577 夕暮れの橋の上で……。
学院から出た私は、早く帰りたいと思っていたのにすぐには帰宅せず、夕暮れの空をふわふわとしていた。
なぜかと言えば、空が綺麗だったからだ。
空にはほどよく雲が出ていて、赤く焼けたその雲は、不死鳥に見えたり、薔薇の花に見えたり、幻想的だった。
それに最近、精霊としての仕事をしていなかった。
アシス様は言っていた。
精霊はふわふわするのが仕事です。
と。
たまにはちゃんと、ふわふわしないといけないのだ。
ふわふわ……。
ふわふわ……。
なんだか眠くなってくるけど、眠気は我慢した。
なにしろ帝都の上空なのだ。
迂闊に眠って高度が下がって、市街地を寝ながらふわふわするような事態はさすがに避けたい。
「ふぁーあ」
あくびがこぼれる。
残念ながらとんがり山は見えない。
とんがり山――。
我ながら懐かしい呼び名だ。
最初、私は、とんがり山を目指して旅したものだった。
とんがり山――。
聖なる山ティル・デナ。
その名前を思い浮かべるとフォーン神官の一発芸を思い出して、思わずくすりとしてしまう。
平和の英雄決定戦、できれば第二回も開催したいものだ。
「さぁて、そろそろ帰るか」
私は『透化』して、ゆっくりと高度を下げた。
夕方の帝都は賑やかだ。
まあ、帝都は、いつでも賑やかなんだけど。
家に向かいつつ、市街地を行き交う人々の姿を楽しんでいると――。
あれ?
水路を跨いだ石橋の上に学院の女生徒がいた。
知っている顔――。
オーレリアさんだ。
ぼんやりと1人で水路を眺めている。
今日、ユイナちゃんと揉めて――。
怒ったり落ち込んだり救われたり、大変な目にあった人だ。
まあ、うん。
いろいろあったから、1人になりたかったのかな。
確か伯爵家のご令嬢だったはずだ。
護衛もつけずに大丈夫なのかなぁ、と心配にはなるけど……。
なにしろ、ツンと澄ましていればまさにご令嬢で、さすがに不躾なことをしてくる輩はいないと思うけど……。
今のオーレリアさんは、そんな雰囲気なんてまるでない。
弱々しげな普通の美少女だ。
あ。
二人組の青年が声をかけた!
ナンパだ!
オーレリアさん、気持ちが弱くなっていて、強く断れないでいる!
あ!
青年の1人が馴れ馴れしく肩に手をかけたぁぁぁぁ!
私は急いで姿を現して、その手を横に退けた。
「はい。そこまでー」
「うわっ! ど、どこから来た!?」
「この方、言っとくけど伯爵家のご令嬢だからね? 下手なことしたら、どんなことになるかわからないよ」
私がそう言ってにらみつけると――。
幸いにも、二人組は逃げるように立ち去ってくれた。
よかったよかった。
「大丈夫でしたか?」
「……え、ええ。……ありがとう。……貴女は確か」
「クウ・マイヤです。学院の一年生です」
「今日は仲介をありがとうございます。皇太子殿下から聞きましたが、貴女のお力なのですよね」
「あはは。どういたしまして」
「あと、貴女……。以前のセラフィーヌ殿下のパーティーで皇太子殿下のエスコートを受けていた異国の姫君の方ですわよね?」
「はい。そうです」
「一度だけ挨拶させていただいたことがありましたね」
「……はい」
「ふふ。その様子だと覚えていないようね」
「すいません……。すごく多かったので……。あ、でも、オーレリアさんですよね名前はわかります」
なにしろ今日、それなりに関わったので。
「でも、どうしたんですか? こんなところでぼんやりしちゃって」
わかっていて私はたずねた。
「……今日はいろいろありすぎて、頭が混乱していて。ちょっと整理する時間がほしかったのです」
「そうなんですか。よかったら聞かせてくれませんか?」
ちょっと不躾だったかな。
私は心配したけど、オーレリアさんは話してくれた。
「伯爵令嬢としての在り方について、どうしても迷いが出てしまって。今日のわたくしは何が悪かったのかと……」
「お兄さまも言っていたけど悪くはなかったと思いますよ。相手が悪すぎた不幸な事故だったんです」
「……次からは、相手を辱めることがないように事務的に対処しますわ」
「うーん。でもそれだと、弁償とかになりますよね」
荷運びで済むなら、いいと思うけど……。
「では、マイヤさんならどうしますか?」
「私にもわからないです。まあ、アレですよ! アレです!」
「……アレとはなんですか?」
「えっと……。そうそう! そんなこと、滅多に起きるもんじゃないから考えるだけ無駄ですよ! もう起きないですよ、きっと!」
いきなりぶつかられて、いきなり荷台と荷物を壊されるなんて。
普通の子がぶつかっても、そうはならない。
少し揺れておしまいだ。
「……そうですね。それはそうですね」
オーレリアさんは肩をすくめた。
「聖女様には、あらためて、穏便に済ませていただきありがとうございますと感謝をお伝え下さい」
「わかりました。伝えておきます。ユイの方にも、よーく、もう走っちゃ駄目と注意しておきますので」
「ふふ。マイヤさんは聖女様と親しいのですね」
「んー。まあまあです。あ、オーレリアさん、軽く屈んで下さい」
「はい。どうしたのですか?」
「聖女様つながりで、いいことをしてあげます」
「……いいこと、ですか?」
聞きつつもオーレリアさんは膝を曲げてくれた。
頭に手を置かせてもらった。
「これは私からの迷惑料です。これからも今まで通り気高く生きて下さい。いいことありますよ。――祝福を。ブレス」
私は祝福の魔法をかけてあげた。
あまり気軽に振りまくものではないけど――。
まあ、うん。
気のせいか、ものすごく気楽に振りまいている気はするけど。
感謝とお詫びはしておくべきだろう。
「……あの、マイヤさん。これは――。体が芯から温かく――。まさか、本当の祝福なのですか――?」
「あはは。いいからいいから。受け取って下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
目を閉じて、真摯に――。
オーレリアさんは私の祝福を受け取ってくれた。




