366 閑話・皇太子カイストはべっとりした
授業中、いつの間にか俺は寝ていたようだ。
皇太子として有らざるべき失態だ。
俺、カイストは不意に蘇った意識の中、目を開けようとしていた。
と――。
これは何なのだ。
何故か、甘辛い匂いが鼻をくすぐる。
まるで先日、クウの店で食べた、姫様ドッグなる庶民食のような匂いだ。
俺は机に腕を置いて、のろのろと身を起こし――。
腕に何かの感触があった。
柔らかく、暖かいものを潰したような感触だった。
それが何なのか――。
目を開けた俺は、すぐに理解した。
俺が腕で潰したのは、幻覚ではなく姫様ドッグだった。
なぜか机に6つも置かれている。
暖かい感触は頬にもあった。
指ですくい取る。
それは、姫様ドッグにかけられた激辛ソースだった。
舌で舐め取る。
この辛さ、この旨さ、間違いはない。
教室はざわめいていた。
どうやら皆、俺と同じように眠っていたようだ。
そして壇上を見れば、先程まで教鞭を取っていた学院長の姿がない。
こつ然と消えていた。
「おい、なあ……」
隣の席に座っていた友人のウェイスがためらいがちに話しかけてくる。
「おまえ、さすがに天下の皇太子様なんだからよ……。授業中に姫様ドッグを頬張るのはどうかと思うぜ、俺は……」
「なあ、ウェイス」
「ああ。どうした?」
「俺がいつ、こんなものを持ち込んだ?」
「そういやそうか……」
制服は着替えるしかなさそうだ。
ソースが腕にへばりついて、みっともない状態になっている。
俺は息をついて身を起こした。
まずは皆に、何でもないから気にしないように、学院長が戻ってくるまで大人しくしているようにと伝える。
その上で教室から廊下に出た。
俺は再び息をついた。
着替えると言っても、ここは大宮殿ではない。
メイドはいないし、着替える服もない。
「なあ、一体――。何がどうなってるんだ?」
俺に続いて廊下に出たウェイスが聞いてくるが、俺は返答を避け、「さあな」と肩をすくめるにとどめた。
正直なところ見当はついたが、確定したわけではない。
推測で物事を断定するのはやめた方が良いだろう。
そう――。
クウの奴の仕業に決まっているが。
一体、何のつもりなのか。
どういう嫌がらせか。
授業中にいきなり、俺を姫様ドッグまみれにするとは。
意味がわからないし、わかりたくもない。
いや――。
俺は短絡的に沸き起こった怒りを、一旦、冷静に沈めた。
あるいは何かがあったのかも知れない。
最近、帝国には悪魔騒ぎがあった。
それは俺のところにも報告が来ている。
クウは、旅先や行く先でと偶然要素も多かったようだが、大いに悪魔の計画を阻止してくれた功労者だ。
あるいはここでも――。
姫様ドッグの意味はわからないが、あるいは俺を守るための、何か深い意味のある行為だったのかも知れない。
いや――。
いくらなんでもそれはないだろうが――。
「とにかく待っててくれ。ひとっ走りしてライレーダ先生を呼んでくるわ」
「――ああ、頼む」
よく考えてみれば、着替える必要はなかった。
ライレーダ先生は優秀な水魔術師だ。
洗浄してもらえば済む話だった。
俺は廊下で待たず、教室に戻った。
俺のいた場所に置かれた姫様ドッグに何人かが注目している。
それはそうだろう。
何しろ、出来たての良い匂いがしている。
姫様ドッグは、3つは俺が駄目にしたが、まだ3つが綺麗に残っていた。
俺はその1つを手に取り、食べた。
近くにいた同級生が心配してくる。
「……殿下、大丈夫なのですか? 食べてしまって」
「ああ。美味いぞ。おまえらも食うか?」
毒の心配はしていない。
そもそも俺は無防備に寝ていたのだ。
「で、では――」
近くに4人いたので、綺麗な残りの2つを半分に割って渡した。
「これは、町で噂の姫様ドッグですよね……」
「うまっ!」
「絶品ですね、これは!」
「この辛さがなんとも良いですね」
皆、貴族の家の者達だったが、満足できる味だったようだ。
食べ終わったところで、ウェイスがライレータ先生と掃除用務員を連れて走って戻ってきてくれた。
汚れた上着は、すぐにライレータ先生が水魔術で洗浄してくれた。
潰れた姫様ドッグは用務員が片付けてくれた。
結局、学院長は授業時間中には戻ってこなかった。
戻ってきたのは、授業終了のチャイムが鳴るのに合わせてだった。
「皆さん、急の用事で席を外してしまって申し訳有りませんでした。この埋め合わせは後日いたしますのでご容赦下さい」
息を切らしながら、学院長が壇上で頭を下げる。
学院長は400年以上を生きたハイエルフであり、帝国魔術の大家であり賢者の称号を持つ極めて優秀なお方だ。
それでありながら常に姿勢は謙虚であり、授業は丁寧でわかりやすく、可憐な少女にしか見えない外見も合わせて学内での人気は高い。
学院長を非難する声はなく授業はそのままおわった。
教室から出て自室へ戻る途中の学院長を捕まえて、俺は単刀直入にたずねた。
「クウの仕業ですね?」
「……はは。さすがは殿下、ご彗眼です」
苦笑いと共に肯定された。
「俺の机に姫様ドッグを置いた意味は聞いていますか?」
「それは――。はい、一応……」
「――教えていただけますね?」
「そ、それは……。ですね……。店長はただ純粋に、善意のようでしたが……。喜んでくれているよねと笑っておりましたので……」
「ほほう。そうか。では俺も、善意のお返しをしなくてはな」
「ち、違いますよ!? 某が思うに、店長の悪戯心はほんの少しだけで、決して殿下を困らせようとしてのことではなく――。そもそも店長自体が悪戯心で出来ていると申しますか純粋に面白いと思っての行為なのです!」
「クウの奴は、今どこにいるのですか?」
「……家に戻っているはずですが」
「ところで学院長は、何故突然、クウに連れ去られたのですか?」
「そ、それは……。ですね……。やんごとなき事情が……」
「学院長、俺には皇太子として、先の不可解な出来事の真実を知る責務があります。学院長はご存知かと思いますが、悪魔の件もあります。どうかご協力下さい」
こんなこともあろうかと俺は1人で来た。
学院長は渋ったが、結局は教えてくれた。
学院長を解放して、俺は1人でくつくつと笑った。
クウの奴め……。
自分を慕う年下の友人に見栄を張った挙げ句、学院長にすべてを押し付けて、どこかに逃げる気とは。
面白いことになってきた。
学院が終わり次第、たっぷりとお礼をしに行ってやろう。




