586 閑話・皇女セラフィーヌの一回戦
ふう……。
ついに、この時が来ました。
わたくし、セラフィーヌが初めて――。
大衆の前で戦う、その時が。
去年の夏、旅の最中に、城郭都市アーレでメイヴィスさんと戦った時にもギャラリーはいましたが――。
その時とは場所も人数も違います。
今日は、わたくしの戦いが帝都の衆目に晒されるのです。
皆、巷で人気の『皇女殿下の世直し旅』が、果たして真実なのか――。
いいえ――。
たとえわたくしに光の魔力があるとしても――。
きっとあの語は、物語なのだろう。
誇張されている、あるいは、真実ではないと思っていることだと思います。
実際、真実ではありませんし。
あれはクウちゃんの物語です。
初めてこの世界に来て、ザニデア山脈まで鉱物を探しに行った道中での出来事が物語の基礎になっています。
でも、わたくしは、それを真実に変えたいと思っています。
だってそれくらいでないと、クウちゃんのとなりにいて、クウちゃんの力になることはできません。
「次、6番の方、ステージにどうぞ」
司会進行役の方が舞台裏で待機するわたくしたちに声をかけてきます。
6番――。
わたくしです。
わたくしは閉じていた目を開き、椅子から身を起こしました。
同じく立ち上がるのは、騎士科4年生の先輩です。
逞しい男子生徒です。
わたくしの方をちらりと見て、丁寧にお辞儀をしてきます。
わたくしは小さな笑みでそれに応えました。
1年生の、それも魔術科の生徒であるわたくしが、問題なく武闘会に参加できたのは、わたくしが皇女であるからに他なりません。
普通なら上級生からの詰問を受け、実力を試され、ほとんどの場合は辞退することになるようです。
アンジェちゃんも入学前は武闘会に出る気満々で、剣の練習もしっかりとしていましたが――。
上級生との摩擦を避けるために1年生での参加は見送りました。
なにしろ武闘会は、騎士科の生徒にとって、あるいは人生すらかかっている晴れの舞台なのです。
ここで実力をアピールできれば道が開けるのです。
遊び半分で参加してくる輩を嫌うのは、当然だと思います。
わたくしはおそらく嫌われていることでしょう――。
もちろん、面と向かって言われたことはありません。
皆、応援してくれますが。
それをわかっていて、わたくしは参加するのです。
クウちゃんが作ってくれたショートソードを手に持って、白い石の敷かれた舞台の上に立ちました。
服装は、学院の制服のままです。
スカートとブレザー。
最初は、もっと戦闘に向いた衣装に着替えようかと思ったのですが――。
お姉さまたちが言うには――。
制服のまま優雅に戦ってこその学院生とのことだったので、制服のままで参加することにしました。
実際、参加者の大半は制服のままでした。
スカートの下にはスパッツを穿きました。
なので、大きく動いても、恥ずかしいことはありません。
明るい空の下、満員の観衆が出迎えてくれます。
クウちゃんの姿は、すぐに見つかりました。
「セラー! がんばれー!」
嬉しいです。
応援してくれています。
アンジェとスオナも手を振ってくれています。
お兄さまとお姉さま、お祖父さまも見てくれています。
相手と向き合います。
相手の男子生徒は、鉄の剣、鉄の盾を手に持っています。
一般的な騎士のスタイルです。
わたくしが手に持つのは、一本の細身の剣。
指輪は、すべて外して来ました。
武闘会では、魔道具の使用は禁止されていません。
なので、嵌めてきてもよかったのですが――。
わたくしは外しました。
クウちゃんの力を借りれば勝って当然と、自分自身でも思ってしまうからです。
お兄さまたちもそう思うことでしょう。
それでは、本当の勝利にはなりません。
そもそも、魔道具頼りで勝利したとしても恥になるだけです。
「セラフィーヌ殿下――。私は騎士科の4年生、テニル男爵家の次男でゼリアンと申します。申し訳ありませんが本気で行かせていただきます」
「はい。本気で来て下さい。禍根は決して残さぬこと、お約束します」
水魔術師による保護の魔術を受けつつ、対戦相手の男子生徒――ゼリアンさんと言葉を交わします。
さぞや、わたくしとは戦い辛いことでしょう。
ですが、戦ってもらわねばなりません。
司会者がよく通る声で、わたくしとゼリアンさんのことを紹介します。
そして――。
「始め!」
歓声の中、試合が始まりました。
わたくしは即座に、後方へと飛び退きます。
幸いにも、ゼリアンさんは追ってきませんでした。
その場から動かずに盾を前にかざし、慎重に防御の構えを取ります。
わたくしは強化魔法を唱えます。
クウちゃんから学んできたわたくしの魔法は、すべて無詠唱です。
とはいえ、わたくしはまだ未熟で、強化魔法を即座に発動させるほどの練度と魔力は有していません。
どうしてもいくらかの精神集中が必要になります。
なので、時間がほしかったのです。
「ゼリアン! 攻めろ! 相手は光の魔術を使うんだぞ! 守ったら負けるぞ!」
舞台の縁から声がかかります。
だけどもう遅いです。
わたくしが飛び退くのに合わせて距離を詰められていれば、わたくしは大いに苦戦したことでしょう。
ですが――。
わたくしは強化魔法をかけることができました。
体が一瞬、白い光に包まれて――。
それを見た会場が大いに沸きます。
光の強化魔法は万能型です。
俊敏性では風に、防御力では土に、攻撃力では火に、抵抗力では水に、それぞれ敵いませんが――。
代わりに、そのすべてが上昇します。
さあ、これでわたくしは、一気に戦いやすくなりました。
ゼリアンさんが盾を構えて突進してきます。
わたくしはその動きを読みます。
まずは盾を押し当て、わたくしの体勢を崩そうとしているのでしょう。
で、あれば――。
盾が突き出される瞬間を狙って、わたくしは軽く横に跳びます。
すぐにゼリアンさんは反応してきますが――。
それより一瞬早く、わたくしはショートソードをゼリアンさんの横腹に突き刺します。
だけど残念なことに、水の魔術の保護障壁の上を切っ先がすべって、横に流れてしまいました。
有効打ではありません。
身を返したゼリアンさんが、振るった盾でわたくしの頭を狙います。
その攻撃は、上体を逸らすことで簡単に躱せました。
盾を振り回したゼリアンさんが、わずかにバランスを崩した――。
ように見えました。
罠でした。
攻撃に転じようと踏み込みかけたわたくしの視界の隅に、ゼリアンさんが横薙ぎにしてきた剣の切っ先がきらめきました。
危ないところでした。
咄嗟に気づいて、わたくしはうしろに下がりました。
ゼリアンさんが迷わず距離を詰めてきます。
わたくしは防戦に回ります。
近距離から剣が振るわれます。
1撃。
2撃。
3撃。
わたくしは、そのすべてを受け流しました。
4撃目はステップで躱します。
逃げたわたくしにゼリアンさんが容赦なく盾をぶつけてきます。
まさかここで盾による攻撃が来るとは思いませんでした。
完全に不意をつかれてしまって、避けきれず、わたくしは肩に盾の一撃を受けてよろめきました。
ゼリアンさんがここで勝負を決めようと、力強く剣を振るってきます。
「――閃光!」
手のひらをかざして、わたくしは光の魔術を使いました。
一瞬の光が奔ります。
閃光は、クウちゃんから教わった低レベルの光魔法です。
今のわたくしでも、即座に使うことができます。
ゼリアンさんは、閃光を直視しました。
わたくしはバックステップして、ショートソードを握り直し――。
身を低くして跳躍。
ゼリアンさんの喉に、下から剣を突き刺しました。
「勝負有り! 勝者、セラフィーヌ殿下!」
勝てました。
わたくしの名が会場に響きます。
「くそ――」
喉を手で押さえつつ、ゼリアンさんが唇を噛み締めます。
「ありがとうございました。盾を巧みに使ったゼリアンさんの攻撃には本当に翻弄されました」
「……光の魔術にやられましたね。……目がチカチカとしています」
「そうですね……。純粋な技では、勝てませんでした」
「最初に唱えられたのは、なんだったのでしょうか?」
「あれは、全身に作用する強化魔法です」
「そうでしたか――。私は、様子を見ずに一気に攻めるべきでしたね――」
「そうされていたら、わたくしはさらに厳しかったと思います」
「ありがとうございました。良い経験でした」
最後に握手をして、わたくしたちは舞台から降りました。
控室に戻ると、ブレンダさんとメイヴィスさんが出迎えてくれました。
お祝いの言葉をくれます。
わたくしはお礼を言って、椅子に座りました。
疲れました。
でも、勝ててよかったです。
クウちゃんも喜んでくれていたのが、何より嬉しいです。




