6 帰還の魔法を使ってみる
今、このイデルアシスの世界は晩春くらいなのだろうか。
緑は鮮やかで、空気は新鮮だ。
そして、午後の空はいつまでも青い。
空が赤くなったら帰ろうと思いつつ、私は森の中で薬草を摘んでいた。
樹冠からの光が揺らめく、帝都近郊の静かな森だ。
森には銀魔法の『飛行』で、あっという間に来ることができた。
『飛行』の魔法は、『浮遊』よりも遥かに速く飛べる。
今のセットは銀魔法・採集・敵感知。
銀魔法といえば、『転移』もあるんだけど残念ながら使えなかった。
触れたことのある転移陣に瞬間移動する魔法なので、この世界でまだ転移陣に触れていない以上、仕方がないんだけど。
転移陣はあるんだろうか。
まあ、それはともかく。
今は薬草。
一本ずつ、根本から丁寧にちぎる。
薬草の生えている場所は、私の固有技能『ユーザーインターフェース』に搭載されたミニマップ機能をオンにすれば、採集技能の効果でミニマップに表示されるので、大まかにはわかる。
あとはリリアさんに教えられた薬草の知識と照合して、それっぽい草を摘んでアイテム欄に入れるだけだ。
アイテム欄に入れれば、そのアイテムの名前が表示される。
雑草だったら捨てる。
草を摘む。
草を摘む。
地味な作業だった。
しかもこれ、薬草を3本集めて、やっと小銅貨1枚。
だいたい100円。
虚しい。
私は最強の戦闘力を持っているはずだ。
究極魔法でも広域殲滅魔法でもぶっ放すことができる。
戦闘経験だって豊富だ。
体の動きもVRMMOの時と同じで自由自在だ。
まだ何とも戦っていないので真偽はわからないけど、弱いはずがない。
どうしてこんなことをしているのだろうか。
しかし、ギルドで話を聞いただけで一日は終われない。
なぜなら私は一文無しだ。
冒険者カードは無事にもらうことができた。
そして言われた通りに採集の依頼を受けた。
そして森に来ている。
それなりに薬草採集は出来ているので、宿屋に泊まるのは無理でも夕食を取ることはできそうだ。
……寝るのは『透化』して、どこかの橋の下かなぁ。
悲しい。
寝ている間に『透化』が解けてしまわないかは心配だけど、他に思いつく方法もないので仕方がない。
「あー今夜も、誰か『俺の奢りだ』してないかなー。してるといいなぁ。きっと誰かがしてるよねえ。うん、してるに違いない」
…………。
帰ろ。
気力が尽きたので帝都に戻ることにした。
と、ここで私はユーザーインターフェースを閉じかけて、とある魔法に気づいた。
それは『帰還』の魔法。
すべてのキャラクターが最初から使える、設定した安全地点への瞬間移動魔法だ。
普通に使える状態になっている。
「使ってみようかな……?」
ゲームでは、私の帰還場所はマイハウスの中だった。
マイハウスに帰ることができれば。
そこには、アイテムたっぷり。
ピザでもパスタでもケーキでもお寿司でも食べ放題だ。
「帰還!」
使った。
ヒュンと世界が変わって、私は見覚えのある場所に帰還した。
「……クウちゃん!」
「あ。セラ。やっほー」
なんと帰還したのは、金髪碧眼で同年代の美少女、たぶん皇女様――セラと出会った泉の上だった。
しかも今回もセラが泉のほとりにいた。
「あはは、ごめんね、またも唐突で」
「いえ、平気です。それよりお会いできて嬉しいですっ! またお会いしたいなってお祈りしていたところだったんです!」
近づくと、手を取って満面の笑顔で喜んでくれた。
「それで、どうしてここに?」
「あーうん。仕事に飽きたから帰ろうかなーと思ったら、ここにね」
「お仕事をされているんですか?」
「薬草採集をね」
「すごいですっ! 尊敬しますっ!」
「そんなたいしたもんじゃないよー。食べるだけで精一杯だしさー」
「食べる……ですか。精霊でもお食事は摂られるのですね」
「まあねー」
実体化しているしね。
「そうだ。もしよろしければ、わたくしと一緒に夕食をどうですか? 準備に問題はないと思いますし」
「いいの? いきなりだと迷惑じゃない? しかも夕食なんて」
「シルエラ、問題はないですよね?」
「はい、姫様。問題はございません」
うしろに控えていたメイドさんが一寸の迷いもなく肯定した。
「いいなら助かるけど……」
「決まりですねっ! 嬉しいですっ!」
「いやー、こちらこそ」
「では時間まで、私のお部屋でおしゃべりをしませんか? 美味しい紅茶もご用意いたしますので」
「ほんと? それは嬉しいなー。私、紅茶、大好きなんだよねー」
私はセラに手を引かれて、大宮殿へと向かって歩いた。
「あ、でも、私、ただの不審者だし、やっぱり不味くない?」
「そんなことはないですっ! クウちゃんはわたくしの恩人でお友だちですっ! お父さまもクウちゃんがまた来たら、朝でも夜でも深夜でも、最高のおもてなしをしてあげなさいとおっしゃっていました!」
「……いいの?」
私はメイドのシルエラさんに聞いてみた。
「問題はございません。陛下のお言葉は確かにいただいております」
「ならいっか」
タダ飯。
それに勝るものはない。
お父様イコール陛下っていうのは、まあ、なんとなくわかっていたことだし気にしないでおこう。
だって正直、お腹が空いた。
「そういえば昨日、シルエラさんは大丈夫だった? 迷惑かけてごめんね」
メイドのシルエラさんは、昨夜もセラのうしろにいた人だ。
「謝罪の必要はございません。私にはお構いなく。むしろ昨夜は醜態をお見せして大変に失礼致しました」
間近で見る大宮殿は、ポカンと見上げてしまうくらいに荘厳で巨大だった。
出入口には左右に衛兵さんが立っていた。
2人とも見るからに強そうだ。
「こちらはクウちゃん様、姫様の大切なお友だちです」
「「はっ!」」
シルエラさんに紹介されて衛兵さんはあっさり私を通してくれた。
いいのかそんな簡単に。
と思ったけど、まあ、いいならいいか。
セラの部屋に入る。
シルエラさんが淹れてくれた紅茶を飲みながらいろいろとおしゃべりをした。
「ホントびっくりしたよ。セラ、いきなり服を脱ぎ始めてさ。私、どうしていいのかわからなかった」
「だって、ふと手を見たら、ずっとへばりついていた黒い痕が消えていて。本当に驚いてしまったんです、わたくし」
「お互いびっくりだったね」
「はい。そうですね」
「それでね、あの後、私、街に行ったんだけど、大騒ぎでさ――」
セラは興味深そうに聞いてくれた。
セラはこの5年、大宮殿の敷地から一歩も出ていないらしい。
「わたくし、7歳の時に呪いを受けて、体に蛇のような黒い痣が巻き付いて、胸が苦しくなることも多くて。人前に出るのは無理だったんです。本来なら10歳から外に出てご挨拶をさせていただくのですけど」
セラは今年で11歳とのことだった。
私も(見た目的には)11歳だと言ったら、同じだと喜んでくれた。
「呪いの話、聞いてもいいのかな?」
私がたずねると、セラは「それは……」と困った顔を見せた。
しまった。
ふと聞いてしまったけど、いけないことだった。
「あ、ごめん。いいや」
「姫様、私は構いません」
「でも――。いいのですか?」
「はい。よろしければ私がお話をさせていただきます」
「でも――」
「あ、ほんといいからっ」
「いえ、どうぞお聞きください」
私に一礼して、シルエラさんは語った。
「貴族の裏切りがあったのです。
その者は狂気と欲望に身を狂わせ、自らの領地で人を攫っては、おぞましい行為を繰り返していました。
そのことが露見し、激怒された陛下はただちに騎士団を派遣、徹底的な事実確認を騎士たちに命じました。
そして、追い詰められたその貴族は、騎士たちの前で自らの胸に短剣を突き刺し、邪神に願いました。
皇帝の子、セラフィーヌに呪いあれ、と。
その声は届き、姫様は突然に苦しみ出し、高熱と共に倒れられ、目覚めた時には呪いに侵されていました」
「どうしてセラが?」
「姫様は、大宮殿の物陰で、その貴族が自らのメイドに暴行を加えている現場を目撃されたのです。
激怒された姫様はメイドを引き離させ、身寄りのなかったそのメイドを自らの庇護下に置きました。
その貴族は、そのことを逆恨みしていたのです」
「……そんなことがあったんだ。……大変だったんだね」
そのメイドって、シルエラさんのことなのだろうか。
先程のやりとりからして、そうなのだろう。
でも、そこに触れるのはやめておいた。
だって、何をどう言えばいいのかわからないし。
「治ってよかった」
私はセラに笑いかけた。
「クウちゃん、わたくしを救ってくれて、本当にありがとうございます」
「気にしなくていいよ。そもそもアシス様の力だし」
セラは立派な子だと思う。
呪いに苦しみながらも、よくぞここまで綺麗な心でいられたものだ。
「セラはいい子だ」
思わず頭をなでてしまった。
「クウちゃん、さすがにそれは恥ずかしいです。同い年なんですから」
「ごめんごめん、つい」
22歳のお姉さんからすると可愛くて仕方がない。
トントン。
ドアがノックされる。
夕食の準備が整いましたとメイドさんが報告に来てくれた。
夕食はセラの部屋ではなく、別の場所で取るようだ。
私たちは案内されて宮殿を歩く。
悲しみの薬草採集から一転。
まさかの宮殿ディナー。
自然と笑みがこぼれてしまう。
果たして、どんな食事になるのだろうか。
楽しみだ。