390 閑話・皇太子カイストは来た / クウちゃん、見守る
店の扉を開けただけで、中にいた者達の注目を集めてしまった。
俺はカイスト・エルド・グレイア・バスティール。
帝国では皇太子の地位にある。
故に、貴族の作法には詳しいのだが、庶民の作法には疎い。
飲食店には、普通に扉から入れば問題なかろうと思っていたが、実はそうではなかったのかも知れない。
さて、どうしたものか――。
幸いにも店を見渡せば、俺をここに誘ったクウの姿があった。
まったく。
いくら同年代に見える賢者ヒオリが同席しているとはいえ、大人ばかりが集まる場所であいつは何をしているのか。
まあ、宴会をしているのだろうが……。
目が合うと、クウが立ち上がった。
「お兄さま!?」
俺に驚いた声を向ける。
店内がざわつく。
……お兄さま?
……クウちゃんの兄貴だってか?
……いや、それはねーだろ、ありゃどう見ても貴族だぞ?
……クウちゃんだってそうなんだろ。
……エメラルドストリートに店を持ってるくらいだしな、そりゃそうか。
俺とクウとの関係を勘ぐる囁き声が聞こえる。
クウが俺のところに駆けてきた。
「お兄さま、どうしてこんなところに!?」
「こんなところとは、随分と店に対して失礼な言い方だと思うが?」
「あ、はい。そうですね、それはそうなんですけど、でも、どう考えても、お兄さまが来る場所じゃないですよね!?」
「俺は、おまえに誘われたから来ただけだが?」
「それはそうですけど……。って、断りましたよね!」
「気が変わったのだ。庶民の暮らしを見るのも、良い勉強になると思ってな」
「それはいい心がけですね」
「それで、俺は何かマナー違反をしたのか? 随分と注目を集めてしまったが」
間違いがあったのなら正しておくべきだろう。
知識は得て損がない。
「いえ……。別にマナー違反はなかったと思いますよ。ただみんな、いきなり貴族が来たので驚いただけで」
「わかるものなのか? 一応、私服で来たが」
「さすがに豪華すぎますよー」
「そうか」
店を見渡せば、たしかにそのようだ。
「しかし、おまえの服装とはあまり変わらない気もするが……」
「私はいいんですー。もう慣れられていますからー」
「そうか。そういうものか」
「おーい、クウ! いつまでも入り口で立ち話してねーで、さっさと兄貴も連れて戻ってこいやー!」
そう呼びかけてくるのは、先日、Sランクとなったロック・バロットか。
すでに酔っ払っている様子だ。
「じゃあ、お兄さま、案内しますね」
「ああ、頼む」
ここはクウに従うのが無難だろう。
俺は素直に頭を下げ、クウの後に続いて、ロック・バロットと同じ席に着いた。
「俺はロックだ。よろしくな!」
「カイストだ。よろしく頼む」
「……カイストねえ。どっかで聞いたことのある名前だなぁ。それにアンタとは会ったことがあるような、ないような」
「ロックさん、あんまり絡まないでよねー」
「はぁ? なんでだよ? クウの兄貴ならダチみてぇなもんだろ? なぁ?」
「構わん」
これも経験だろう。
父上も若い頃は、こうした店で騒いでいたと聞いている。
「クウちゃんのお兄さんって、イケメンなのねえ。私があと10歳若ければ、彼女にしてほしいところだわー」
着席すると、何人かの成人女性がやってきた。
「ちょ! リリアさん! お触り禁止ですよ!」
「えー。少しくらいいいわよねえ」
クウの言葉からして、俺の髪に触れてきた女はリリアというようだ。
「……お兄さま、怒らないでくださいよ?」
「無礼講なのだろう? 承知している」
「ならいいですけど……」
◇
だ、大丈夫なんだろうか、これ。
私はドキドキしながら、大人気のお兄さまを見ていた。
いや、うん。
まさかいきなり酔った女性陣が絡んでくるとは思わなかった。
ただ幸いにも、お兄さまに怒る様子はない。
にこやかに無難に会話している。
「……おまえの兄貴、すげー人気だな」
さすがのロックさんも、女性陣たちの熱気に圧されていた。
「う、うん……」
「なんだおまえ、嫉妬か?」
ロックさんがからかってくるけど。
「そういうのなら、よかったんだけどねえ……」
「クウちゃん――」
そこに身をかがめて、まるで隠れるようにウェーバーさんがやってきた。
「どうしたんですか……?」
その雰囲気に合わせて私も小声になる。
「……まさかとは思いますが、クウちゃんのお兄さまという方は」
「あー、はい……。その通りです」
ウェーバーさんなら、わかるか。
私がうなずくと、ウェーバーさんは顔を青褪めさせた。
「はぁぁぁぁ。いい男のお肌ぁぁぁぁ。最高だねえ」
今、目の前では、酔っ払ったウェーバーさんの護衛のキャロンさんが、お兄さまに頬ずりしていた。
「これキャロン! なにを失礼なことをしている!」
「えー。勤務外だろー。なにをしようが私の勝手じゃーん」
「いいから来るんだ! さあ!」
「横暴だぁ!」
「クウちゃんとお兄さまには身内の話があるのだ! 邪魔をしてどうする!」
雇い主には逆らえないのか、キャロンさんは力づくでの抵抗はせず、ウェーバーさんに腕を掴まれて自分の席に戻された。
その様子を見て、リリアさんたちも冷静になってくれたようだ。
お話があったのか、ごめんね。
と、自分の席に戻ってくれた。
ロックさんもブリジットさんたちのところに戻った。
いつの間にか、お店には元の賑わしさが戻っていた。
みんなそれぞれに楽しんでいる。
「……お兄さま、いきなり大変でしたね。大丈夫でした?」
「大丈夫なわけがあるか」
「それでも笑顔なのはさすがですね」
ともかく、やっと落ち着けた。
「それで、この後、俺はどうすれば良いのだ?」
「どうすれば、とは……」
「挨拶回りの必要は?」
「あー、そういうのはなんにもないですよー。好き勝手に飲み食いするだけです」
「ほうでふへ」
と、騒ぎの中、ずーっと食べ続けていたヒオリさんが、ついに、というか、今更というか会話に入ってきた。
ごくり、と、口の中のものを飲み込んでから、
「そうですね。ここは好きに食べ、好きに飲み、好きに笑う場です。殿下も好きなようにお食べ下さればよいかと」
今日はビュッフェ形式になっていた。
カウンターに山盛りの料理が置かれていて、そこから好きに取ってきて食べる。
飲み物もお酒以外はポットに入れて置かれていた。
お酒については、メアリーさんが忙しく給仕をしている。
「そうか。では、そうさせてもらおう」
お兄さまがカウンターに向かう。
カウンターでは、常連さんに話しかけられていた。
私の兄ということで、みんな、けっこう気さくに話しかけている。
お兄さまは、兄と言われても否定しない。
肯定もしていないけど。
無難に笑顔で、会話を流していた。
実に如才ない。
さすがだ。
ただ、如才なさすぎて、面白みには欠けている。
せっかく来てくれたのだ。
もっと楽しんでほしいね。
なにかないだろうか、面白いことは。




