605 閑話・アンジェリカの寮生活
「――本日も素晴らしい糧を与えてくれた精霊様に感謝を。
ハイカット」
――ハイカット。
寮長に続いて祈りの言葉を捧げて――。
今日の夕食が始まる。
私はアンジェリカ・フォーン。
今年の春に城郭都市アーレから出てきて、今は帝都中央学院の学生寮で暮らしている12歳だ。
広い食堂には、1年生から5年生まで――。
約100名の寮生が揃っている。
皆、姿勢を正しくして、運ばれてきた最初の料理を口に運んでいく。
寮生には、地方から出てきた貴族のお嬢様も多い。
料理はいつも貴族グレードのものが出てきて、豪華だ。
私もいただくことにする。
最初の1週間は緊張して、先輩方の目も気になって、ひたすら静かに礼儀正しく食べていたけど――。
今はもう慣れて、普通に味わっている。
食事中の会話は禁止されていない。
夕食の食堂は賑やかだった。
「初めてのテストはどうでしたか、アンジェリカさん」
隣の席に座るメリエーナ先輩が話しかけてきた。
「はい。平気でした。先輩は――あはは。平気ですよね」
「ええ。もちろん」
メリエーナ先輩は北方の貴族家のお嬢様だ。
年齢は私より1つ上の13歳。
現在2年生。
いつでも優雅で上品な方で、見ているだけでもマナーの勉強になる。
「セラフィーヌ殿下も問題ありませんでしたか?」
「はい。完璧だと言っていました」
「そう――。それはよかったです。わたくしで力になれることがあれば、なんでも力になりますから、何かあれば相談して下さいね」
「ありがとうこざいます。殿下にも、そう伝えておきます」
メリエーナ先輩は、セラの最初のお茶会に呼ばれた3人の内の1人だ。
先輩は選ばれたことを誇りに思っている。
対外的に見ても、それは本当に名誉なことだ。
なのでセラのことを、いつも気にかけている。
でも、実はセラは……。
目を閉じて、「えいっ」と適当に丸を打って決めただけ……。
ということを私は知っている……。
「どうかしましたか?」
メリエーナ先輩が、私の微妙な緊張に気づいて首を傾げる。
私はあわてて誤魔化した。
「あ、いえっ! 明日のことを考えてしまって。殿下とも勝負なので――」
「アンジェリカさんも魔術科でしたものね。たしかに――。手を抜くことは許されませんが、どう立ち振る舞うべきかは悩むところですね」
「先輩が1年生の時は、どんな実技をしたのですか?」
メリエーナ先輩も魔術科の生徒だ。
この後は、先輩からいろいろと実技の話を聞いた。
食事が終わって部屋に戻る。
次はお風呂だ。
学生寮には、魔石をふんだんに使った豪華なお風呂がある。
お風呂は2組に別れて入る。
1年生は2組目なので、まだ少し先だ。
トントン。
と、ドアがノックされて、返事をすると、スオナが部屋に入ってきた。
お風呂までの時間は、スオナといることが多い。
「いやー、まいったよ。先輩達にさ、明日は絶対にセラに勝ちなさいとハッパをかけられてね」
「期待の星だもんねえ、スオナは」
「勘弁してほしいよ。入試の時のセラとは、もう違うからね」
入試の時、セラは単に魔法を唱えただけだった。
なので評価は低かった。
今は違う。
評価を得るために必要なことを、セラはすでに理解している。
さらにこの数ヶ月で、魔力を伸ばし、新しい魔法をいくつも習得して、魔力の繊細な操作も身に着けた。
セラが好敵手であることは確かだ。
もちろん、私だって負けてはいないけど。
しばらくおしゃべりしていると、お風呂の時間になった。
廊下で他の子たちとも合流して、みんなで向かう。
更衣室で服を脱いだ。
さあ、湯船に使ってのんびりと――。
したいところだけど、まずは体を洗わなくちゃね。
それにしても……。
スオナの腰まで伸びた黒髪は、服を脱いで裸になると特に目立つ。
まっすぐで艶やかで、夜空の衣みたいだ。
その綺麗な長い黒髪を、手のひらでよく泡立てたシャンプーでスオナは丁寧に綺麗にしていく。
なんとなく横目に見てしまう上品で色艶やかな光景だ。
ちなみに私たちは、髪を乾かすのは簡単だ。
なにしろ魔術がある。
私の風の力で水分を飛ばしてもいいし、水の魔術には乾燥もある。
まあ、あえて魔術を使わなくても、脱衣所には髪を乾かすための専用の魔道具があるんだけどね。
このあたりもさすがの豪華さだ。
髪と体を綺麗にして――。
布で髪をまとめて、ようやく湯船に浸かった。
「はぁ。生き返るぅ」
私が完全にリラックスした姿勢で思わず声を漏らすと、スオナに笑われた。
「アンジェ、なんだか年寄りっぽいよ」
「そういうスオナは、いつでもちゃんとしているわねえ」
スオナは、湯船の中でも姿勢正しい。
「自分で言うのも変だけど、これでも僕は随分と解放されているよ」
「……保護下にあった頃と比べて?」
「うん。そうだね」
「そかー」
「はは。それはクウのマネかい?」
「あ、わかった?」
「さすがにね」
2人で笑い合った。
その後で私は、ずっと気になっていたことを――。
思い切ってたずねてみた。
「……ねえ、スオナ。ガイドルさんとの事って、もうおわったのよね?」
「ああ」
スオナは短く答えた。
その声は、さっぱりしたものだった。
「ねえ、アンジェ。どうして今さら、聞いたのかな?」
「あ、うん。スオナの家――。エイキス家の復興って、ガイドルさんとの結婚が前提になっていたのよね?」
「そうだね――。そうだったよ」
「今は、どうなってるのかなあって……」
「僕の成績が優秀であれば、学院を出て魔術師団に入るのに合わせて、エイキス家の復興は許される予定になっているよ」
「そっか。それならよかった」
「はは。心配してくれていたのかい?」
「うん。だって、そういう話、する機会もなかったでしょ」
「そうだね。言われてみれば」
「よかったよかった」
「ところでアンジェも、魔術師団志望なんだよね?」
「ええ。そうね――」
「なら将来も、僕と一緒かも知れないね」
「正直、ちょっと迷ってるんだけどね……。クウを見ていると、他にも何か面白い道がありそうで」
「冒険者とかかい?」
「それもアリかな。スオナも冒険者を目指していた時があるのよね?」
「そうだね。橋の下にいて、クウと出会った時に」
私たちの未来は、まだまだこれからだ。
道は続いていく。
一体、どこに、行くのだろうか。
それを考えるのは――。
怖くもあるけど、でも、とてもとても楽しかった。
とてとてだ。




