509 ナオ・ダ・リムの物語5 (ナオ視線)
★注意★
今回のお話には暴行と殺人の場面があります。
苦手な方はスルーして下さい。
外に出る。
村は不気味な紫色の霧に包まれていた。
息苦しい。
ハッキリと気持ち悪さも感じる。
「これは――。瘴気か」
ダイが驚愕してつぶやく。
私はうなずいた。
私にも、この紫色の霧には見覚えがある。
帝国の禁区にも発生していた。
あれは悪魔の仕業だったけど――。
まさか――。
そこに遠くから甲高い笑い声が聞こえた。
そちらに向かって走る。
砂浜だった。
砂浜にはフォグがいた。
フォグの腕は、腕だけが奇妙に肥大化していた。
まるでそれは悪魔の腕だった。
筋肉が隆起していて、指先から伸びた爪が短剣のように伸びていた。
その爪から、なにかが滴り落ちている。
それは血だ。
フォグの足元には、血溜まりがあった。
そこには、村長とジダが倒れている。
フォグは私たちを気にせず、1人で笑っていた。
「貴様ぁぁぁ! 何をしたぁぁぁぁ!」
怒気を上げて、ダイが戦斧を構える。
私も剣を抜いた。
フォグが、肥大化したその腕で、2人を引き裂いたのだろう。
「おや、これは姫様と、革命の戦士殿」
フォグが笑うのをやめて、私たちの方を向いた。
三日月のような目と口――。
それだけを残して、フォグの姿が変貌する。
服を破り、身の丈3メートルはありそうな悪魔の姿へと。
「くくく……。お陰様で上手くいきました。ありがとうございます」
悪魔の姿となったフォグが、優雅な仕草で一礼する。
「どういうことだ!」
ダイが怒鳴る。
「決まっているでしょう?
私もまた機会を窺っていたのですよ。
この世界には恐ろしい聖女様とその仲間達がいるので、とてもではありませんが強引なことはできません。
故に、待っていたのです。
まずは、この宝珠に、怒りや憎しみ――負の力が満ちるのを。
復讐に燃える獣人のみなさんのおかげで、こうして無事に溜まりました。
そして、疑われること無く、こうして実行できる機会を。
おかげさまで無事に結界を張って、最後の生贄も手に入りました。
生贄は誰でもいいわけでなく、それなりには強者でなければならないので、いやはや苦労しましたよ」
フォグが手に持った黒い宝石を掲げる。
「さあ。おかえりなさい、我が同胞」
私たちは動けなかった。
動くべきだ。
とにかく攻撃して止めるべきだ。
わかっているのに、フォグの能面のような顔に浮かんだ三日月のような目に囚えられて、体が動かなかった。
黒い水晶から、泥のような闇が溢れて、ぼとりとこぼれ落ちる。
それはまるでスライムのようだった。
蠢いて――。
村長とジダ、2つの死体を捕食する――。
そして、上に伸びた。
人の姿へと変わる。
現れたのは、私やクウと同じ年に見える小柄な少女だった。
コウモリのような翼を広げた、黒いドレスに身を包んだ灰色髪の少女だ。
肌色は死者のものだった。
灰色の髪からは牛のような角が出ている。
「最強悪魔、メティネイルちゃん、華麗に餌場に今、ふっかーつ!」
空中でウンと背伸びする。
メティネイルというのは、名前だろう。
「おかえりなさい、メティ」
フォグが親しげに呼びかける。
「さんきゅーね、フォグ。いやー、またこれてよかったよー! やっぱ向こうは退屈だよね刺激がなくて!」
メティネイルは、驚くほどに陽気な悪魔だった。
ケラケラと笑いつつ着地する。
そして、赤く輝いた双眸で私たちのことを見据えた。
体が更に痺れる。
魔眼だ――。
「ふーん。銀狼族かぁー。やっぱりいいねー。ものすごく美味しそう」
「それは駄目ですよ。雇い主への贈り物です」
「じゃあ、こっちの大男は?」
「お好きにどうぞ。その後で死霊を呼び出していただけますか? とりあえず結界内にいる連中を恐怖のどん底にでも落としてほしいのですが」
「はーい」
何の躊躇もなく、メティネイルが、その細い5本の指でダイの首を貫いた。
血が溢れる。
その血をメティネイルが気持ちよさそうに浴びる。
「んー。いいねー。久しぶりー」
駄目だ――。
このままでは、とんでもないことになる。
いや、すでに、もう――。
私は必死になって、全身に絡みついた痺れに抗う。
だけど動けなかった。
このままでは、残るみんなも殺される――。
「ああ、そうそう。この村には、もう一匹、なんとびっくり獣王直系の娘がいるのでその子は特に丁寧にお願いします」
「りょーかい! そんな上物がいるなら、みんなの再召喚も、けっこう簡単に済むかもしれないねー。じゃあさ、その子の前で、みんな、殺そうか」
「それは良いアイデアです。そうしましょう」
クナは――。
どうされるのだろうか――。
メティネイルの魔術によって、周囲から多くの死霊が召喚されていく。
見るだけでもぞっとする腐乱した死体の群れだ。
それが村に向かう。
たくさんの悲鳴が響いた。
嗚呼……。
私は、ただ、それを聞いていた。
私はまた、何もできない。
だって、しょうがない。
体は痺れているし――。
悪魔の呪縛を破るだけの力は、私にはない――。
でも――。
じゃあ、諦めるのか?
また諦めて、無くす――?
駄目だ!
それは駄目だ!
私は――。
ナオ・ダ・リムは――。
「がはぁぁっ!」
腹を殴られて、私はその場に倒れた。
だけどすぐ、フォグに首を掴まれて、宙吊りにされる。
息が詰まる。
痛い。
熱い。
苦しい。
「せっかくなので、貴女も半殺しにしておきましょう。その方が皆さんの絶望も深まるでしょうし」
私は暴行を受ける。
殴られて、蹴られて、踏まれて。
また宙吊りにされて、背中から砂浜に叩き落された。
痛い。
痛い。
……熱い。
村からの悲鳴が、静まっていく。
死霊に捕まった村のみんなが、連れて来られていた。
小さな嗚咽が聞こえる。
視界の隅に、肩と足を食いちぎられた女の人の姿が見えた。
みんな、もう動けないでいる。
「しかし、銀狼というのは、本当にタフなものですねえ。殴っても殴っても骨の折れる感触がありません」
私はみんなの前で暴行を受け続ける。
「なおー! なおー! なおー!」
嗚呼……。
クナの泣きじゃくる声が――。
聞こえる――。
「あはははははははっ! 泣いてる泣いてるー! かわいそー! でも、期待しててもいいよー? このメティネイルさまがー、もーっと、もーっと、キミのことを楽しませてあげるからねー」
何度目だろうか。
私はフォグに掴まれ、砂浜に投げ捨てられた。
腕を伸ばす。
砂を、掴んだ。
違う――。
掴むのは、それじゃない――。
私はクウの言葉を思い出す。
こんなことなら、もっと早く、覚悟を決めるべきだった。
平穏だったから――。
このまま続くと、思ってしまった。
光よ――。
闇よ――。
もしも、聞こえているのなら――。
私に力を――。
違う――。
私が――。
自分で――。
私は、もう一度、砂を掴んだ。
それは――。
体が動くということ――。
私が、自分で――。
立つんだ――。
 




