加減が難しいなぁ」
細く冷たい少女の指が、俺の首筋に触れた。
俺は動けない。
全身が凍りついたかのようだった。
「これじゃあクウにバカにされちゃうから、抜くね。次に起きた時には、たぶん問題ないから」
嗚呼、闇が遠のいていく……。
俺は意識を無くし――。
今とは違う、どこか遠い夢の中に落ちた。
「それにしてもクウは、どこまで元気なんだろうねえ……。
さすがのボクも呆れるよ。
しかし、クウもあんなにオーラを当てて、あの連中は大丈夫なのかな。
影響されて、とんでもない性格になりそうだけど。
まあ、いいけど。
あ、そうだ。
こいつらも同じようにしておこう。
それなら文句は言われないよね」




