352 閑話・皇女アリーシャは覗き見する
「ふふ。うふふふ……。あのカイストが、年下の娘に頭を下げるなんて……。ふふふ……。あの子も成長したものね……」
「お母様、それは成長なのでしょうか」
わたくし、アリーシャは今、お母様と共に、カーテンの向こうに隠れて、お店の中の様子を伺っています。
お店にはクウちゃんとお兄様、ウェイスとロディマスがいます。
ウェイスとロディマスは鍛え抜かれた肉体を持つ精悍な青年です。
お兄様は、たとえ私服姿だとしても、まさに貴公子然とした美男子です。
そんな3人が揃って頭を下げるのです。
ウェイスに至っては、
「ありがたい! では、早速だが指導をお願いしたい、クウちゃん師匠!」
ブレンダと同じように、すでにクウちゃんを師匠呼びです。
「えっと……。まあ、はい……」
クウちゃんが困惑するのは当然でしょう。
「じゃあ、中庭に出ますか……。あ、その前に武器を用意しますね。男子相手だし今回は鉄剣にしますか。少し待っていて下さい」
クウちゃんが3人を残して工房に入ります。
途中でわたくし達と視線が合うと、クウちゃんは肩をすくめました。
めんどうだけど、つきあってくるよ。
と、言っているのでしょう。
わたくし達は位置を変えることにします。
ヒオリさんの案内で、中庭を見下ろせる二階のベランダに向かいます。
「カイストは皇太子として立派に成長していますが、公正な反面、融通の効かない部分が目についていましたから……。ふふふ……。クウちゃんとの交流は良い経験になることでしょう……。うふふふ……」
先程から、ずっとお母様は笑いを堪えています。
普段は見ることのないお兄様の姿が、可笑しくてたまらないようです。
まあ、わたくしも、お兄様が恥ずかしがりながらクウちゃんに指導をお願いする場面ではクスッとしましたけど……。
「でも、こういうのもたまには楽しいものですね、アリーシャ」
「はい、お母様」
正直、皇妃たるお母様がこんなことをするとは――。
思いもよりませんでしたが――。
「お母様は、お兄様とクウちゃんが結ばれることをお望みなのですか?」
それで様子を見に来たのでしょうか。
ベランダに出ました。
ベランダには、椅子とテーブルが用意されていました。
お母様はヒオリさんと共に椅子に座ります。
わたくしは――。
少し下品ですが、ベランダの縁にしゃがんで、こっそりと下の様子を見ます。
「人間と精霊は結ばれて子を成すこともできるそうですよ」
「はい――。それは聞いていますけれど――」
「アリーシャはどう思いますか?」
「さすがにクウちゃんでは無理があると思います」
「あら、アリーシャはクウちゃんのことが、あまり好きではなかったのかしら」
「そういうわけではありません。むしろセラフィーヌが羨ましいです。ただ将来の皇妃として考えれば、家格が釣り合わないかと。まさかクウちゃんを、精霊様として大々的に紹介するわけではないでしょう?」
一応、クウちゃんには、異国の王女という設定はありますけれど――。
それはあくまで設定です。
実体化した精霊様であれば家格など関係ありませんが――。
クウちゃんは正体を隠したがっています。
ええ……。
迂闊が服を着て歩いているような子なので、その割には、人前でも平気で飛んだり消えたりしていますけれど――。
「難しい問題です……」
お母様が緩んでいた口元を引き締め、小さく息をつきます。
「アリーシャ、今のところ最有力なのはアロド家のディレーナなのですよ?
ディレーナが婚約者となって御覧なさい。
断言できますが……。
瞬く間にわたくし達の足元――。
特に貴女の足元は、脆くなりますよ」
「――それはわかっております」
学院祭での事件以降、すっかり牙の抜けたディレーナですが、それが演技であることをわたくしは確信しています。
お母様も同じです。
ディレーナは足元さえ固まれば、確実に圧力をかけてきます。
わたくし達の立場は逆転するでしょう。
ディレーナがお兄様と婚約することは、阻止しなければならないのです。
「あと先日のお茶会以降、エリカ王女の名も出るようになりましたが――。噂通りの人物で本当に感心しました」
お母様の言う感心は、良い意味ではありませんね。
わたくしも同感です。
「いっそユイさんならよかったのですけれど」
わたくしは愚痴のようにこぼしました。
ユイさんであれば反対しません。
人格的にも家格的にも問題はありませんし、皇妃になったとして、わたくしやお母様が害されることもないでしょう。
「それこそ聖国の民が許さないでしょう。聖女様を国外に出すなど」
「……はい。わたくしもそう思います」
では、他に誰がいるのか。
思い当たりません。
「と、なれば、やはり当人の意思が大切でしょう? ねえ、ヒオリ先生、クウちゃんは色恋についてはどうなのかしら?」
「ハッキリと申し上げれば、さっぱりかと。店長の興味は今のところ、この世界を楽しむことに注がれています」
ヒオリさんは――。
わたくしはクウちゃん達に倣ってヒオリさんと呼んでいますけれど――。
同年代に見えますが、実は400歳を越えています。
学生時代のお母様を指導したこともあるそうで、お母様は今でもヒオリさんのことを先生と呼んでいます。
「はぁ……。そうですわよね……。わたくしにもそう見えます」
「ただ逆に言えば決まった相手はおりませんので、可能性はゼロではないかと」
「ヒオリ先生も応援して下さるのかしら?」
「某は申し訳有りませんが不干渉です。あくまで店長のご意思次第かと」
「――お母様、クウちゃん達が出てきました」
会話はおしまいです。
ここからしばらくは、訓練をこっそりと覗く時間です。
お母様は椅子から動きません。
会話を聞ければ、それで良いご様子です。
さあ、どんな訓練になるのでしょう。
訓練であれば、手と手が触れ合ったりすることもあるでしょう。
少しは良い雰囲気にもなるのでしょうか。
それをきっかけに――。
2人の関係に変化が起きたりもするのでしょうか。
わたくしのことではないのに、そう考えると妙に緊張します。
でも――。
しかし――。
クウちゃんの訓練は、わたくしの想像したようなものではありませんでした。
うわぁ……。
わたくしは思わず声をもらしました。
なんの容赦もなく剣を振るったクウちゃんが、お兄様とウェイスとロディマスの3人を簡単に突き飛ばします。
大丈夫なのでしょうか……。
クウちゃんが魔法をかけてくれているので怪我はないはずですが――。
それでも心配になるほどの攻撃です。
「さあ、すぐに立って攻撃して下さい。衝撃はあっても、痛みはないですよね? まずは私の攻撃に慣れてもらいますね。少なくとも反応くらいはできるようになってもらってから次に移りますので」
肩に剣を乗せて、クウちゃんが楽しそうに言います。
3人は、よろめきながらも立ち上がり、クウちゃんに剣を振るいます。
ああ……。
またもやクウちゃんが打ち倒しました。
いいのでしょうかこれは――。
皇太子であるお兄様にも、まったく容赦がありません。
普通は加減するものです。
これでは皇太子としての威厳が保てません。
わたくしはお母様に振り返りましたが、お母様はそしらぬ態度です。
ヒオリさんが用意してくれた紅茶を飲んでいます。
お母様は手招きでわたくしを席に誘います。
わたくしも席について紅茶を飲むことにしました。
なんだか見ていると、お兄様に申し訳ない気持ちになります。
ウェイスとロディマスは、すぐにヒートアップしました。
怒りの声をあげて剣を振るいます。
「ほら、お兄さまも早く。
2人に負けないくらいの気合を見せて下さいよ、早く」
クウちゃんがお兄様にそんなことを言います。
かなり挑発的です。
でも、お兄様に気合を見せろというのは、無理のある話です。
何しろお兄様は熱血漢ではありません。
どんなことでもスマートにこなすクールなタイプです。




