440 閑話・10月のこと ある海辺にて
わたしはラスカ。
三方を山に囲まれた海辺の寒村に暮らす狸族の娘です。
今年で17歳になりました。
特技は干物作り。
今日も天気はいいので、せっせと干物を作ります。
完成した干物を海洋都市に持っていけば、塩と布が買えます。
生活がとても楽になります。
がんばらねば、です。
「らすかー! らすかー!」
あ、山の方からクナ様がお帰りになりました。
今日も大物が捕れたようです。
今年で2歳になるクナ様を肩に乗せたナオ様の手には、イノシシの足がありました。
子供を肩に乗せて、その上で楽々とイノシシを引きずってくる……。
ナオ様の身体能力は、本当にすごいです。
わたしにはできません。
「とった! とったー!」
わたしのところに来ると、まるで自分が獲ったかのようにクナ様がナオ様の頭の上で大騒ぎをします。
「とった」
イノシシを地面に置いて、ナオ様までわたしにVサインを向けてきます。
「はい。さすがです」
わたしは思わずにっこりしてしまいます。
ナオ様がわたしたちの村に来て、もう10日になります。
今ではすっかり村の一員です。
特にクナ様はナオ様にべったりで、いつでも一緒です。
ずっとクナ様を育ててきたわたしにとっては、ほんの少しだけ複雑な心境になる現状ですね。
でも、クナ様の気持ちはわかります。
だってナオ様は――。
亡くなられた奥様に、とてもよく似ていらっしゃいます。
奥様が亡くなられたのはクナ様がまだ1歳にもならない時でしたが、母親の面影を見ているのかも知れません。
クナ様とナオ様は、髪の色も、目の色も同じ。
銀色の毛に赤い瞳。
それは紛れもない銀狼族の特徴です。
お2人は耳と尻尾の形も似ています。
あと、顔立ちも。
ナオ様は間違いなく、奥様の親族なのでしょう。
そう思えます。
「解体してくる」
Vサインした後、再びイノシシを引きずって、ナオ様は砂浜に行きます。
「してくる!」
クナ様は肩から飛び降りると横に並びました。
「はい。お願いします」
わたしは笑顔で見送ります。
砂浜の向こうの海には2隻の小舟が見えます。
クナ様のお父様である村長様や、わたしのお父さん達が、海に潜って、魚や貝を獲っているところです。
わたし達は5年前までは海洋都市で暮らしていました。
村長様は船の持ち主で、お父さん達は村長様の商会に雇われていました。
というか、まあ、はい。
実際には海賊まがいの集団だったみたいですけれど……。
今は、寒村暮らしです。
村長様が、奴隷として売りに出された奥様に一目惚れして、すべてを捨てて奥様との暮らしを選んだからです。
当時の奥様は、使い捨てられた雑巾のような状態でした。
村長様はそれでも消えていなかった、奥様の瞳の輝きに惚れたそうです。
村長様は全財産をはたいて奥様の傷を癒やしました。
回復した奥様は、満月のように美しく幻想的な銀狼族の女性でした。
銀狼族は高値で売れます。
なにしろ、身体能力が高いです。
見目麗しいです。
加えて三獣族のひとつです。
三獣族は、獣人族の中でも特別な存在です。
ジルドリア王国とトリスティン王国の間に広がる大森林を支配する金虎族。
かつて草原を支配していた獅子族。
そして、丘陵に住まう獣人族を束ねて王国を築いた銀狼族。
部族単位で独立して、人族よりもむしろ他の獣人族と争うことの多い獣人族を束ねることができるのは、今でも三獣族だけです。
それ故に奥様は、元の主の優越と享楽の玩具、獣人奴隷に無力を見せしめるための道具にされていたようです。
回復したと知られれば、拐われて、また玩具にされることでしょう。
それで村長様はここへ来たようです。
村には今、50人が暮らしています。
全員、村長様についてきた、元の商会の従業員と家族です。
奥様は病気で亡くなられてしまいましたが、ここでの生活は続いています。
ナオ様は、奥様をたずねて来られました。
顔を見るために来た。
ナオ様はそう言っていました。
私は奥様の素性を知りません。
知っているのは、ニナ、という本当の名前だけです。
それだけは昔、それが本当の名前だと、奥様が教えてくれました。
亡くなる直前に――。
看病していた私に、本当の名前だけは伝えさせてほしい、と。
普段は、ミアと呼ばれていましたけど。
ナオ様からも、なにも聞いていません。
だって、それを聞こうとした時、村長様に睨まれましたから……。
村長様は優しいお方ですが……。
敵に対しては一切の容赦をしない怖いお方だと、お父さんは言っていました。
ただ、たぶん、わかります。
だってニナというのは、ド・ミの国の王女様の名前です。
それはわたしでも知っています。
だから、口にしてはいけないし、聞いてもいけないのでしょう。
村長様は、ナオ様の滞在を許しました。
ただ、ニナという名前は口にしないよう約束したようです。
最初に村を訪れて、ニナという銀狼の女性を探している、と、浜辺にいたわたしや村の人達にたずねてから――。
ナオ様も一度も、その名前は口にしていません。
村は平和です。
夜にはイノシシと魚を焼いて、みんなで楽しく食べました。
クナ様も幸せそうです。
ナオ様は淡々としていますが、クナ様のことを大切にしてくれています。
このまま幸せな日々が続くことを――。
わたしは願っています。
久々のナオ。
でも次の出番は、また先になりそうです。
平和の英雄決定戦⇒入学試験⇒ナオの七難八苦の順番かなーと考えております。




