574 閑話・皇太子カイストの学院祭
マリエが聖女を連れて逃げ出した後、ウェイスが怪訝な顔で言った。
「……なあ、カイスト。今のは一体、何だったんだ?」
「気にするな」
俺、カイストは、そっけなく答える。
「しかし、よ。謝るどころか逃げて行くとは……。あの態度は、さすがに不敬と言われても仕方がないぞ」
「ウェイス、それ以上はやめておけ」
「いいえ、モルド様の言う通りですわ。マリエとユイナという2人は、衛兵に命じて拘束させましょう」
オーレリアは本気で怒っているようだが――。
「もう忘れなさい、オーレリアさん。おわったことですわ」
「しかし、ディレーナ様――」
「ディレーナ、こうなっては仕方がない。この者達にも、彼女の――あの方の素性を教えてやれ」
「わかりましたわ……。わたくしからも確認ですけれど、お忍びで遊びに来ているということで良いのでしょうか?」
「ああ、その通りだ。クウの取り計らいでな」
俺は話を聞いていたので、マリエがいた時点でわかったが――。
こんな衆目の中で、よりにもよって聖女ユイリアを強制的に謝罪させることにならず本当に助かった気持ちだ。
マリエには、後できちんと感謝を伝えるべきだろう。
ディレーナがオーレリア達を物陰に連れて行く。
やがて顔を青くしたオーレリア達が戻ってきた。
俺に深々と頭を下げてくる。
「……申し訳有りませんでした。知らぬこととはいえ、まさか――様に頭を下げさせようとするなど」
「気にするな。俺もディレーナも、相手方も気にしていない」
聖女ユイリアの人となりはそれなりに知っているが、今回の件で相手方を責めるようなタイプではない。
むしろ申し訳ないと思っているに違いない。
「はい……」
オーレリア達が落ち込み、怯えるのは無理もない。
帝国にも精霊神教の信者は多い。
聖女ユイリアを信奉している者も多い。
特にディレーナなどは、よく知られた熱心な信者だ。
「そもそも対応自体は間違っていなかった。ただ今回は相手が悪すぎた。運が悪かったと思っておけ」
ディレーナに目配せすると、ディレーナはうなずいて、気にすることはないとオーレリア達を励ました。
オーレリア達はすっかり落ち込んでしまったが、彼女等にはこれから演劇の公演があるのだ。
気を取り直してもらわねばならない。
ともかく俺とウェイスは荷物を大講堂にまで運んだ。
その後で女生徒達とは分かれる。
「ディレーナのヤツ、すっかり見違えたな。牙が抜けたっつーか、全体的に物腰が柔らかくなって良い令嬢になって来たじゃねーか」
ウェイスが言う。
完全に他人事の気楽さだ。
「ふん。どうせ隠しているだけだ」
「はははっ! かもしれねーけど」
とはいえ、とにかく攻撃的で選民意識の塊だった今までのディレーナと比べれば確かに見違えはした。
たとえ演技だとしても悪い傾向ではない。
聖女ユイリアと――そしてクウが、よい影響を与えているのだろう。
少なくともあの2人がいれば――。
存在の格が違うのだ。
選民意識など持てるはずもない。
その意味では俺も影響を受けているのかも知れないが。
クウにたまに嫌味として、あるいは、からかって言われるが、俺も昔は選民意識を強く持っていた。
気がつけば薄まっていたが――。
クウの影響であることは、否定できない事実だ。
俺達は生徒会室に戻った。
「探知装置に反応はないな?」
「はい。大丈夫です」
今のところ学院祭は平和だ。
悪魔の襲来も、魔道具を使った事件も発生していない。
入り口で魔力反応はしっかりと確認しているし、敷地の巡回も密かに武装した生徒会役員で行っている。
俺は机に置かれた書類の確認を行う。
各クラスから届いた予算の追加申告書や、イベント内容や場所の変更、発生したトラブルの報告書だ。
すべて他の役員によって処理済みのものだったが俺も目は通しておく。
間違った部分があれば訂正させる必要がある。
「お兄さま、いえ、会長。報告します」
書類を読み始めたところでドアが開いた。
アリーシャが入ってきた。
「何があった?」
「裏門にて、幻惑効果をもたらす呪具の偽装照明を持ち込もうとした商人を拘束しました。普通科2年の生徒が、自身のコンサートを盛り上げるために使用しようとしていたようです。商人と生徒はすでに衛兵に引き渡しました」
「わかった。ご苦労だった」
アヤシーナ商会の壊滅によって、帝国で流通する呪具は大幅に減った。
それでもまだ、どこからか入ってきている。
ルートの特定はしたいところだ。
「しかし、クウちゃんと学院長、それにフラウさんの制作した魔道具は素晴らしい性能です。まさか偽装された呪具まで発見できるなんて。今までなら効果が発動されなければわからなかったのに」
「そうだな。3人にはよく感謝せねば」
「学院どころか帝国の治安も、一層安定しますわね」
話していると、またドアが開いた。
入ってくるのはブレンダだ。
「よう、アリーシャもいたのか。それに兄貴も。
会長、報告です。喧嘩を始めた生徒がいたので両成敗しておきました。こちらが喧嘩をしていた生徒の氏名と理由です」
「うむ。ご苦労」
「では、また見回りに行ってきます」
報告書を残して、ブレンダはあっという間に退室した。
慌ただしいことだが、ブレンダの見回りは効果的だ。
最近ではメイヴィスと2人、騎士科の男子生徒からも恐れられている。
善いのか悪いのか、だが……。
「じゃあ、俺は休憩させてもらうぜ。土産に師匠の店でハンバーガーを買ってきてやるから楽しみにしていてくれ」
ひらひらと手を振って、ウェイスが生徒会室を出ていく。
俺は内心でため息をついた。
ウェイスは、いつの間にか、すっかりクウのことを「師匠」呼びだ。
未来の辺境伯だと言うのに。
困ったものだが、今更否定はできない。
何故なら俺もクウの弟子であり、クウのダンジョン特訓を受けて別人のように強くなった1人だからだ。
「……しかし、今度はハンバーガーか」
聞けば、クウの制作だという。
本当にアイデア豊富なヤツだ。
「クウちゃんのお店ですよね。わたくしも買って来ねば! お兄さま、急ぎますのでこれで失礼しますわ」
「ああ。仕事の方も頼むぞ」
「はい。お任せ下さい」
優雅に一礼して生徒会室を出ると――。
足音でわかる。
アリーシャが全力で駆けていった。
誰かにぶつかって大怪我などさせなければいいが。
それこそ聖女ユイリアのように。
あの2人は無事に逃げ切って、今頃はまた学院祭を楽しんでいるだろうか。
あるいは学院の外にまで逃げたのかも知れないが……。
いずれにせよ――。
聖女ユイリアとは、今夜、大宮殿で夕食を共に取る予定だ。
今夜はセラフィーヌの聖国留学についての話し合いを行う。
セラフィーヌは夏休みの間、聖女ユイリアの元で回復魔法についてを学びたいということだった。
最初は、クウの元で学べば十分だろうと俺は思ったが……。
クウの回復魔法は圧倒的な魔力があってのもので――。
クウが言うには、聖女ユイリアの知識がなければ、人間が回復魔法を完全に扱うことは難しいのだと言う。
聖女は、それほどの知識をわずか12歳で自ら体系化しているのだ。
そして――。
それを惜しげもなくセラフィーヌに教えると言う。
本当に、恐ろしい存在だ。
「――すまんが校内放送を頼む」
夕食の時でいいかと思ったが――。
聖女とマリエには早めに連絡を取ったほうがいいだろう。
俺はクウを呼び出し、問題はないから引き続いて学院祭を楽しんでほしいと2人に伝えてもらうことにした。
俺もいつの間にか、普通にクウに頼るようになっている。
師匠と呼ぶ日は近いのかも知れない。
 




