61 閑話・皇女セラフィーヌの新しい日常
「――集中が乱れておりますぞ、姫様」
いけません。
今ごろクウちゃんは、どこでなにをしているのかなぁと考えたら、つい気が緩んでしまいました。
「申し訳有りません。続けます」
心を正し、自分の中の魔力に意識を向けます。
わたくし、セラフィーヌは今、裏庭園の願いの泉のほとりで、呪文の発動に必要な魔力収束の訓練をしています。
訓練を始めて何日も経ちますが、未だにスムーズにできなくて苦戦しています。
「焦る必要はありませんぞ。魔力の収束を自然に行えるようになるには、一年以上の鍛錬を積むのが普通です。じっくりとやればよいのです」
今は、帝国の魔術師団長であるアルビオ・フォン・ナトラザークが訓練の様子を見に来てくれています。
齢80を超えた老年の彼ですが、まだまだ元気な様子です。
アルビオは大陸に名を響かせる大魔術師。
そんな彼に直接見てもらえるわたくしは本当に恵まれた環境にいます。
体中に広がっている薄い輝きを、一箇所にまとめる。
最初は漠然とまとめようとしていましたが、クウちゃんのアドバイスを受けて今は方法を変えています。
足の先から、折りたたむようにまとめていく。
指の先から、同じく折りたたんでいく。
胴体に集めた輝きを、さらに小さく折りたたんでいく。
折りたたむほどに熱気と圧力が高まり、心臓が鼓動を早めます。
それに耐えて、ひとつの点にまでまとめる。
「お見事。収束できましたな」
「……はい」
収束を解いて、一息をつきます。
クウちゃんの言ったやり方なら、成功するようにはなっています。
「でも、まだまだですよね。もっと早く、一瞬でできるくらいにならないと」
クウちゃんは魔法を使う時、こんなに苦労していません。
握った手を広げるくらいの気楽さで使っています。
「わたくしは、呪文なしで一瞬で、魔術を使えるようになりたいのです」
無詠唱の即発動は高度な技術です。
でも、アルビオを筆頭に魔術師団で使える者は複数います。
冒険者にもいるそうです。
手の届かない目標ではありません。
「無詠唱で大切なのはイメージする力です。収束させた魔力で、発動したい魔術を明確に描くのです。炎の矢であれば炎の矢を。睡眠であれば暗雲を」
「癒やしの魔術では、どのようなものを描くのでしょうか?」
「水魔術でならば清らかな水の流れですが――。光魔術については帝国では知る者がおりません。お役に立てず申し訳有りません」
光魔術の情報は聖国で秘匿されていて、外部にはほとんど漏れ出しません。
帝国にあるのは「光の書」という一冊の本のみです。
今から100年前、聖国で次期聖王を巡る権力争いがあった際、敗れて帝国に亡命した貴族が密かに持ち込んだ品だそうです。
わたくしは基礎が一通りおわった後、その本で本格的に光魔術についてを学ぶ予定となっています。
でも、イメージ……。
わたくしには光の魔術の知識はまだありませんが、でも、明確にイメージできる光の力はあります。
あの時、クウちゃんが旅に出る時、わたくしにかけてくれた魔法。
天から伸びてきた光の柱。
包まれた温かさも、鮮明に覚えています。
馬車に轢かれた子供を助けた白い光の輝きも、わたくしは覚えています。
忘れることなんてできません。
あの白い輝きは、今でも心に残っています。
わたくしの憧れです。
わたくしの理想です。
あの時、クウちゃんは短くこう言っただけでした。
「――ヒール」
次の瞬間、わたくしの中に薄く広がっていた魔力が一気にまとまり、わたくしの手のひらからあふれました。
「え。これ――」
白い光として。
「姫様! それは!」
アルビオが驚愕の声を上げます。
それはクウちゃんの使った魔法の光と、とてもよく似ていました。
きっと、同じものです。
癒やしの力――。
確認することはできませんでした。
魔力と共に、体中の力が抜けてしまったのがわかります。
「セラフィーヌ様!」
駆けつけたシルエラに抱きかかえられたところで、わたくしの意識は途絶えました。
意識が戻ったのは夕方です。
わたくしは自室のベッドで寝ていて、シルエラとお医者様と水魔術師の方がそばにいてくれました。
どうやらわたくしは、許容を超える魔術を発動させてしまったようです。
その反動で意識をなくしたとのことでした。
体に痛みはありませんし、意識もはっきりしているので、わたくしはすぐにベッドから起き上がりました。
なんでしょう。
不思議な感覚ですが、倒れる前よりも体の内の力が充実しています。
魔力は使うほどに伸びる。
そうアルビオは言っていました。
倒れるほどに使って、一気に伸びたのでしょうか。
それならば……。
「ねえ、シルエラ」
「はい、なんでございましょう」
「わたくし、これからたまに倒れると思います。ご面倒をおかけしますが、次も支えてくださいね」
「……それは、どういう意味でしょうか」
「魔力を伸ばすための鍛錬です」
同じことがまたできるかはわかりませんが。
もしもできるのであれば、きっと最高の鍛錬になります。
「危険ではありませんか?」
「わかりません。でも、わたくしはそもそも、ほんの一ヶ月前まで、呪いのせいで明日には死んでもおかしくない身だったのですよ? それと比べれば、魔力の鍛錬なんてたいした危険ではありません」
わたくしは、ずっとクウちゃんとお友だちでいたいのです。
クウちゃんはこれからもしかしたら、クウちゃんを一度は殺したという『闇』と再び戦うのかも知れません。
クウちゃんの口ぶりからは再戦の可能性を感じました。
その時、今のわたくしでは何もできません。
せいぜい応援するだけです。
でも、道は見えました。
見えたのなら、努力して進むだけです。
わたくしは偶然とはいえ、光の力をこの身から放ちました。
できたのです。
極めればきっと、みんなのために、クウちゃんのために、なにかすることができると確信できる力です。
「……畏まりました」
少しの間を置いて、シルエラはうなずいてくれました。
夕食の時に、お父さまとお母さまにもそのことは伝えました。
お父さまは倒れるような鍛錬に難色を示しましたが、お母さまが認めてくれたので行えることになりました。
真に上の魔術師を目指すならば、魔力の枯渇で倒れることは、避けて通れない道なのだそうです。
ただし、信頼できる魔術師に付き添ってもらって、万が一の時にはすぐに治療できる状態で行うという約束になりました。
お姉さまは、わたくしが光魔術の行使に成功したと知って大喜びしてくれました。
これで来年、わたくしが学院に入れば、派閥の優位は揺るぎないと。
ごめんなさいお姉さま。
光魔術のことは秘密なのです。
お父さまからもキツく言われて落ち込んでしまわれましたが、こればかりはどうしようもありません。
でも、そのお姉さまがとんでもない提案をします。
「それなら、クウちゃんの入学を許可するというのはどうでしょう?」
「ほお。それは面白いかも知れんな」
お父さまが乗り気になってしまいました。
わたくしとしては……。
嬉しいのですけど……。
クウちゃんは確実に嫌がると思います。
「お姉さま、クウちゃんを派閥争いに利用しないでくださいっ!」
なので怒ります。
この話も、お母さまがそれはクウちゃんの気持ち次第と言って、とりあえずお流れになりました。
よかったです。
でも、派閥争いというのは大変のようです。
お父さまも苦労している様子です。
お父さまは四男として生まれ、ご自身でも皇帝になるとは思っておらず、自由に生きてこられた方です。
それが避暑地での魔物の大発生によって、お爺さまお婆さまと共に上のお兄さまたちを失い、帝位を継ぐことになりました。
お父さまにはバルターを中心とした強い支持基盤がありますが、未だに反発する貴族もいるようです。
来年、学院に入ったら、わたくしも巻き込まれるのでしょうか。
お姉さまやお兄さまはむしろ楽しんでいる様子ですが、わたくしは確実にそういうのは苦手です。
入学は楽しみですが、そのことを考えると少し憂鬱です。
食事がおわった後は、お母さまとお姉さまと3人で浴場に向かいます。
今週は、週末に演説会があってその準備に忙しくなるので、家族で取れる食事とお風呂はこれが最後です。
明日からは、お父さまとお母さまは貴族との食事会が続きます。
お姉さまとお兄さまも忙しくなるようです。
クウちゃんは、今週は来ません。
クウちゃんはいつも、裏庭園から入って、わたくしの私室や食堂や浴場に行っているだけなので、貴族の方々と遭遇することはありません。
でも今週は、貴族の方々の出入りが多くなるので、皇族の私空間でも会ってしまうかも知れないからです。
寂しいですが、こればかりはしょうがありません。
正式な紹介前に会ってしまうと、トラブルが起こりそうですし。
浴場では、お母さまにしみじみと言われました。
「……セラフィーヌ。貴女とこうして一緒にお風呂に入ることができて、本当によかったと思います」
「はい……」
それはわたくしも同感です。
こんな日が来るなんて、思ってもいませんでした。
毎日、体に巻き付いた黒い痣が痒くて痛くて、胸が重くて苦しくて辛くて。
わたくしの毎日は絶望そのものでした。
でも必死に気力を振り絞って、顔だけは上げていました。
だってそうしないと、わたくしに関わる人たちがわたくしより苦しむから。
お父さまもお母さまも手を尽くしてくれていましたが……。
出口のない毎日でした。
でも今は、暖かな光の中にいます。
あの日の夜。
他には何もできず、願いの泉で祈りを捧げていた夜。
もうこの世界からは消えてしまった精霊さまに、心の中でだけ、どうか助けてくださいとお願いしていた夜。
すべては変わりました。
わたくしの新しい日常が、始まったのです。
ご覧いただきありがとうございましたっ!
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