353 閑話・皇女アリーシャは気にしない
ところが――。
わたくし、アリーシャの予想に反して、お兄様は叫びました。
「貴様ぁぁぁぁぁ! この俺に向かって――よくもぬけぬけとぉぉぉ!」
クウちゃんに怒りをぶつけて――。
鉄と鉄のぶつかる音が中庭に響きました。
本気の衝突音です。
クウちゃんは本当にすごいですね。
「今の攻撃はいいですね、お兄様。気合が乗っています」
「ぐはっ!」
お兄様が吹き飛ばされて――。
壁にぶつかったようです。
「さあ。すぐに次です。休んだら駄目ですよ、どんどん来て下さい」
クウちゃんには息一つ切らした様子もありません。
「ほら、ウェイスさんもロディマスさんも。休んでたら、ただの子供と同じですよ。雑魚になりますよ。あわせてザ・子供ですよ。ザ・子供になりたくないから来たんですよね。早く立って下さい。早く」
訓練は激しく続きます。
思わず手が触れて、ドキッ。
なんて展開は、生まれそうにもありません。
空気が違います。
汗まみれ、土まみれになりながら戦う、本気の訓練です。
わたくしとお母様は、怒号と打撃音と――クウちゃんの陽気な声と、お兄様達の嗚咽を聞きながら紅茶を楽しみます。
ヒオリさんが出してくれた姫様ロールという庶民のスイーツも美味です。
クウちゃんが監修した商品とのことですが――。
さすがです。
シンプルながら食べ飽きない味です。
パクパクいけます。
食べおわる度にヒオリさんが次の姫様ロールを出してくれるので――。
わたくしの手が止まりません。
「申し訳有りません、ヒオリ先生に給仕をさせてしまって」
「いいえ。今日の某はこのお店の店員です。これも仕事ですので、どうぞお気になさらずお楽しみ下さい」
「ありがとう、そうさせていただくわ。――ところでアリーシャ」
「はい、お母様」
「……貴女、最近、食べ過ぎではなくて? お腹の肉は大丈夫なのかしら?」
「え」
思わず姫様ロールを食べる手が止まりました。
わたくし、こう見えて、どれだけ食べても太らない体質です。
今まで体重に問題の出たことはありません。
だけど一瞬、不安になって、なんとなくお腹に触れてみました。
今日のわたくし達はお忍び用の地味な私服です。
ドレスのように、キツく腰を締めてはいません。
ぷに。
と、柔らかい感触をお腹に感じます。
…………。
……。
ええ。
平気ですわね。
これくらい、平気に違い有りません。
これくらい、平均的なはずです。
みんな、これくらいのはずです。
「問題ありませんわ」
わたくしはお母様に笑顔で答えます。
「そう。ならいいのですれけど」
そんなこんなの内――。
お昼になりました。
「こんにちはー! 姫様ドッグの店長ですー! お約束通りにお持ちしましたが、お嬢さんはいらっしゃいますかー!」
お店の玄関から男の人の声が聞こえます。
「はーい! ありがとー! すぐにいきまーす!」
クウちゃんが頼んでいたようです。
中庭でクウちゃんが言います。
「よし。じゃあ、いったん昼食にしましょうか。今日は午後もやるんですよね? 昼食は姫様ドッグっていう、帝都の庶民に大人気の食べ物を用意しました。上品なものではないけど味わってみて下さいねー」
「お二人の分もご用意させていただきますね」
中庭のクウちゃんに続いて、ヒオリさんも店先に戻っていきました。
中庭では、お兄様たちが倒れています。
「ふふふ……。ははは……」
お兄様の力ない笑い声が聞こえます。
「なあ、ウェイス、ロディマス……。俺達は弱かったのだな……。これでも実は、少しは腕に覚えがあったのだが……」
「まったくだ……。俺は力尽きた……」
ウェイスがお兄様に同意します。
ただ2人とも、どこか楽しそうな声ではあります。
「噂には聞いていましたが――。殿下、あれが空色の髪の少女なのですね」
「その通りだ、ロディマス」
「ははは……。まったく、やってられませんね」
「……そうだな」
「ですが、俺の妹よりも年下の娘に、打ちのめされて、打ちのめされて、心のもやがようやく取れました」
「おまえには期待している。俺の世代の騎士としてな」
「――はい」
「お互い、次には見せてやろうぜ、ロディマス。俺らの本当の力をよ」
「ああ、そうだな――ウェイス」
小さな泣き声が聞こえます。
ロディマスでしょう。
いくら薬漬けだったとしても、観衆の前で優男のフリオに簡単に負けて――。
騎士となるために一心に努力を続けた――。
ロディマスのそれまでのすべては、破壊されました。
誰も見くびってなどいませんが――。
それでも、そうなのでしょう。
「……クウちゃんには、感謝しかありませんわね」
お母様が呟きました。
そして、椅子から身を起こします。
「――アリーシャ、今日はこれくらいにしておきましょうか。わたくしたちの望む出来事は起こりそうもありませんし」
「いえ、あの。お母様」
「どうかしましたか?」
「せっかくですし、姫様ドッグも食べていきませんか? 庶民に人気の味を、わたくし、もっと堪能したいです」
「……アリーシャ。貴女、本当にお腹は大丈夫なのですか?」
問われて、再びわたくしはお腹に触りました。
ぷに。
と、しますが……。
ええ、問題はありません。
大丈夫のはずです。
お姉さま、終了の日は近い……。




