55 閑話・大商人ウェーバーは光を信じる
「……ナマニエルの奴め、本当に厄介なことをしてくれたものだ。よりによって、あの内務卿の息がかかった店にちょっかいをかけるとは」
『ふわふわ美少女のなんでも工房』からの帰り道、馬車の中で大通りの景色を眺めながらウェーバーは忌々しくつぶやいた。
「それでどんな感じだったの? かの内務卿サマが囲ってる女って?」
大商人たるウェーバーに馴れ馴れしく口を利いてくるのは、護衛として同行してきた獣人の女戦士だった。
まだ20代前半の若さで、見た目は町娘と変わらない。
だが実際には凄腕の戦士だ。
特に、危機を察知して即座に対処できる能力には特筆すべきものがある。
雇い主を敬わない難点はあったが魔術による鑑定に問題はなく、護衛としての仕事も果たしている。
なのでウェーバーも彼女、キャロンの無礼には目を瞑っている。
「ただのエルフの子供だったわ」
「へー。内務卿って亜人趣味のロリ趣味だったんだ。いいねー。あたしも最近、かわいいエルフの女の子と知り合ってさー。もうね、抱きしめると気持ちよくって、きゅーんってなるんだよ」
「おまえの話などきいておらん」
「へいへい。ごめんよ」
キャロンはすっとぼけた態度で顔をそむける。
もう少しマシな人材はいないものかとウェーバーは思うが、素性の確かな凄腕の戦士などそうそういる者ではない。
キャロンの父親は帝都の治安を守る衛士隊の小隊長であり、すでに三代に渡って衛士を務めている。
彼女は兄と共に幼い頃から戦闘訓練を受けてきた。
奔放な性格で束縛を嫌って衛士にはならなかったが、衛士になるために鍛えられたその腕は確かなものだった。
「それにしても、この帝都を陰から支配する大商会だっけ? 笑っちゃうね」
「笑い事ではない」
そう。
笑い事ではないのだ。
20人幹部会の1人、ウェルダン・ナマニエルの増長した発言によって、ウェーバー商会は窮地に立たされた。
すでに鑑定結果は出ていて、ナマニエルの言葉が虚構であり、ウェーバー商会が帝都の陰を支配している事実などないことは証明されている。
そのためにナマニエルだけでなく、ウェーバー自身も、真実を見抜く魔導具『女神の瞳』による鑑定を受けた。
「我々は内務卿に目をつけられたのだぞ」
「我々じゃなくって、ウェーバーさんがだけどねー」
「気楽に言うな。襲われればおまえも同じだ」
「そりゃそうか」
なんの危機感もなくキャロンは笑う。
苛立つほどの図太さだ。
「いくらあたしが強くても、黒頭巾には勝てないからねー」
「……わかっている」
黒頭巾とは、この帝都に根を広げていた反社会集団を完膚なきまでに叩き潰したといわれている、謎の集団の呼称だ。
正体は不明。
ただ現場付近で、黒頭巾の何者かを見たという噂だけが存在している。
おそらくそれは帝国の暗部。
皇帝が、法では裁ききれない敵を実力で排除するための剣。
それこそが黒頭巾。
それが、市民の共通の認識だった。
ウェーバーも、きっとそうなのだろうと思っている。
帝都に複数存在した反社会集団は、互いの抗争の末、互いに力を使い果たして滅びたということになっている。
だがそれは有り得ない。
なぜならずっと、そうした者たちは、互いのテリトリーを守り、共存してきた。
小競り合いならともなく、全滅するまでの抗争など有り得ない。
国からの粛清が行われたと考えるのが妥当だった。
「そもそも私は今の帝都の政策を支持している。帝都に闇などいらぬ。光に満ちていればそれでよいのだ」
「光まみれになっても眩しくて嫌だけどね、あたしは」
「口を慎め、キャロン。今のは聖女様への冒涜とも取れる発言だぞ」
「いいじゃん別に。ここ、聖国じゃないんだから。――って、わかったわかった。言わないから睨まないでってば」
今の帝都には、大きな反社会集団はない。
なにしろ反社会集団の勢力が広がると、なぜか不思議なことに主要な人物が一斉に行方不明となる。
さらにその地域で『女神の瞳』による強制鑑定が行われ、有罪となった者は容赦なく国営ダンジョンに送られた。
おかげで帝都は平和だ。
皇帝万歳と事あるごとに叫ぶ市民の気持ちはウェーバーにもわかる。
それらを統率している者こそ、内務卿にして帝国公爵バルター・フォン・ラインツェルと噂されている。
あくまでも噂だが。
「何度でも言っておくが、私は光の下にある商人だ。陰の支配者になりたいと思ったことはないし関わりたくもない」
「はいはい。せいぜい、エルフの子とも仲よくしてください」
「当然だ」
あの娘は、精霊の祝福に合わせて帝都に姿を見せた。
町の中をふわふわと浮かぶ空色髪の少女の目撃情報は複数の筋から得ている。
空を飛んでいたとの証言もあった。
ただの少女、ただのエルフではないのだろう。
いったい、何者なのか。
まさかとは思いつつ、ウェーバーにはひとつの憶測があった。
だとすれば、内務卿が自ら前に出てまで、あの娘を大切に扱う理由はわかる。
ちなみに釈放されたナマニエルは幹部から平社員に降格となった。
解雇はしていない。
あれでも目端が利くので斬り捨てるには惜しい男だ。
返り咲く機会は与えた。
店に到着して、ウェーバーは馬車から降りる。
店の中に入れば、鬱陶しいキャロンとの同行はおしまいだ。
「お疲れ様ー。ちょっとなんか食べ物もらうねー」
口笛を吹いてキャロンは休憩室に向かう。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ……」
ウェーバーは、控えていた執事のセスタスに鞄を渡す。
と、その前に、工房で購入したぬいぐるみを取り出す。
「セスタス、これをどう思う?」
「これは……。随分と可愛らしい……。いえ、見たことのない作りの、高品質なぬいぐるみですね……」
「だろう? 私も驚いた」
「では早速、分析して製法を調べさせましょう」
良品があれば分析して模倣し、大量に生産して安く売って市場を奪う。
それがウェーバーの常套手段だった。
「いや、それには及ばぬ」
「売らないので?」
「ああ、このぬいぐるみは例の工房で作られていたものなのだ」
「左様でしたか。失礼いたしました」
「アリスへの贈り物にするから、ラッピングを頼む」
「畏まりました」
かわいいものが大好きな孫のアリスも、きっと気に入るだろう。
一人になった部屋でウェーバーは祭壇に祈りを捧げる。
祭壇には聖女ユイの肖像が飾られている。
「聖女様――。どうか世界に光をお導きください――。闇を消し去り、どこまでも白き世界をお導きください――」
ウェーバーは幼い頃、高利貸しによって目の前で母親を連れ去られている。
商売に失敗し、借金を払えなかった故だ。
別れの際に母親が見せた笑顔は、今でも目蓋に焼き付いている。
次の日に父親は自殺した。
その姿も目蓋に焼き付いている。
母親も後日死んだと聞かされた。
絶望と悲しみと憤りを力に変えて、ウェーバーは叔父の下で商売を学び、独立して一心に金を稼いだ。
それこそ命がけの毎日だった。
おかげで今では大商人となり、自分が金を貸す側になった。
だが闇は消えない。
目蓋には今でも、絶望が張り付いている。
それを振り払えるのは、ただ1つ。
一昨年、大商いで聖国に行った際、幸運にも見ることのできた聖女ユイの御姿。
それはまさに、穢れなき純白の光そのものだった。
身の芯から激しく震えて、こぼれる涙を止めることができなかったあの日のことは今でも記憶に新しい。
その光を思い出すだけで絶望は和らぐ。
闇は遠のいた。
ウェーバーは、聖女に祈りを捧げるのが日課となっていた。
光の下、彼の心は穏やかだった。




