363 閑話・皇帝ハイセルは考える
皇帝である俺の元にリゼス聖国の聖女ユイリアから親書が届いたのは、9月に入って3日が過ぎた昼のことだった。
親書には聖女以外に刻むことのできない光の印章が刻まれていた。
故に、親書の真偽を疑う必要はなかった。
だがその内容は、にわかには信じられないものだった。
「……本当なのか、これは」
「陛下、聖女ユイリアはどのようなことを――」
「読んでみろ」
俺の机の前いたバルターに、聖女からの親書を渡す。
読む内、バルターの顔色はみるみる変わった。
「これは――。クウちゃんに確認したいところですが――。しかし――」
「ああ」
人のことは人で、私は解決を望みます。
願わくばよき返事を。
親書には、最後にそう書かれていた。
それはつまり、クウを争いに関わらせるな、ということなのだろう。
親書の内容は、主にトリスティン王国の内情についてだった。
トリスティン王国では、建国の当初より悪魔の召喚が行われていた。
悪魔は国王との契約によって、呪具や薬品の制作、奴隷の支配、周辺国への工作活動に当たっていた。
国王は、最初こそ悪魔を操っていたが、途中からは悪魔に操られた。
現在では悪魔の洗脳下にあり、悪魔が望むままに、人間により強い負の感情を持たせるべくその凶暴性を増していた。
帝国と聖国への大規模な破壊活動は、その一環だった。
国内には、それを危惧する者もいた。
が、悪魔と共にある国王を止められる者はおらず、非難の声を上げればたちどころに行方不明となっていた。
なので皆、口をつぐんで、命令に従っているしかなかった。
「……正直、わかってはいたことだが、まさか、そこまでになっていたとは」
「そうですな――」
トリスティンは悪魔を使役している。
それは公然の秘密だった。
俺もバルターも、そのことは昔から知っていた。
だが、必要悪として知らない振りをしてきた。
何故ならトリスティンからもたらされる数々の呪具は、犯罪者への対処をいともたやすくするものだったからだ。
心身を拘束するのも口を割らせるのも、簡単に行うことができた。
だが、最近は取引を大きく減少させた。
クウがこの世界に現れた――。
精霊がこの世界に戻り、これから更に精霊が現れようとしている。
すでに闇の大精霊と光の大精霊が帝国には訪れた。
あるいは近年中に、世界はかつてのように、精霊が飛び交う息吹に満ちた優しい世界になるのかも知れない。
だとすれば――。
精霊との関係を悪化させる要素は、早めに切り捨てておくべきだ。
そう判断してのことだった。
「しかし、陛下――。それらはすでに過去なのですな」
「ああ」
バルターの言葉に、俺はうなずいた。
親書には、こう書かれていた。
しかし、それらはすべて過去の現状です。
精霊の助力によって、トリスティン国内に居た悪魔は、そのすべてが魔界へと強制送還されました。
残るは他国に潜伏する一体のみです。
悪魔召喚に使われていた瘴気の地の浄化もすでに終わっています。
トリスティンが再び悪魔を継続召喚しようとするならば、かつてド・ミ国を蹂躙した暴虐を再び行う必要があるでしょう。
トリスティン国王の洗脳は解けていますが、それでも彼が同じ過ちを繰り返すのであれば私は強く抗議する覚悟です。
「……精霊とは、やはりクウちゃんのことでしょうか」
「だろうな」
親書にはこうも書かれていた。
この報告は人間である私が行うべきものだと判断し、精霊には報告を行わないように私がお願いをしました。
故に、精霊のことは叱ってあげないで下さい。
と。
光と闇の大精霊も居たのだろうが、主体となったのはクウで間違いないのだろう。
そういう言葉だった。
「……さて、どうしたものか」
「難しいところですな」
聖女ユイリアは、悪魔の存在を公式に認め、悪魔の力を利用する所業を厳しく断罪する決意のようだ。
これにどこまで関わるべきか――。
聖女ユイリアは同調を求めてきているが――。
「ともかく、他国に潜伏しているという悪魔は、しっかりと警戒すべきだな」
「とはいえ、どう警戒したものか、ですな……。小さな異変でも、すぐに報告させるよう徹底させてはおきますが……」
クウにも探知できない相手となれば、バルターの言う通りだった。
警戒しようにも効果的な方法がない。
「ところで陛下。クウちゃんは今日、大宮殿に来ておりますぞ」
「ほお。なにをしている?」
「今日はセラフィーヌ様と昼食を共にして、午後は剣の修行だそうです。騎士団の訓練に加わるそうですぞ」
「それは見ものだな」
「どうでしょう? 見に行くというのは」
「行ってみるか」
気分転換も兼ねて、俺はセラフィーヌとクウの顔を見に行くことにした。
廊下に出て、バルターと共に歩く。
「そういえば陛下、禁区調査の報酬の件なのですが――」
「ああ、その件もあったな」
禁区は表向きには、聖女ユイリアの光の力によって浄化された。
そして――。
奥地にいたBランク以上の冒険者達によって、廃墟の徹底的な捜索が行われた。
結果、数多くの遺品が発見された。
報酬は鑑定額の一割とはいえ、大変な額になることは確実だった。
「それで、いくらになった?」
「はい。報酬額は、金貨10万枚となりました」
「ふぅ」
ため息が出るというものだ。
払えない金額ではないが、大金に違いはない。
「あと、バルター。クウの友人というパーティー――。赤き翼だったか、あいつらに栄誉をくれてやる日時も決めておいてくれ。近い内で頼む」
「畏まりました。しかし、陛下も大胆な決定をされましたな。これで冒険者界隈は活気づくこと請け合いでしょう」
冒険者は国にとっても都合のよい存在だった。
なにしろ負傷しようが死亡しようが、一切の保障をしなくて済む。
特に死傷率の高いダンジョンでの魔石入手については頼りになる。
今後も活躍してほしいのだった。
そのためにも、皆の憧れになるような、目標になるような、頭ひとつ飛び抜けた存在は居るべきだろう。
かつてのように調子に乗り過ぎ、傍若無人に振る舞うどころか、貴族さえ下に見るようになられては困るが――。
クウの友人であれば、そのようなことにはならないだろう。
その点については妙な確信があった。
廃止されていたSランクの復活を、俺は決めていた。




