421 スオナの一歩は
バロット孤児院の前には、すでに馬車が止まっていた。
豪華な馬車だ。
下町の景色からは完全に浮いている。
まわりには騎士の姿もあった。
魔術師までいる。
近所の人たちが、一体何事かと、遠巻きにして様子を窺っている。
孤児院の子たちも同じだ。
建物の中から、窓ごしに様子を見ている。
アニーの姿もあった。
この数日で仲良くなったのだろう。
姿は消しているけど、アニーのそばに妖精のアクアもいる。
スオナの姿は、孤児院の庭にあった。
となりには院長先生がいる。
そして――。
正面には――。
温厚な印象のバルターさんと――。
豪華な衣装に身を包み、全身から威圧感を溢れ出させている、いかにも大貴族な中年の男性がいた。
ディレーナさんのお父さん、アロド公爵だ。
「――スオナ、君には祖父の想いを継ぐという矜持すらないのかね? 君の祖父がどのような願いを込め、君を一流の魔術師に育てたのか、それすらわからない程に君は愚かなのかね?」
アロド公爵が冷たくも厳しい眼差しを向けているのはスオナだ。
スオナはうつむいている。
小刻みに肩が震えているのがわかる。
――怯えている。
私はその様子を、姿を消したまま、少し距離を置いた樹木の陰から見つめる。
「答えなさい、スオナ。君は愚か者かね?」
容赦なきパワハラ質問がスオナにのしかかる。
「はい……。僕は愚か者です……」
ああ……。
うん。
そう答えちゃうよね……。
「実家から逃げ出し、祖父が他界して逃げ出し、また逃げ出す。一体、君はどこまでその愚かさで逃げるつもりなのかね?」
「……申し訳有りませんでした」
「エイキス家は、長く帝国に仕える魔術の名門。君の祖父の代まで、その栄光は揺らぐこともなかった。私は悲しさを覚える。その名門の家が、私の代で途絶えようとしているのだ。君にはわかるかね? 一族の長として、私がエイキス家を失くさぬ為にどれだけの骨を折ったのかを」
「……申し訳有りませんでした」
「謝れとは言っておらぬ! 想像してみよと言っているのだ!」
アロド公爵が怒鳴った。
びくり、と、スオナが全身を震わせる。
「まあまあ、アロド殿。ここは孤児院。そのように声をあげては、子供たちが驚いてしまいますぞ」
ここでバルターさんが取りなすように会話に入った。
バルターさんが優しくスオナに語りかける。
逃げたのには理由があるのでしょう?
まずはそれを、素直に伝えてみてはいかかでしょうか?
と。
さすがは人格者。
よい誘導だ。
スオナ、がんばれ。
まずは、ちゃんと言葉にしないと。
相手にも伝わらない。
「……申し訳有りませんでした」
だけどスオナは言えなかった。
震えるばかりで、まったく頭が働いていない様子だ。
幼年期のトラウマのせいなのだろう……。
その恐怖が、心と体を縛ってしまっているのだ。
「何かあるのでしょう? 言わねば、伝わりませんよ?」
私の言いたかったことをバルターさんが言ってくれる。
だけど駄目だ。
スオナは何も言えない。
「何もないのであれば、もういいだろう。君は連れて行く」
あ。
窓を少し開けたアクアが、その隙間から外に出てきた。
姿を見せてスオナの肩に座る。
心配したのだろう。
まるで慰めるようにスオナの頬に触れた。
「……噂の妖精か。まさかこんなところにもいたとは。ふんっ。愚か者でも一族の役には立ちそうだな」
「スオナさんは、将来は何になりたいのですか? 言ってご覧なさい」
「……僕。……僕は」
がんばれ!
「……申し訳有りませんでした」
駄目だぁぁぁぁ。
スオナぁぁぁぁ。
どうするか。
もう私もアクアみたいに飛び込んじゃおうか。
スオナには神秘の探求っていうやりたいことがあるんだよぉぉぉ!
って、代弁しちゃおうかぁぁぁぁ!
…………。
……。
いや、それは駄目だ。
スオナが自分で言わないと。
じゃあ……。
私は見ているだけ?
スオナがこのまま何も言えなければ、それでおわり?
見捨てる?
それともどこかに幽閉されたところを助け出して……。
竜の里にでも連れて行く?
カメ4号、爆誕させちゃう?
甲羅は4つあった。
まだひとつ、余っている。
…………。
……。
余ってないかぁぁぁ!
だって4つ目の甲羅って、どう考えても私のだよね!?
私だけ甲羅なしなんて悲しすぎるよね!
あれは私の!
カメになりたいわけじゃないけど!
でも甲羅は譲れないよ!
…………。
……。
ふう。
落ち着け、私。
なにを無関係な甲羅で発狂しているんだ……。
カメの王様に怒られちゃうぞ。
こうらぁ!
って。
甲羅だけにね……。
って、ちがーう!
とにかく!
スオナが恐怖に囚われているなら、その恐怖は私が払おう!
かしこい精霊さんとして!
友人として!
「リムーブフィアー」
私はこっそりと、スオナに呪文を唱えた。
スオナの体が、一瞬、薄く輝く。
そして。
「ブレス」
祝福を。
スオナの体が、さらに一瞬、強く輝く。
スオナは瞬きした。
体の中から、すうっと、恐怖の感情が消えて――。
正気に戻ったのだ。
体の内側から力も湧いているはずだ。
「何かね、今のは」
アロド公爵がたずねる。
「精霊の祝福が彼女に降りたのでしょう。この帝都には、大いなる精霊の加護が満ちております故」
バルターさんが答える。
うん。
間違いなく、バルターさんにはモロバレだよね。
手を出してごめんね。
でも、これくらいならいいよね。
「さあ、スオナさん。貴女の気持ちを聞かせて下さい。どうして貴女はここにいるのですか? 何がしたいのですか?」
恐怖は取り払った。
力も湧いている。
だけど、それだけじゃ、まだ足りない。
前に進むには、あとひとつ、いる。
そして、それだけは、スオナが自分の手で持たなければならないものだ。
「くくく……。ははは……」
長い黒髪をかきあげて、スオナが笑い声を上げた。
「あー。この魔力には覚えがあるなぁ。どうやらお節介な友人が、僕のことを心配してくれたようだ」
うん。
そうだよー。
姿は現さないけどねー。




